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クラシック名曲 ポップにシン・発見(Phase54)サティは現代ポップスの始祖、古さが新しい「ジュ・トゥ・ヴー」、川瀬智子にジュテーム

【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase54)サティは現代ポップスの始祖、古さが新しい「ジュ・トゥ・ヴー」、川瀬智子にジュテーム

エリック・サティ(1866~1925年)は現代音楽よりも現代ポップスの始祖だ。パリ音楽院を中退し、シャンソン酒場のピアノ弾きになった。ピアノ曲「Je te veux(ジュ・トゥ・ヴー)」は最先端でも奇抜でもなく、古くて軽い。ワーグナーの楽劇が欧州を席巻し、進歩主義の価値観が広がる中、前衛ではない新しさを自由な発想で追求した。Tommy february6(川瀬智子)の「je t’aime ★ je t’aime(ジュテーム ★ ジュテーム)」も古さが新しい。

最先端を行く古い人

「ずいぶん古い人だよね」。1980年代、大学の文学部キャンパスのラウンジに立ち寄ると、学生がサティに言及していた。飛び交う言葉は「フーコー」「ドゥルーズ」「デリダ」「脱構築」「ポスト構造主義」「リゾーム」「テクスト論」「浅田彰」「坂本龍一」。フランス現代思想がブームだった時代。最先端の知的会話を自負する学生らの用語の中に「サティ」もあった。「最先端ばかり追いかけているから、20世紀初めの作曲家も古いと思うのではないか」と言いたくなったが、筆者はそうした「文化的教養エリート」学生からは門外漢として相手にされない実学系の商学部生だったので、やめておいた。

やはり学生時代、都内のアート系の書店で買った訳詩集「フランス現代詩29人集」(窪田般彌訳、1984年、思潮社)にサティの「三つの恋愛詩」が載っていた。サティは詩人でもあったのだと感慨深かった。そういえば曲名も「梨の形をした3つの小品」や「犬のためのぶよぶよとした前奏曲」など詩みたいなのが多い。経営学や会計学、マーケティング論の教科書を抱える商学部生でも詩集くらいは読むのだ。

前衛でも現代音楽でもない

サティは西洋音楽の伝統形式を打破し、記譜法や和声法を革新した前衛芸術家として称賛されがちだ。バレエ音楽「パラード」はサティ作曲だが、プロデュースはディアギレフ、台本はコクトー、美術はピカソというスターぞろい。他の芸術分野との共創も可能というマルチタレントぶりを示した。トレンディーでファッショナブル、時代の最先端を行くおしゃれな作曲家というイメージを抱きたくなる。

ではサティは現代音楽の始祖か。そう思いたくなるのが人情だ。サティは素敵なアーティストだから、ブーレーズやクセナキスら現代音楽の面々が影響を受けた前衛の天才であってほしい。だがそれは違う。現代音楽の始祖はシェーンベルク。伊福部昭は著書「音楽入門」(角川ソフィア文庫)でサティの「ジムノペディ」を「神に誇ってもいいほどの傑作」と絶賛した。だがサティが前衛でも現代音楽でもないことは、偏見を排して作品を聴けば分かる。


Gymnopédie No. 1

確かに、楽器が一切音を出さない「4分33秒」をはじめケージの奇想天外な試みはサティに通じるところがある。しかしサティの音楽自体は現代音楽と呼ぶには聴きやすく分かりやすい。詩の言葉や奇抜なパフォーマンスにごまかされてはいけない。ピアノ曲「ジムノペディ第1番」はGmaj7とDmaj7という2つのメジャーセブンスの単純な和音の反復から始まり、ミクソリディアやドリアなど教会旋法を取り入れて旋律を作っている。長・短調が判然としない古風で不思議な響きが生まれる。メジャーセブンスは現代のポップスで頻繁に使われる和音だが、ドビュッシーも好んで使っていた。

