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戦国大名たちが聴いた西洋音楽から、キリスト教弾圧の時代をくぐり抜けた祈りの歌まで。音楽考古学で探る日本史の謎/キリシタン音楽入門 洋楽渡来考への手引き

2020年4月19日、古楽と称される音楽(中世~ルネサンス~バロック音楽)を長きにわたって献身的に、そしてわかりやすく案内し続けてきた皆川達夫さんが天国へと召された。さまざまな著書はもちろん『バロック音楽のたのしみ』『音楽の泉』といったラジオ番組でのトーク、そして自らが主宰した中世音楽合唱団のコンサートなど、あらゆる活動は偉業と呼ぶにふさわしいものだったと断言できる。

その一方で皆川さんは、日本におけるキリスト教の伝来と布教についても興味を抱き、その時代に歌われていた聖歌などの音楽、さらにはキリスト教弾圧の時代にひっそりと受け継がれていた「オラショ」と呼ばれる祈りの言葉などの研究も行っていた(「オラショ」という呼称はラテン語で祈りを意味する「Oratio」に由来)。
16世紀の中頃にキリスト教が伝来し、織田信長をはじめとする戦国時代の武将たちがしのぎを削っていた時代から、権力が豊臣家から徳川家に移って鎖国政策が行われる17世紀の初頭まで。日本における信者たち(キリシタン)や来日した宣教師にとって激動の時代でもあった1世紀弱の期間は、さまざまな繁栄も悲劇も生んだのである。
特に豊臣の時代から江戸時代にかけ、キリスト教が弾圧の対象となってからの悲劇は筆舌に尽くしがたく(社会派映画監督のマーティン・スコセッシが撮った『沈黙─サイレンス─』という作品でも、その一端が描かれている)、4人の少年を中心とした天正遣欧少年使節や天草四郎など、悲劇のヒーローたちも生み出した。

政策によって信仰の有無を問われた人々の中には「踏み絵」などで試された挙げ句に改宗する者もいたが、信仰を捨てずに隠れてキリストの絵画や観音様に見立てた聖母マリア(マリア観音)を拝み、祈りの言葉や聖歌を日本風に変えて、権力者や監視者たちの目を逃れた人々もいたのだ。
それが「潜伏キリシタン、隠れキリシタン」などと呼ばれる人たちであり、ラテン語を日本語に聞こえるよう苦肉の策で工夫した祈祷文が「オラショ」である(節を付けて歌われるものが「歌オラショ」)。この文化は西九州の長崎と周辺地域(天草、平戸、五島列島など)に残り、2018年になって世界遺産に指定されたことをご存知の方もいらっしゃるだろう。

この「オラショ」は実に不思議なものである。たとえばラテン語の聖歌である「ラウダテ・ドミヌム(Laudate Dominum omnes gentes=すべての国よ、主を賛美せよ)」は「らおだて、どみのー、ぜんてー」という具合に、その地に伝わる民謡のように響く。吹奏楽がお好きな方であるなら伊藤康英作曲による「ぐるりよざ」という曲をご存知かもしれないが、これも「オラショ」からヒントを得て生まれた作品だ(ぐるりよざ=Gloriosa/栄光の)。

皆川さんはわずかに残された「オラショ」「歌オラショ」を元に、当時の記録や信者たちの祈りの形をまとめた指南書のようなものに目を通し、「歌オラショ」のオリジナル作品(ラテン語聖歌)を求めてヨーロッパなど各地へ足を運ぶ。なにしろ「オラショ」は表に出てはいけない“秘儀”のようなものだから口頭での伝達が基本であるため、古文書のようなものを捜索しても形として残ってはいないのだ(そんなものを持っていることがわかれば罰せられてしまうからである)。
そうした歴史を解明していく皆川さんは、まるで音楽考古学のヒーローと化したインディ・ジョーンズのようでもあり、謎解きから隠された悲劇を紡ぎ出す金田一耕助のようでもある。天正遣欧少年使節の4人と、通訳として同行したメスキータ神父の肖像画が表紙を飾る『キリシタン音楽入門』は、そうした探索の成果をわかりやすく私たちに伝えてくれるガイド本なのだ。

戦国時代のキリシタン大名や信者たちはどういう音楽を、楽器の音を聴いたのか。ヨーロッパを訪問した天正遣欧少年使節たちは、現地でどのような音楽を聴いたのか。
音楽ファンはもちろん、歴史ファンや戦国時代ファンであれば、登場するさまざまな名前や時代背景、解明されていく「オラショ」や「歌オラショ」の秘密などに興奮をおぼえることだろう。専門書のような印象があるものの、読みやすく、ちょっとした歴史の脇道に足を踏み入れて宝を見つけるような一冊である。

■インフォメーション

『キリシタン音楽入門 洋楽渡来考への手引き』

著者:皆川達夫
発売元:日本キリスト教団出版局
発売日:2017年4月25日
価格:1,600円(税抜)
詳細はこちら

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