Web音遊人(みゅーじん)

日向敏文

好奇心と行動力で結実したオーケストラ作品集『the Dark Night Rhapsodies』/日向敏文インタビュー

作曲家でありピアニスト。これまでにテレビドラマやドキュメンタリー番組のサウンドトラックを数多く手がけてきた日向敏文の最新作は、なんとオーケストラ作品集。2025年6月にリリースされたアルバムに込めた思いや制作秘話を聞いた。

好奇心と行動力でたぐりよせたブダペスト録音

1980年代から90年代にかけて、クラシック音楽をベースとしたインストゥルメンタル・ミュージックで独自の地位を確立し、自身の活動のほか、テレビドラマ『東京ラブストーリー』をはじめ、数多くの映像作品のサウンドトラックも手がけ続けている日向敏文。1997年、Le Coupleに提供した『ひだまりの詩』は空前の大ヒットを記録した。彼が作った音楽は誰もが一度は耳にしたことがあり、記憶の中のどこかで、いつかの自分にそっと寄り添うように鳴っている。日向敏文は、そんな音楽家ではないだろうか。
高校を卒業後、まだ現在のように気軽に海外に行けなかった時代に、日向はイギリス、そしてアメリカへ渡った。アメリカでは大学で環境学を学びながら音楽活動もしていたが、現地の音楽シーンに触発されて、両親に断ることなくバークリー音楽大学に転校したという。そのようにして軽やかに、そして大胆に自らの進路を決めてきた彼のことだから、2022年のソロピアノ作品『Angels in Dystopia Nocturnes & Preludes』を作ったきっかけが「SNSで世界中のファンと交流し、彼らの気持ちに応えたいと思った」ことだったというのもうなずける話だし、最新アルバム『the Dark Night Rhapsodies』のレコーディングに関するエピソードもまたしかり、なのだ。
「この15年ほど、ずっとオーケストラの作品を書きためていたのですが、オーケストラを集めてレコーディングして、アルバムにまとめるなんていうことは、現実的には無理だろうな、と思っていました」
しかし、そんな状況も、やはりSNS上でふとした発見をしたことから、大きく動き出していく。
「タイムラインにハンガリーのブダペスト・スコアリング・オーケストラというのが出てきて、映画はもちろん、最近ではNetflixなどで配信される映像作品のサントラも数多く手がけているということを知ったんです。近年、東ヨーロッパのオーケストラが映画などで活躍しているという噂を耳にしていたこともあって、すぐにメールで問い合わせてみたんです」

ブダペスト・スコアリング・オーケストラ

指揮者のゾルターン・パド

興味をもったらすぐに連絡してしまう日向の行動力は、たまたまメールをチェックしていたオーケストラのCEOが即座に返信してくれるというラッキーな展開を招く。
「それであらためて自己紹介をして、作品の内容や必要な楽器などを伝えて、そのやりとりだけでレコーディングを決めてしまったんですよね」

それが2024年の10月で、レコーディングは2025年の2月。ブダペストのスタジオで行われ、オーケストラ側の完璧なスケジューリングのもと、たった2日で終了した。指揮者のゾルターン・パドをはじめ、各奏者の力量が非常に大きかったこと、そして日向自身は演奏せず、作品の意図を伝える役割に徹したことも完成度の高さにおおいに貢献したことも付け加えておきたい。

ブダペスト・スコアリング・オーケストラ

ブダペストでのレコーディング時の様子。

実は日向敏文自身のサウンドトラックでもあった

さて、アルバムを聴いていこう。2022年の前作『Angels in Dystopia Nocturnes & Preludes』は「戦争やジェンダーの問題などで苦しんでいるファンの声に音楽で応える」というシリアスなコンセプトを掲げつつ、日向独特のユーモアや軽やかさも備えた聴きやすい作品だった。本作も同様で、古い映画のオープニングを思わせる煌びやかなサウンドが、ヘヴィなテーマとの陰影を作り出し、絶妙な味わい深さを生みだしている。
「現在の世の中の厳しい情勢を反映したものを作りたい半面、ハッピーとまではいかなくても、どこかおどけたような表現も取り入れたいという気持ちもありました。バスーンの高音域を効果的に使った、例えばプロコフィエフが『ピーターと狼』で用いた手法といえばいいでしょうか」
オーケストラ作品と聞くと、交響曲のように長大でなくともある程度の尺と壮大さを想像してしまうところだが、本作に収録された楽曲はダイナミックな躍動感を持ちつつ、どれも3~5分ほどにまとめられ、気負わずに楽しめるのが特徴だ。そして、記憶の奥底に眠っている映像をそっと喚起するような温かさもある。まるでどれもが序曲であり、その続きは聴いた者がそれぞれ紡いでいってほしい、と言わんばかりだ。
「僕の音楽を聴いてくれて、SNSでメッセージをくれたりするファンは、若い方が圧倒的に多いんです。彼らは僕たちの若い頃と違って、みんなヘッドホンで聴くから、自分の世界に入りやすいですよね。そんな彼らの存在も意識しました」

