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【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase58)千住明と山本直純の「武田軍」、大河ドラマに聴く日本、世界を魅了する武士の世の音楽

【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase58)千住明と山本直純の「武田軍」、大河ドラマに聴く日本、世界を魅了する武士の世の音楽

1963年から始まったNHK大河ドラマは、冨田勲や芥川也寸志、湯浅譲二、池辺晋一郎ら日本を代表する作曲家が音楽を担当してきた。特に戦国時代をはじめ武士の世を描いたドラマのオープニングテーマ曲には、千住明「風林火山」や山本直純「武田信玄」など巧みな管弦楽法で豪快かつ抒情的に鳴らす傑作が多い。ところが最近は米国人作曲家が音楽を担う作品も出てきた。日本文化への世界的な関心の高まりの反映か。日本的な音楽とは何か。

千住明活動40周年「風林火山」

9月28日、東京オペラシティコンサートホール(東京・新宿)での「活動40周年千住明ガラ・コンサート2025」。千住自身の指揮で映画やテレビドラマなど多岐にわたる作品を披露した。TBS系日曜劇場「砂の器」(2004)の音楽「ピアノ協奏曲『宿命』第1楽章」では、ピアニスト羽田健太郎が生前演奏した音源をヤマハの自動演奏グランドピアノ「ディスクラビア」で生演奏として再現。自動演奏ピアノとの協奏曲公演は初という。こうした中で2007年大河ドラマ「風林火山」のテーマ曲演奏への聴き手の反応は大きいと思われた。

指揮する千住明の写真

「活動40周年千住明ガラ・コンサート2025」で自作を指揮する千住明(Photo by Kenji Agata)

大河ドラマについては、その音楽に魅了されて毎週視聴する人も多いのではないか。筆者はそのタイプ。全編を見た大河ドラマはオープニングテーマ曲を繰り返し聴きたくなる作品だった。作曲家とドラマ名、放映年を挙げると次の通り。山本直純「武田信玄」(1988年)、千住明「風林火山」(2007年)、服部隆之「真田丸」(2016年)、ジョン・グラム「麒麟がくる」(2020~21年)、エバン・コール「鎌倉殿の13人」(2022年)。

上記は筆者の好みと主観なので、これら5作品の音楽が一般に高い人気を博したかどうかは分からない。もちろん音楽だけでなく、「平家物語」や「吾妻鏡」、武田信玄や明智光秀、真田三代や大坂の陣などに関心があったから全部見たということでもある。真田父子の調略を表すような技巧的なヴァイオリン協奏曲風の「真田丸」を含め、いずれも後期ロマン派流の管弦楽法で劇的に鳴らす音楽である。なかでも千住の「風林火山」は戦国を描く大河ドラマの正統な音楽であり、新ロマン主義の筆頭格だろう。

「疾きこと風の如く」

「活動40周年ガラ・コンサート」での千住の指揮によるSENJU LAB Grand Philharmonicの「風林火山」で興味深かったのはテンポだ。ドラマで聴いた曲よりも遅めのテンポで始まり、後半は速めになる。日本らしい序破急か。3分ほどの曲の構成は、武田軍が旗指物に染め抜いた「孫子」の「軍争篇」の言葉「其疾如風 其徐如林 侵掠如火 不動如山」を踏まえている。書き下し文は「其(そ)の疾(はや)きこと風の如く、其の徐(しず)かなること林の如く、侵掠(しんりゃく)すること火の如く、動かざること山の如し」。

緩やかな序奏の和音はホ短調のEm7。続いてホルンを伸びやかに鳴らす部分は、夜明けのように仄かに明るいホ長調(E)。ドラマではここで「風林火山」の書き下し文の語りが入る(語りでは「其の」を省略)。この段階では主調が何になるか分からない。だが弦が刻み始める速いリズムで次第にEが属調であることを確信させていく。そしてついにイ短調(Am)のトランペットの主題が「風の如く」登場する。E→Am(Ⅴ→Ⅰ)という属調から主調への正攻法の和声進行ながら、聴き手を罠にはめつつ疾走し始める劇的な音作りは見事だ。


Furinkazan (With Narration)

主題は短7度やオクターブ(完全8度)、短9度といった非常に大きな音程差から成る旋律であり、まさに風のように「疾きこと」を体現している。弦がビートを刻み、カスタネットやタンバリンなどの打楽器群がアクセントを付けながらオーケストラは疾走する。「林の如く」の中間部はまずフルートがホ短調(Em7)で「徐かなる」旋律を奏でる。続くイ長調(A)のホルンの雄大な旋律は、ハープのグリッサンドや鳥のさえずりのような木管の響きを伴いながらハ長調(C)へと転調する。

