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【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase50)カバレフスキー「ピアノ協奏曲第3番」、子供が親しめる孤高の純粋音楽、体制迎合の批判を超越
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2025.6.24
tagged: カバレフスキー, 音楽ライターの眼, クラシック名曲 ポップにシン・発見
ドミートリー・カバレフスキー(1904~87年)は旧ソ連体制に迎合し地位と権威をほしいままにした作曲家として評判がよくない。政治権力に面従腹背だったショスタコーヴィチと比べて作品の価値も低く見られがちだ。本当にそうだろうか。教育者だったカバレフスキーには子供向けの作品が多いが、幼稚でも子供騙しでもない。ソ連の青年に捧げた1952年作曲の「ピアノ協奏曲第3番ニ長調Op.50」は親しみやすく純粋で孤高の気品を放つ。
10年ほど前、日本で盛んにスクリャービンやショスタコーヴィチ、ハチャトゥリアンらロシア・旧ソ連の楽曲を披露していたロシアの指揮者と話をしたときのこと。「いずれはカバレフスキーの作品も指揮しますか」と尋ねたところ、「なぜ私がそんなくだらないものを指揮しなければいけないのですか」と一蹴された。カバレフスキーの協奏曲や管弦楽曲を好んで聴いていた筆者は、名指揮者によるこの作曲家への低評価にショックを受けた。
日本で最も知られたカバレフスキーの作品は管弦楽組曲「道化師Op.26」(1939年)の第2曲「ギャロップ」だろう。小学校の運動会で定番だったBGM。駆けっこの際には軽快でユーモラスなこの曲が流れた。そんな「ギャロップ」でもくだらなくはない。ショスタコーヴィチの「ジャズ組曲」やハチャトゥリアンの「剣の舞」に勝るとも劣らず遊びが効いて才気煥発な名曲だ。そしてもちろんカバレフスキーは「ギャロップ」だけではない。
大衆受けする平易な音楽と侮られがちなカバレフスキーを愛聴すれば、音楽を分かっていないと批判されそうだ。ソ連当局が推進する社会主義リアリズムを擁護し、スターリン賞を複数回受賞した「御用作曲家」。ソ連教育科学アカデミー芸術教育部門科学委員会会長をはじめ要職を歴任した高官。偏見を持たれ嫌われるのも分かる。しかし敢えて言おう、カバレフスキーの作品はプロコフィエフ並みに素晴らしい。
例えば、ソ連の青年に捧げる協奏曲三部作の掉尾を飾る1952年作曲の「ピアノ協奏曲第3番」。青少年でも弾ける平明なピアノ独奏パートを持ち、大きい手でなければ弾けない超絶技巧の部分はない。そもそも旋律はロシア風の抒情を漂わせて親しみやすく、曲の構成や和声は明快で分かりやすい。リズムは溌溂としてさわやかだ。健康や健全を大衆に強いるのは全体主義の特徴の一つだが、この協奏曲には健康で凛々しい美しさがある。
カバレフスキーが生きた全体主義社会を嫌悪するにしても、心地よい健康な音楽は素直に楽しんでいいのではないか。健康で溌溂とした音楽にも深みはある。モーツァルトのピアノ協奏曲やピアノソナタは単純な面があっても純粋無垢な音楽として称賛されている。カバレフスキーの「ピアノ協奏曲第3番」も単純そうでいて、実は旋律や和声が細部にわたって凝っており、精巧な管弦楽法がシャープでモダンな孤高の響きを実現させている。
第1楽章の第2主題は哀愁と抒情に満ちた旋律。チャイコフスキーやラフマニノフのピアノ協奏曲の名旋律に匹敵する美しさだ。この第2主題は第3楽章の終結部で再帰し全曲の頂点を築く。カバレフスキーは著書「三頭のくじらと音楽の話」(小林久枝訳、全音楽譜出版社)で、音楽を支える3頭のくじらとして「歌」「舞曲」「行進曲」を挙げている。「ピアノ協奏曲第3番」では子供にも分かる明快さでこの3要素が示される。
ジャスパー・パロット著「アシュケナージ 自由への旅」(奥田恵二・宏子訳、音楽之友社)によると、「ピアノ協奏曲第3番」は1953年、カバレフスキー指揮モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団と15歳のウラディーミル・アシュケナージのピアノ独奏によって初演された。しかしカバレフスキーが初録音の際に選んだのは名ピアニストのエミール・ギレリスだった。名声がすべてに勝る権威主義国家。9年後、アシュケナージはソ連を離れた。
カバレフスキーを悪役にしたこうした逸話があっても、「ピアノ協奏曲第3番」の価値は揺るがない。同じ頃、日本では西条八十作詞・服部良一作曲の「青い山脈」(1949年)が流行していた。社会主義は人民のための音楽を強制し、資本主義は大衆受けするヒット曲を求めた。同じ青春讃歌でも政治に翻弄され埋もれた「青いピアノ協奏曲」。カバレフスキーの名曲が広く聴かれるようになれば、「20世紀のモーツァルト」と評される日もやってくる。
池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
音楽ジャーナリスト。日本経済新聞社シニアメディアプロデューサー兼日経広告研究所研究員。早稲田大学商学部卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。日経文化事業情報サイト「art NIKKEI」にて「聴きたくなる音楽いい話」を連載中。
日本経済新聞社記者紹介
文/ 池上輝彦
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