Web音遊人(みゅーじん)

マルク=アンドレ・アムラン

その夜のピアノは、聴衆を“別世界”へといざなった/マルク=アンドレ・アムラン ピアノ・リサイタル

銀座にいながら、特別仕様車で音楽の旅を楽しんでいるかのような気分。エンジンたるピアノはいたって快調、ハイウェーをどんなに高速で飛ばしても安定走行で、さほど高速に思えない。揺れのないシートにもたれて流れる景色を楽しめる。そんな痛快なひとときを堪能できるのは、スーパードライバーのなせる技だ。この日のピアニスト、マルク=アンドレ・アムランは、それほどの超人であった。

総じて抑揚の効いた演奏。音量、強弱、剛柔、濃淡、速度などの変化の幅が広いにもかかわらず、驚くべき操作性でムラや力みがない。また、余剰なパフォーマンスも一切ない。客席を丸ごと、静かに「別世界」へ連れて行くのだった。

マルク=アンドレ・アムラン

ハイドンの「ピアノ・ソナタ第48番(第58番)」はチェンバロ風の音色を醸し、妖精の楽しげなおしゃべりのごとく、音の粒が鍵盤で楽しげに歌ったり踊ったりして、気分は春。超高速アルペジオやオクターブでのアップダウンも、ごく自然な速さに聴こえるから不思議。加えて、低音も明瞭で新鮮な響きだった。

サムイル・フェインベルクの「ピアノ・ソナタ第2番」は、スクリャービンやシューマンを連想する幻想的な曲。柔らかなキータッチで、何か起きそうな予兆を思わせつつ、混沌とした世界を紡ぎ出していく。続く「ピアノ・ソナタ第1番」も、まるでショパンやスクリャービンの幻影をコラージュしたかのような曲だが、アムランのピアノの響きは常にクリアで、暖かさや明るさを放ちながらも凛としている。そのせいか、フレーズ感が希薄でおぼろな夢を見ているような曲調でも、聴き手の意識は途切れることなく、無に近い心持ちでじっと耳を傾けているように思えた。

ベートーヴェンの「熱情ソナタ」では、神業のような速度チェンジや究極の強弱で、ピアノがうなるように鳴り響いた。音の強弱を大小で表現してしまう人が多い中、アムランの“強”は音の芯に頭突きするような打鍵で、感服するばかり。高飛び込みのノースプラッシュの入水を思わせる鋭さがある。しかも、第1楽章や第3楽章は遊園地のジェットコースターを連想するハイスピード。だが決して急いでいるわけではない。お決まりのことで堂々たるものだ。同時に、リストの難曲超絶技巧を聴いている気分もした。対して第2楽章では聴き手がゆったり呼吸でき、左右の手が優しく語り合うフレーズは幸福感をまとう。

マルク=アンドレ・アムラン

休憩をはさんで、最後はシューマンの「幻想曲」。人間らしい昂揚感や雄々しさを押し出すように始まり、後半は対照的に静かな叙情や内省をペダルの残響もたっぷり使って表現していた。よくある曖昧なテイストのシューマン演奏とは一味違い、抑揚をはっきりつけて粛々と吟じるようでもあった。

ドビュッシーやシューマンの小品を含め4曲のアンコールの中では、アムランのオリジナル曲「武装した人によるトッカータ」(Toccata on l’homme armé)が印象的だった。両手を駆使した繊細なアルペジオやスケールが即興のように続く、昨年の「ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール」の委嘱作品。派手なパフォーマンスはなくとも、彼の特技の結晶のように思えた。

マルク=アンドレ・アムラン

原納暢子〔はらのう・のぶこ〕
音楽ジャーナリスト・評論家。奈良女子大学卒業後、新聞社の音楽記者、放送記者をふりだしに「人の心が豊かになる音楽情報」や「文化の底上げにつながる評論」を企画取材、執筆編集し、新聞、雑誌、Web、放送などで発信。近年は演奏会やレクチャーコンサート、音楽旅行のプロデュースも。書籍『200DVD 映像で聴くクラシック』『200CD クラシック音楽の聴き方上手』、佐藤しのぶアートグラビア「OPERA ALBUM」ほか。
Lucie 原納暢子

