Web音遊人(みゅーじん)

ロシアン・ピアニズムに育まれた異彩を放つイタリア出身の俊英/エマニュエル・リモルディ ピアノ・リサイタル

鬼才ピアニスト、イーヴォ・ポゴレリチに「彼は並外れた才能の持ち主である」と絶賛されたイタリア出身の俊英、エマニュエル・リモルディのリサイタルが、2021年6月20日、ヤマハホールで開催された。前年からのコロナ禍で日本での公演が4回も中止、延期となり、やっと実現したファン待望のリサイタルである。

リモルディはルーマニア人の母とイタリア人の父との間にミラノで生まれ、ミラノ・ヴェルディ音楽院にてピアノと作曲を学んだ後、チャイコフスキー記念国立モスクワ音楽院にて、名ピアニストであり名教師のエリソ・ヴィルサラーゼのもとで5年間研鑽を積んだ。トップ・オブ・ザ・ワールド国際コンクール(ノルウェー)優勝、マンハッタン国際音楽コンクール(アメリカ)グランプリ受賞及び審査委員長を務めたイーヴォ・ポゴレリチより特別賞を授与したことなどをきっかけに、国際的な演奏活動を繰り広げている。

ミラノ大学哲学部で音楽と哲学の関係性についての講座を受け持つ彼のリサイタルには毎回コンセプトやテーマがあり、チラシやプログラムのデザイン、曲目解説に至るまですべて彼自身が手がけ、独自の美意識が貫かれている。バッハ『パルティータ第1番』、シューマン『フモレスケ』、ムソルグスキー『展覧会の絵』という今回のプログラム、一見何の関係もないように感じられる曲目が、リモルディの魔術によってどのように関連づけられるのだろうと興味深く会場に足を運んだ。

今回のテーマは、部分(パーツ)に分かれた作品を統合させる妙にあるようだ。プログラムノートに書かれた「バッハは古典舞曲によって、シューマンはユーモア(フモレスケ=ユーモアのある雰囲気)よって、そしてムソルグスキーは絵画によってそれぞれの部分が互いに強烈に結びついています」という彼の言葉に、演奏への期待が高まる。

穏やかな笑みを浮かべてステージに登場したリモルディ。明るく澄んだ音色でバッハ『パルティータ第1番』が生き生きと奏でられていく。時折ハッとさせられるような対旋律が鮮やかに浮かび上がり、このピアニストの洗練された感性を感じさせる。天上に一歩ずつ向かうようなメロディをのびやかに紡ぐプレリュード、疾走感あふれるアルマンドとクーラント、チェンバロを思わせる音色で優雅に歌うサラバンド、装飾音がチャーミングな2つのメヌエット、エキサイティングなジーグまで、愛、喜び、憧れ、苦しみ、哀しみ、さまざまな人間の情感が舞い踊っているように感じられる演奏だった。

続いてシューマン『フモレスケ』。シューマン自身が「気楽さと機知との幸運な融合」と語っている作品だが、絶え間ない感情の移ろいを多彩なタッチでメランコリックに彫琢していく。音の奔流に呑み込まれそうになりながら、細やかなニュアンスあふれる楽想に魅了された。

後半は、ムソルグスキー『展覧会の絵』。ラヴェルが華麗なオーケストラ・ヴァージョンに仕立て直し、以前は管弦楽で演奏されることが多かった作品だが、近年はオリジナルのピアノ作品としての真価が認められ、力量あるピアニストたちが、ピアノという楽器の幅広いダイナミクスと表現力の可能性を追求した演奏を披露している。

この異彩を放つ若者がこの作品にどのように対峙するのだろうかとワクワクしながら聴いた。彼の魅力は、何と言ってもダイナミックな表現力と色彩感あふれる音色のパレットだ。最初の一音から輝きに満ちた打鍵で、ムソルグスキーの親友だった画家、ヴィクトル・ハルトマンの絵画の世界をみずみずしく描き出していく。激情にかられたような凄まじい強音、それとは対照的な精妙な弱音、幅広いダイナミクスと彩り鮮やかな音色を巧みに操り、終曲の『キエフの大門』の絢爛たるクライマックスに至るまで、恐るべき集中力を発揮し、壮大な音楽で聴衆を圧倒した。

鳴りやまない拍手に応えて、アンコールの1曲目はリゲティ『練習曲 第1巻 第5曲「虹」』。興奮冷めやらない客席に静寂をもたらすかのように、フワッと不思議な浮遊感を感じさせる旋律とハーモニーが会場を満たしていく。さらに拍手が続き、ステージに何度か呼び戻されたリモルディの最後の演奏は、チャイコフスキー『四季 6月「舟歌」』。たゆたうリズムに乗せてロシアの抒情を味わい深く聴かせ、幻想的な余韻を残してリサイタルの幕を閉じた。