「侵掠すること火の如く」

この曲で印象深いのは、ハ長調の中間部の旋律が属調のト長調(G)を経てハ短調(Cm)へと転調するところだ。銅鑼の響きを伴いトランペットやトロンボーンが行進曲風の動機を重々しく鳴らす場面だが、ハ短調とはいえCm9の響きなのでト短調(Gm)にも聴こえる。いずれにせよC→Cm、G→Gmの同主調転調なので目立たず、いつの間にか短調に変わっている雰囲気なのだ。しかも全体の音程が下がった感じになるため「侵掠すること火の如く」の動機が重厚さを増す。ワーグナー風の勇壮な動機を想起させて実に格好良い。

再現部は最初のイ短調の主題がハ短調へと転調して音程が上り、「動かざること山の如し」となってより力強さを増す。そして堅固なハ長調で全曲を閉じる。「風・林・火・山」の曲の各部分への当て方は筆者の推量だが、聴き手はこの曲の中でそれぞれこうした情景を思い描くことができる。

世界共通言語で日本人の個性

1年を通して繰り返し聴いても飽きず、格好よく、風格のある「風林火山」の音楽はいかに生まれたか。コンサート前の千住への囲み取材では時間がなくて質疑応答がかなわなかったが、後日、文書で質問を送ったところ、回答してくれた。内容は以下の通り。

──大河ドラマ「風林火山」の音楽で特にこだわった音作りは何だったのでしょうか。

「いつか『大河』と思っていましたが、どんなプログラムが来るか長い時間待っていました。ド真ん中の戦国ものが、私にとって、満を持しての大河ドラマで、武者震いがしました。大河ドラマは再放送も含めて地上、BSなどで多数回流れるわけで、顔となるテーマ曲に向き合うとき、様々な要素や技で語る必要があると思いました」

「少なくとも私がバトンを受け継ぐべき過去の作曲家たちは、正に七転八倒の苦しみの中からオリジナルなテーマ音楽を創り出してきました。この国の表現と伝承を理解している日本人作曲家の熟練の技、匠の燻(いぶ)し銀の音楽、そして革新的な新しさがあることが必要十分条件だと思います。重し的な安定感とエスプリ的な安心から、誰もまねの出来ない格好良さが出て、他の作品とは一線を画すものとなると私は思います。そして私の音楽は伝統の上に作られ、時間が経っても古くならず、世界中が理解し、木目や空気の見えるオーケストラをメインに、ド真ん中ストレートに挑もうと思いました」

──大河ドラマ、特に戦国時代の音楽で欠かせないポイントは何でしょうか。

「私の場合は決して流行だけのサウンドにならず、絶対に古くならない音を考え、時間の洗礼を受けてきたオーケストラの音色を使うことと、大河ドラマがそれまでに創り上げてきた響き、伝統、特に世界共通語であるオーケストラサウンドの中で響かせる日本人の個性。それを崩すこと無く次の新しさと私自身の個性で音楽を創ること。『大河ドラマの音楽』という伝統の継承と、革新がメインのコンセプトでした。『風林火山』の場合はNHK交響楽団のテーマ演奏とワルシャワフィルハーモニー管弦楽団の劇伴演奏のバランス、世界トップクラスのオーケストラと対峙すること、そして演奏をひき出すことでさらに良い仕事ができたと思います」

演歌とロマン派音楽の要素

千住が指摘した大河ドラマの「伝統」や「日本人の個性」とは何か。もっと過去の作品を聴けば分かるだろう。戦国時代の同じ武将を扱った1988年の「武田信玄」のテーマ曲を聴いてみよう。作曲は山本直純。「男はつらいよ」シリーズや「二百三高地」などの映画音楽、1976年の大河ドラマ「風と雲と虹と」の音楽でも知られる。小澤征爾や中村紘子も出演したTBSテレビ番組「オーケストラがやって来た」の司会でも人気を博した。

山本の「武田信玄」テーマ曲は三部形式で構成され、前半が「風」、中間部が「林」、後半が「火」と「山」を表現している。千住も山本の構成を踏襲しているのが分かる。ただし山本の楽曲ではイ短調の「風」の主題がいきなり始まる。しかもその主題はイ短調の自然短音階を下行し上行する素朴な旋律となっている。小島美子著「音楽からみた日本人」(NHK出版)によると、民謡など日本の伝統的な旋律の場合、大きな音程差で「跳んでいくような動き方は例外的」という。音階を順々に上行下行するのが基本になる。山本の旋律は日本の伝統にかなっている。

