今月の音遊人
今月の音遊人:清塚信也さん「音楽はあやふやで不安定な世界。だからこそ、インテリジェンスを感じることもあります」
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「個性や才能は、『引き出す』というよりも、本人の持っているものを『尊重してあげる』だけでいいんです」
こう語るのはピアニストの川上昌裕。世界的ピアニストとなった辻井伸行の指導者として、また作曲家・カプースチンを日本に紹介し、40作品以上の世界初演を行った演奏家として知られている。近年では、魅力あふれるピアニスト紀平凱成の指導にもあたっている。
その川上が、自身がピアニストになるまでの道のり、ピアノ指導者としての姿勢や教え方の工夫、カプースチンとの出会いと楽譜出版に至るやりとりなど、川上にしか著せない体験をつづった『限界を超えるピアノ演奏法』が出版された。これは2012年刊行の『ピアニストは進化する~「限界」を超える奇跡のピアノ指導』を加筆修正し、文庫化されたもの。本書が、より手に取りやすい形となったことの意義はとても大きい。
とくに、指導法を「発明」し、辻井とともに歩んだ日々の記録である第二章からは、生徒と寄り添うことの本質が読み取れる。新曲に取り組むさい、川上はあらかじめ作品を細分化した録音を聴かせ、楽譜を言葉で伝えて譜読みをさせた。大曲になってもそのやり方をコツコツと続け、辻井は次々にマスターしていく。そのなかで「作曲家からのメッセージをつかめるようにすること」を大切に指導した。こうして磨かれた辻井の演奏は「作品の本質をダイレクトに捉えていると思う」と川上は語る。「辻井君は、作曲家が楽譜に書けなかった部分まで演奏していると感じることがありました。作曲家は、自分のなかで鳴っている音楽をすべて楽譜に書き込めたわけではなく、演奏者は楽譜の奥にある音楽を読み取らなければいけません。辻井君と出会って、私自身もそのことに気づかされたのです」
辻井は見事に限界を超えた。個性を自由に羽ばたかせることと指導すべきことのバランスが随所に読み取れる本書。それは、川上自身が「長い時間をかけてつかんだ実践や考え方」であり、だからこそ、説得力をもってすっと読み手の心に落ちるのだろう。結果として、辻井が世界中で愛されるピアニストになり、カプースチンが日本でも人気作曲家のひとりになったことが、ここに書かれたことを証明している。
冒頭の言葉には続きがある。才能や個性がときに失われてしまうのはなぜなのか、という質問への答えだ。「それは、本人の持っているもの全部を、『尊重してあげていないから』でしょうね」
この言葉の重みは、ピアノ以外の指導や家庭での子育て、人材育成といった、すべての場面にも通じるだろう。普遍的なテーマを深く考えるきっかけになる一冊だ。
『1冊でわかるポケット教養シリーズ 限界を超えるピアノ演奏法』
発売元:ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス
料金:1,045円(税込)
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文/ 芹澤一美
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