日本の浮世絵などの文化・芸術や歴史に興味を持ち、宮本武蔵の『五輪書』に心酔しているというリモルディ。今後は日本での活動をさらに広げたいとのことなので、この類まれな天才ピアニストが次はどんな音楽世界を見せてくれるのか、期待に胸が膨らむ。

 

森岡葉〔もりおか・よう〕
音楽ジャーナリスト。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。1974年~76年、北京言語学院、北京大学に留学。著書に「望郷のマズルカ-激動の中国現代史を生きたピアニスト フー・ツォン」(ハンナ)、訳書に「ピアニストが語る! 現代の世界的ピアニストたちとの対話」シリーズ第1巻「ピアニストが語る!」、第2巻「音符ではなく音楽を!」、第3巻「作曲家の意図はすべて楽譜に!」、第4巻「静寂の中に、音楽があふれる」(アルファベータブックス)、共著に「知っているようで知らない エレクトーン おもしろ雑学事典」(ヤマハミュージックメディア)。

 

特集

今月の音遊人

今月の音遊人:大石昌良さん「僕がアニソンと出会ったのは必然だったんだと思います」

5596views

音楽ライターの眼

英国スペース・ロックの君主ホークウィンドが新作『ソムニア(夢)』を発表

1781views

アコースティックギター「FG9」

楽器探訪 Anothertake

力強さと明瞭さが拓くアコースティックギターの新たな可能性

2126views

楽器のあれこれQ&A

目指せ上達!アコースティックギター初心者の練習方法とお悩み解決

96943views

おとなの 楽器練習記 須藤千晴さん

おとなの楽器練習記

【動画公開中】国内外で演奏活動を展開するピアニスト須藤千晴が初めてのギターに挑戦!

7507views

音楽市場を広げたい、そのために今すべきこと/ジャズクラブのブッキング・制作の仕事(後編)

オトノ仕事人

音楽市場を広げたい、そのために今すべきこと/ジャズクラブのブッキング・制作の仕事(後編)

7039views

秋田ミルハス

ホール自慢を聞きましょう

“秋田”の魅力が満載/あきた芸術劇場ミルハス

4336views

こどもと楽しむMusicナビ

クラシックコンサートにバレエ、人形劇、演劇……好きな演目で劇場デビューする夏休み!/『日生劇場ファミリーフェスティヴァル』

6469views

上野学園大学 楽器展示室」- Web音遊人

楽器博物館探訪

伝統を引き継ぐだけでなく、今も進化し続ける古楽器の世界

12545views

われら音遊人

われら音遊人:ただ今、バンド活動リハビリ中!

7634views

パイドパイパー・ダイアリー

パイドパイパー・ダイアリー

もしもあのとき、バイオリンを習っていたら

5467views

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅

29077views

ぱんだウインドオーケストラの精鋭たちがバイオリンの体験レッスンに挑戦!

おとなの楽器練習記

【動画公開中】ぱんだウインドオーケストラの精鋭たちがバイオリンの体験レッスンに挑戦!

13061views

小泉文夫記念資料室

楽器博物館探訪

民族音楽学者・小泉文夫の息づかいを感じるコレクション

9815views

音楽ライターの眼

ルイ・クープランの魅惑的なチェンバロ音楽を自然体で表現するクリストフ・ルセの妙技

3758views

オトノ仕事人

アーティストの個性を生かす演出で、音楽の魅力を視聴者に伝える/テレビの音楽番組をプロデュースする仕事

7925views

ギグリーマン

われら音遊人

われら音遊人:誰もが聴いたことがあるヒット曲でライブに来たすべての人を笑顔に

1857views

ギター文化館

楽器探訪 Anothertake

歴史的ギターの音を生で聴けるコンサートも開催!

6971views

ホール自慢を聞きましょう

歴史ある“不死鳥の街”から新時代の芸術文化を発信/フェニーチェ堺

8070views

山口正介さん Web音遊人

パイドパイパー・ダイアリー

いまやサクソフォンは趣味となったが、最初は映画音楽だった

6576views

金管楽器のパーツごとのお手入れ方法 - Web音遊人

楽器のあれこれQ&A

金管楽器のパーツごとのお手入れ方法

15162views

こどもと楽しむMusicナビ

クラシックコンサートにバレエ、人形劇、演劇……好きな演目で劇場デビューする夏休み!/『日生劇場ファミリーフェスティヴァル』

6469views

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする Web音遊人

音楽めぐり紀行

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする

9639views