日向敏文

ブダペストにて

砂漠の世界にロマンを抱くエキゾチックな組曲『Babylon in the Sands』、幸福感の裏に何かが隠れていそうな『Vendetta』、日向が敬愛するラヴェルへのオマージュであり、管楽器と弦楽器のやりとりが楽しい『Joker』は、10年もの間アイデアを温めてきたという。若かりし頃にイギリスのパブで聴いた古楽器クルムホルンの音色に着想を得てイントロに反映させた『Wings of the Lion』、そしてアメリカでの留学時代と家族との関係に思いを馳せる『Sweet Rebels』など、各曲について話を聞いていくと、実は本作は日向自身の人生の中にあるさまざまな出来事を綴ったサウンドトラックでもあるのだ、ということに気づく。
自分の心情やこだわりを、まるで聴く者自身の物語であるかのように変換してアウトプットできる。これが日向の音楽家としての真骨頂なのではないか。そんな魅力が存分に味わえるアルバムだ。
「本作では、自分の中にあるいろいろな気持ちを音にして込めることができたと思います。そして、ブダペストでのレコーディングを経験したことにより、新たな構想もいくつか生まれてきましたので、それらもこれからひとつずつ実現できたら、と考えています」
自分で行動して機会を引き寄せ、いまだに新境地を切り開き続ける日向敏文。いつでも変わらないのは、彼の音楽はいつだって聴く者の心にそっと寄り添ってくれるということだ。

■『the Dark Night Rhapsodies』

アルバム『the Dark Night Rhapsodies』
発売元:ソニー・ミュージックレーベルズ/アルファミュージック
発売日:2025年6月25日
料金(税込):CD 4,400円 アナログ盤 6,600円
詳細はこちら

オフィシャルFacebook YouTube公式チャンネル オフィシャルInstagram

facebook

twitter

特集

前橋汀子

今月の音遊人

今月の音遊人:前橋汀子さん「同じ曲を何千回、何万回演奏しても、つねに新しい発見や見え方があるのです」

3983views

ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス

音楽ライターの眼

ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス『ライヴ・アット・ザ・LAフォーラム』が予感させる旅路の終わり

2328views

ピアニカ

楽器探訪 Anothertake

ピアニカを進化させる「クリップ」が誕生

20654views

初心者必見!バンドで使うシンセサイザーの選び方

楽器のあれこれQ&A

初心者必見!バンドで使うシンセサイザーの選び方

25551views

コハーン・イシュトヴァーンさん Web音遊人

おとなの楽器練習記

【動画公開中】ハンガリー出身のクラリネット奏者コハーン・イシュトヴァーンがバイオリンを体験レッスン!

11763views

オトノ仕事人

深く豊かなクラシックの世界への入り口を作る/音楽ジャーナリストの仕事

5948views

グランツたけた

ホール自慢を聞きましょう

美しい歌声の響くホールで、瀧廉太郎愛にあふれる街が新しい時代を創造/グランツたけた(竹田市総合文化ホール)

8560views

日生劇場ファミリーフェスティヴァル

こどもと楽しむMusicナビ

夏休みは、ダンス×人形劇やミュージカルなど心躍る舞台にドキドキ、ワクワクしよう!/日生劇場ファミリーフェスティヴァル2022

4487views

小泉文夫記念資料室

楽器博物館探訪

世界の民族楽器を触って鳴らせる「小泉文夫記念資料室」

26549views

われら音遊人:音楽仲間の夫婦2組で結成、深い絆が奏でるハーモニー

われら音遊人

われら音遊人:音楽仲間の夫婦2組で結成、深い絆が奏でるハーモニー

8406views

パイドパイパー・ダイアリー

パイドパイパー・ダイアリー

贅沢な、サクソフォン初期設定講習会

6172views

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする Web音遊人

音楽めぐり紀行

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする

11844views

おとなの 楽器練習記 須藤千晴さん

おとなの楽器練習記

【動画公開中】国内外で演奏活動を展開するピアニスト須藤千晴が初めてのギターに挑戦!

9516views

民音音楽博物館

楽器博物館探訪

16~19世紀を代表する名器の音色が生演奏で聴ける!

13557views

壷阪健登

音楽ライターの眼

ジャズの新時代を拓く瑞々しいリリシズム/壷阪健登ソロ・ピアノ・コンサート“Departure”

2729views

一瀬忍

オトノ仕事人

ピアノとピアニストの絆を築く、アーティストリレーションの仕事

6305views

みどりの森保育園ママさんブラス

われら音遊人

われら音遊人:子育て中のママさんたちの 音楽活動を応援!

7949views

楽器探訪 Anothertake

目指したのは大編成のなかで際立つ音と響き「チャイム YCHシリーズ」

13276views

武満徹の思い「未来への窓」をコンセプトに個性的な公演を/東京オペラシティ コンサートホール:タケミツメモリアル

ホール自慢を聞きましょう

武満徹の思い「未来への窓」をコンセプトに個性的な公演を/東京オペラシティ コンサートホール:タケミツ メモリアル

17336views

パイドパイパー・ダイアリー Vol.7

パイドパイパー・ダイアリー

最初のレッスンで学ぶ、あれこれについて

5359views

知って得する!木製楽器の お手入れ方法

楽器のあれこれQ&A

木製楽器に起こりやすいトラブルは?保管やお手入れで気を付けること

23786views

ズーラシアン・フィル・ハーモニー

こどもと楽しむMusicナビ

スーパープレイヤーの動物たちが繰り広げるステージに親子で夢中!/ズーラシアンブラス

17052views

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅

28256views