中間部の旋律はハ長調の五音音階。「林の如く」の場面だが、より民謡調だ。この旋律はヘ長調(F)に転調して一段と美しく歌い上げられる。そして後半は再びイ短調で「風」の主題が再現され、声明風の合唱と打楽器群が加勢して強力に「火」と「山」を表す。三部形式は全体で「Am→(C→F)→Am」という平行調と近親調を軸にしたシンプルな調性の構成だが、そこには日本人が好む音楽が詰まっている。それは民謡や演歌、歌謡曲のほか、チャイコフスキーやドヴォルザーク、マーラーなど近代日本が吸収したロマン派音楽の要素である。

米国人作曲家によるテーマ曲

クラシック音楽ファンを「西洋かぶれ」と呼ぶ人はいない。それらはとっくに人類共通の音楽遺産であり、世界中の人々が日々演奏し聴いている。「日本のオーケストラが演奏するブラームスの交響曲は本物ではない」などと言うのは馬鹿げている。一方、「日本の音楽」と思ってきた大河ドラマのテーマ曲を近年では外国人が作曲するケースも出てきた。米国人作曲家ジョン・グラムの「麒麟がくる」はどうか。山本の「武田信玄」のようにシンプルな構成ながら、日本的な響きのツボを押さえていてなかなかおもしろいではないか。


麒麟がくる(2020/ジョン・グラム)|広上淳一 – NHK交響楽団

明智光秀と織田信長の結末を予感させる悲壮の旋律は、ニ短調の音階(第6音が半音高いので実際はDドリアン音階)を緩やかに上行して下行し、日本の民謡調を表出する。2拍目に印象深い打楽器音が鳴る。これは芥川也寸志作曲の大河ドラマ「赤穂浪士」(1964年)のテーマ曲で鳴らされる鞭の打音と似ている。やはり三部形式で、主題の再現部ではイ短調(Aドリアン音階)に転調し、声明風の合唱が加勢する。米ハリウッド映画音楽界のベテラン作曲家だけあって、歴代大河ドラマの音楽を研究したうえでの熟練の技が冴える。

もう一人、米国人作曲家エバン・コールの「鎌倉殿の13人」のテーマ曲は、恐らく欧米人が「日本的」な響きの典型と思っている要素を詰め込んだ結果、日本の視聴者にも刺さる音楽に仕上がっている。和太鼓を含む打楽器群が特徴的なリズムを終始刻むノリのいい音楽は、「荒野の七人」など米国の西部劇の映画音楽を思わせる。だが金管が重厚に鳴らす旋律の調性は日本の大河伝統の力強い短調(この曲ではニ短調)だ。声明風の合唱、太刀音、演歌のようなこぶし、民謡風の女声――。日本的音素材をてんこ盛りにして猛々しく突き進む。

自国文化の体験が重要に

日本文化への関心が海外で高まることは日本人にとって光栄である。それはベートーヴェンやワーグナーの音楽が世界中で敬愛されることにドイツ人が誇りを持つのと同じだ。しかしインターネットが浸透したグローバル社会の今、日本らしい音素材を探究して作曲することは外国人にもできてしまう。こうした状況では、伝統の大河ドラマの音楽は日本の作曲家が書くべきだと思いたくなる。だが一方で、日本人としての自信と誇りを持ち、外国人作曲家の日本的な楽曲を微笑ましく捉え、興味深く聴いて楽しむ余裕も欲しい。

「再び誰もが納得し、感心する、風格と気品と技のある『大河ドラマの音楽』の出現こそ革新であり、それに期待します」と千住は回答してくれた。人工知能(AI)の普及に伴い、「日本的な音楽の生成」も可能になる時代。だからこそ日本の古典文学の読書、能楽の鑑賞、祭りや年中行事、ふるさとの思い出など、日本人としての自国文化の体験が重要になる。

「クラシック名曲 ポップにシン・発見」全編 >

池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
音楽ライター。日本経済新聞社シニアメディアプロデューサー兼日経広告研究所研究員。早稲田大学商学部卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。日経文化事業情報サイト「art NIKKEI」にて「聴きたくなる音楽いい話」を連載中。
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