今月の音遊人
今月の音遊人:横山剣さん「音楽には、癒やしよりも刺激や興奮を求めているのかも」
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2021年はフランスを代表する作曲家のひとり、カミーユ・サン=サーンス(1835~1921)の没後100年にあたる。サン=サーンスは1835年10月9日、内務官吏の父と絵画の素養のある母のもと、パリに生まれた。しかし、父親はサン=サーンスの生後まもなく世を去ったため、母親とピアニストの大伯母に育てられた。
天才作曲家は短命な人が多いが、2歳半でピアノを弾き始め、3歳でピアノ曲を作曲し、5歳のときにパリのサロンでピアノを弾き、7歳でオルガンを習い、10歳でモーツァルトとベートーヴェンのピアノ協奏曲を弾いてデビューしたというサン=サーンスは、珍しく86歳という長寿をまっとうしている。
とても音感のすぐれた子どもだった彼は、幼いころから作曲を始め、あらゆるジャンルに多くの作品を残した多作家として知られる。ピアニスト、オルガニスト、教育者、指揮者、批評家としての顔も備え、詩や戯曲、哲学、天文学などにも才能を発揮するなどきわめて多才で、いわゆる教養人だった。
1857年にはオルガニストたちの羨望の的であるパリのマドレーヌ教会のオルガニストのポストに就任、以後20年近く即興演奏や自作などを奏でて名を上げた。
生前認められず貧困にあえぐ作曲家が多いなか、サン=サーンスは生涯を通じて栄光に恵まれたが、私生活の面では53歳のときに最愛の母を亡くし、一時は自殺を考えるほど落ち込んだ。やがて孤独な放浪者となり、アルジェリアやエジプトをはじめとする世界各地に旅に出かけ、その土地から得たインスピレーションを自らの作品に託し、異国情緒豊かな曲を生み出すようになっていく。
晩年はフランスでの人気も凋落し、アフリカへの旅が増えていった。そして1921年12月16日、パリの寒さを避けて訪れたアルジェで孤独な死を迎えた。
パリのオデオン広場から斜め右前方のカシミール通りを経て、ムッシュー・ル・プランス通りを右に折れた右側の14番地には、サン=サーンスが1877年から89年まで住んだアバルトマンが赤レンガ造りの威風堂々たる姿を見せている。この4階の左半分がサン=サーンスの住まいで、入口には3人の女人像の浮き彫りが見られる。
この没後100年の記念の年にフランスの実力派、ヴァイオリンのルノー・カピュソン、チェロのエドガー・モロー、ピアノのベルトラン・シャマユがあまり演奏されないソナタとトリオをレコーディングし、世に送り出した。3人は祖国の偉大な作曲家の作品を広めようと、上質で緊密で緊迫感に富む演奏を繰り広げている。こういう年だからこそ生まれた録音、貴重な音の記録である。
アルバム『Saint-Saens: Sonates et Trio/サン=サーンス:ソナタとトリオ』
発売元:ワーナーミュージック・ジャパン
発売日:2020年11月27日
価格:オープン価格
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伊熊 よし子〔いくま・よしこ〕
音楽ジャーナリスト、音楽評論家。東京音楽大学卒業。レコード会社、ピアノ専門誌「ショパン」編集長を経て、フリーに。クラシック音楽をより幅広い人々に聴いてほしいとの考えから、音楽専門誌だけでなく、新聞、一般誌、情報誌、WEBなどにも記事を執筆。著書に「クラシック貴人変人」(エー・ジー出版)、「ヴェンゲーロフの奇跡 百年にひとりのヴァイオリニスト」(共同通信社)、「ショパンに愛されたピアニスト ダン・タイ・ソン物語」(ヤマハミュージックメディア)、「魂のチェリスト ミッシャ・マイスキー《わが真実》」(小学館)、「イラストオペラブック トゥーランドット」(ショパン)、「北欧の音の詩人 グリーグを愛す」(ショパン)など。2010年のショパン生誕200年を記念し、2月に「図説 ショパン」(河出書房新社)を出版。近著「伊熊よし子のおいしい音楽案内 パリに魅せられ、グラナダに酔う」(PHP新書 電子書籍有り)、「リトル・ピアニスト 牛田智大」(扶桑社)、「クラシックはおいしい アーティスト・レシピ」(芸術新聞社)、「たどりつく力 フジコ・ヘミング」(幻冬舎)。共著多数。
伊熊よし子の ークラシックはおいしいー