今月の音遊人
今月の音遊人:佐渡裕さん「音楽は、“不要不急”ではない。人と人とがつながり、ともに生きる喜びを感じるためにある」
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ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅
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2016.11.16
tagged: キューバ, 音楽めぐり紀行, ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ, BUENA VISTA SOCIAL CLUB, アフロキューバン・オールスターズ, サルサ
最近、ダウンロードした音楽を聴くことが多くなり、CDに手を伸ばす機会がめっきり減った。でも、棚の奥を探してみたら……あった!『BUENA VISTA SOCIAL CLUB』や『A Toda Cuba Le Gusta』『Distinto Diferente』――。20年近く前のキューバ音楽のアルバムだ。
2015年、アメリカとの外交関係再開以来、世界中の注目を集めているキューバ。この日も、魅力的な投資先として、ニュースでキューバの名が流れていた。この国は、これから加速度的に変化していくのだろう。
私がキューバを初めて訪れたのは、アメリカのミュージシャン、ライ・クーダーが、キューバ国外ではほとんど知られることもなかった老練なミュージシャンたちを集めて「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」を結成し、脚光を浴びたころ。アルバム『BUENA VISTA SOCIAL CLUB』はご存知の方も多いだろう。
同じごろによく聴いていたのが、「アフロキューバン・オールスターズ」によるアルバム『A Toda Cuba Le Gusta』や『Distinto Diferente』。「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」と同じメンバーが多く参加しているが、こちらの音楽は陽気で軽快、カラフルさを感じさせた。
そして、行ってみたくなったのだ。1932〜1962年まで「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」という会員制音楽クラブが実在していたというこの国に!会員制といっても、そこに集まるのは決して裕福とはいえない人々だったが、夜になると音楽やダンス、ラム酒と葉巻、そしてお洒落を楽しんだという。
勝手に膨らませたイメージとともに、私はキューバに向かった。
キューバは東西に細長い国だ。東の端、キューバ最古のスペイン人居住区であり、キューバの最初の首都でもあるバラコアから、革命発祥の地、サンティアゴ・デ・クーバへ。さらに、古都トリニダーからチェ・ゲバラが眠るサンタ・クララ、そして首都ハバナへ。当時はまだ食糧などは乏しかったように記憶しているが、音楽はあふれていた。鮮やかな街並み同様に人々は陽気で、音楽があるところには必ずといっていいほど踊っている人の姿があった。
キューバの文化には、この国が歩んできたさまざまな歴史が映し出されている。恥ずかしながら、音楽もそのひとつだということを私は旅をしながら知ることになった。
キューバ音楽は、アフリカ人たちが奴隷としてキューバに連れてこられたときから始まったといっていい。ほとんどがアフリカの太鼓のリズムとスペインのギターによるサウンドに由来し、その後、さまざまな要素が加わって「ソン」と呼ばれるキューバの伝統音楽のジャンルが誕生した。ソンはルンバのほか、20世紀中ごろにニューヨークのキューバ移民の間で生まれたサルサにも影響を与えたという。
知らずに聴いていたが、『BUENA VISTA SOCIAL CLUB』の音楽もそのほとんどがソンだという。
小さくてかわいらしい街、バラコアでは、夜になると野外に設けられたスペースに人々が集まり、ソンとダンスを楽しんでいた。甘いモヒートを飲みながら、私も思わず体を揺らしてしまう。
サンティアゴ・デ・クーバで訪れたクラブで流れていたのは、キューバンサルサ(ティンバ)。さんざん口説きまくったくせに、私のキューバンサルサのヘタさに愛想をつかし、足の長い女の子と華麗に踊っていた地元男子もいたっけ……。
コロニアルな建物が立ち並ぶトリニダーの夜は、あちこちの店からソンやサルサ、アフロキューバン音楽などが染み出していた。
情熱的な音楽文化の計り知れないエネルギーのようなものに飲み込まれた私は、いい意味で些末なことなどどうでもよくなった。
あのころのアルバムをもう一度聴いてみる。旅で感じた感覚が、音楽とともに鮮やかに蘇ってくる。新しいエネルギーをまとったあの国を、また旅したくなった。
文/ 福田素子
photo/ キューバ共和国観光省
tagged: キューバ, 音楽めぐり紀行, ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ, BUENA VISTA SOCIAL CLUB, アフロキューバン・オールスターズ, サルサ
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