ワーグナーの進歩主義に反旗

サティは無調や十二音技法のような新種の作曲手法を発明して西洋音楽の伝統的な和声を破壊したわけではない。古い教会旋法についてはリストやドビュッシーも再興し使っている。サティは同時代や古い時代の技法を応用し、難解ではなく、シンプルで心地よい調性音楽を追求した。当時の欧州ではワーグナーのオペラが崇拝され、ワーグナーの音楽革命と進歩主義に多くの作曲家が感化されていた。ダーウィン主義も広がる中、音楽も常に進化を迫られ、無調や十二音技法に至る現代音楽への競走が加速した。

サティはワーグナー崇拝者たちの進歩主義にシャンソン酒場から反旗を翻した。偉そうな大作でなくていい。無理に新しくしなくてもいい。そもそも聴衆は速すぎる進化に追いつけない。巷に転がっている使い古しの素材からも新しい音楽を作ることができる。そこが新しかった。行き詰まるかに思われた調性音楽にも、まだできることがたくさんある。「新古典主義」の始まりだ。サティに感化されたデュレ、オネゲル、オーリック、タイユフェール、ミヨー、プーランクは「フランス6人組(Les Six)」を形成し、新古典主義音楽を推進する。


Je te veux

加えてサティは現代ポップスのアーティストの先駆けである。1900年頃作曲の「ジュ・トゥ・ヴー(君が欲しい)」はサティの作品の中でもポピュラーな曲として知られる。ショーを見せる飲食店であるカフェ・コンセール向けのシャンソンであり、歌詞はアンリ・パコーリ。「スローワルツの女王」の異名を持つポーレット・ダルティのために作曲された。今はピアノ編曲版のほうが有名だ。どこかで聴いたことがある懐かしい感じのワルツだが、実際ヨハン・シュトラウス2世やレハールのワルツに似ている。革新性や前衛性が感じられなくても、軽やかでアートなポップスとして新鮮だ。

使い古しの素材で斬新な曲

サティの影響はミニマル・ミュージックや坂本龍一、デヴィッド・シルヴィアンらの音楽に聴ける。直接の影響でなくても、J-POPのアーティストにも「サティ系」と呼べるアートな性格がある。例えば、Tommy february6(トミー・フェブラリー)、つまりthe brilliant green(ザ・ブリリアント・グリーン)のボーカル、川瀬智子のソロプロジェクト。2003年の「ジュテーム ★ ジュテーム」(Tommy february6作詞、MALIBU CONVERTIBLE作曲・編曲)は、1980年代のユーロビート風のヴィンテージ・サウンドが時代を超えて新しい。


[HD] Tommy february6 – je t’aime ★ je t’aime

最近は川瀬の曲が海外でも知られ、聴かれているようだ。「ジュテーム ★ ジュテーム」は1980年代のニュー・オーダー「トゥルー・フェイス(True Faith)」やカイリー・ミノーグ「愛が止まらない(Turn It Into Love)」を思い出させる。フレンチ・ポップな趣向は1960年代のフランス・ギャル「夢見るシャンソン人形(Poupée de cire, poupée de son)」(セルジュ・ゲンズブール作詞作曲)にまで遡れるほどの古っぽさだ。

「ジュテーム ★ ジュテーム」を作曲・編曲したMALIBU CONVERTIBLEの正体はザ・ブリリアント・グリーンの奥田俊作といわれる。ブリグリのメンバーが名義と性格を変えて川瀬のソロプロジェクトに協力していた。川瀬のもう一つのソロプロジェクトはゴシック風のロックバンド「Tommy heavenly6(トミー・ヘヴンリー)」。サティは一つの自我の感情告白ではない反ロマン主義の作曲家だったが、川瀬の複数キャラクターもサティに通じる。

今パリに行っても20年前と変わらないモンマルトルの丘が人々を魅了するように、20年前の曲を初めて聴いて好きになる人もいる。「Je te veux(君がほしい)」や「Je t’aime(愛している)」といった人の気持ちも変わらない。ファッションはミニマルに変奏しながら繰り返す。使い古しに見える素材を使って斬新な曲ができる可能性をサティは示した。2025年はサティ没後100周年。J-POPは隆盛を極めている。

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池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
音楽ジャーナリスト。日本経済新聞社シニアメディアプロデューサー兼日経広告研究所研究員。早稲田大学商学部卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。日経文化事業情報サイト「art NIKKEI」にて「聴きたくなる音楽いい話」を連載中。
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