 

特集

ジェイク・シマブクロ

今月の音遊人

今月の音遊人:ジェイク・シマブクロさん「音のかけらを組み合わせてどんな音楽を生み出せるのか、冒険して探っていくのは楽しい」

8833views

【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase2)チャイコフスキー『スラブ行進曲Op.31』 傷病兵救済の慈善演奏会、U2のキーウ地下鉄ライブにつながるか

音楽ライターの眼

【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase2)チャイコフスキー『スラブ行進曲Op.31』 傷病兵救済の慈善演奏会、U2のキーウ地下鉄ライブにつながるか

2048views

マーチングドラムの必須条件とは?

楽器探訪 Anothertake

マーチングドラムの必須条件とは?

11032views

楽器のメンテナンス

楽器のあれこれQ&A

大切に長く使うために、屋外で楽器を使うときに気をつけることは?

51701views

今、注目の若き才能 ピアニスト實川風が ドラム体験レッスン!

おとなの楽器練習記

【動画公開中】今、注目の若き才能 ピアニスト實川風が ドラム体験レッスン!

8601views

音楽市場を広げたい、そのために今すべきこと/ジャズクラブのブッキング・制作の仕事(後編)

オトノ仕事人

音楽市場を広げたい、そのために今すべきこと/ジャズクラブのブッキング・制作の仕事(後編)

7211views

メニコン シアターAoi

ホール自慢を聞きましょう

五感で“みる”ことの素晴らしさを多くの方と共感したい/メニコン シアターAoi

2585views

東京交響楽団&サントリーホール「こども定期演奏会」

こどもと楽しむMusicナビ

子ども向けだからといって音楽に妥協は一切しません!/東京交響楽団&サントリーホール「こども定期演奏会」

10677views

民音音楽博物館

楽器博物館探訪

16~19世紀を代表する名器の音色が生演奏で聴ける!

11227views

5 Gravities

われら音遊人

われら音遊人:5つの個性が引き付け合い、多様な音楽性とグルーヴを生み出す

1740views

山口正介

パイドパイパー・ダイアリー

大人の音楽レッスン、わたし、これでも10年つづけています!

7046views

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅

29684views

おとなの楽器練習記

おとなの楽器練習記:独特の世界観を表現する姉妹のピアノ連弾ボーカルユニットKitriがフルートに挑戦!

4510views

ギター文化館

楽器博物館探訪

19世紀スペインの至宝級ギターを所蔵する「ギター文化館」

14710views

音楽ライターの眼

連載26[ジャズ事始め]なぜ穐吉敏子も渡辺貞夫もファンキー・ジャズのムーヴメントに染まらなかったのか?

4130views

JTBロイヤルロード銀座

オトノ仕事人

日本では出逢えない海外の音楽体験ツアーを楽しんでいただく/海外への音楽旅行の企画の仕事

6916views

われら音遊人

われら音遊人:大学時代の仲間と再結成大人が楽しむカントリー・ポップ

4366views

reface

楽器探訪 Anothertake

個性が異なる4機種の特徴、その楽しみ方とは?

7501views

札幌コンサートホールKitara - Web音遊人

ホール自慢を聞きましょう

あたたかみのあるデザインと音響を両立した、北海道を代表する音楽の殿堂/札幌コンサートホールKitara 大ホール

17718views

パイドパイパー・ダイアリー

パイドパイパー・ダイアリー

もしもあのとき、バイオリンを習っていたら

5575views

ヤマハ製アコースティックギター

楽器のあれこれQ&A

目的別に選ぶ、ヤマハ製アコースティックギター

7565views

こどもと楽しむMusicナビ

“アートなイキモノ”に触れるオーケストラ・コンサート&ワークショップ/子どもたちと芸術家の出あう街

6816views

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする Web音遊人

音楽めぐり紀行

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする

9904views