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今月の音遊人:横山剣さん「音楽には、癒やしよりも刺激や興奮を求めているのかも」
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上海租界に誕生した楽壇の実像を生々しく描き出す一冊/亡命者たちの上海楽壇 租界の音楽とバレエ
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2019.9.13
tagged: ブックレビュー, 亡命者たちの上海楽壇 租界の音楽とバレエ, 井口淳子
謎めいたタイトルが印象的な『亡命者たちの上海楽壇 租界の音楽とバレエ』。ミステリーのようでもあるが、その内容は、科学研究費助成事業による緻密な共同研究を基に、1920年から40年代の上海楽壇の実像を描いた音楽書。
上海租界とは、「いずれの国にも属さない」特異な都市空間。ここに、ロシア革命やドイツ・ナチの迫害などから逃れた亡命者たちが「磁石のように」引き寄せられ、最高水準の専門教育を受けた芸術家たちが母国で叶えられなかった夢を実現する場を築き上げた。それが上海楽壇である。19世紀半ばから、音楽、バレエ、オペラ、オペレッタ、ジャズ、ダンス音楽、映画など、ありとあらゆるジャンルの、しかも世界最先端の豊かな西洋文化が、ここに根付いていった。
本書のエッセンスがまとめられた「はじめに」の1ページ目から、租界という地の独特な文化に深く引き込まれていく。背景には戦争という激動の歴史があり、それによって日本にも、上海楽壇に花開いた西洋音楽文化がもたらされた経緯も明らかになっていく。租界や上海楽壇という切り口から、新たに日本の興行の歴史が浮かび上がるさまはスリリングでもある。
著者は、中国をフィールドとする民族音楽学研究が専門の井口淳子。2011年、6名の共同研究者によって「租界という多言語空間を劇場文化の切り口でみていく」という、野心的な研究が始められた。彼らが着目したのは、当時、上海租界で発行されていたイギリス、フランス、ドイツ、ロシア、日本など各国語の新聞。とくに貴重な情報源となったのは、公演日やプログラム、出演者、チケット料金など、毎日の公演内容が凝縮された「劇場広告欄」だった。
1939年4月7日付けの英字日刊紙「ザ・チャイナ・プレス」には、ウィーンから東京に亡命中だったレオ・シロタのピアノ・リサイタルの広告が掲載されていた。会場は、上海楽壇の中心的存在であったライシャム劇場。1866年にイギリス人によって建てられた西洋式のこの劇場は、今も現役として稼働しているという。ここで戦時中、指揮者の朝比奈隆が何度もタクトをとった記録にも驚かされる。
研究から集積された膨大なデータには、ほかにも服部良一(作曲家)、中川牧三(声楽家)、小牧正英(バレエダンサー)らの名前も登場。西洋音楽が戦後の日本に定着していく過程で、どのような人がどうかかわったかが掘り下げられていく。静かに、淡々と語られるからこそ力を増す歴史の躍動感は、まるでモノクロの映画を観ているかのようだ。劇場広告がびっしり並んだ当時の新聞や舞台写真、公演プログラムの表紙、その中面といった豊富な資料もまた、想像力をかきたてる。
上海楽壇の潮流が、アウセイ・ストロークという、ひとりのユダヤ人コンサート・プロモーターによってアジア諸都市へと広がっていく全容も、新聞記事と広告から抽出される。当時、日本国内は急速な工業都市化が進み、主要都市に続々とホールが建設されていた時期。1919年10月には大型ロシア・オペラ団のアジアツアーが、東京の帝国劇場ほか、横浜、大阪、京都、神戸を巡演。日本ツアーの後には、上海、マニラ、インドでも巡業された9か月におよぶ大型ツアーだった。このツアーをはじめとして、ストロークがマネジメントした1918年から41年までのアジアツアーの一覧には、バイオリニストのハイフェッツやピアニストのクロイツァーの名もあり、実に興味深い。
読み応え充分な読み物として、また、今に続く生々しい音楽史を知る資料として、音楽にかかわるすべての人にお勧めしたい1冊。とくに、アートマネジメントに携わる人や、アートマネジメントを勉強している学生には、必読の書と言ってもいいだろう。
『亡命者たちの上海楽壇 租界の音楽とバレエ』
著者:井口淳子
発売元:音楽之友社
発売日:2019年2月
価格:2,600円(税抜)