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【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase11)滝廉太郎「荒城の月」/もんたよしのり氏と谷村新司氏に聴く“Jマイナー”の魅力

【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase11)滝廉太郎「荒城の月」/もんたよしのり氏と谷村新司氏、“Jマイナー”の魅力

滝廉太郎(1879~1903年)の「荒城の月」は西洋の短音階を取り入れた日本の歌曲の先駆けといわれる。土井晩翠による七五調の文語定型詩と融合し、近代日本の短調の歌を発明した。その後、山田耕筰が原曲の短音階第4音の半音(短2度)上げを解除して編曲し、2種類の「荒城の月」が広まるが、それぞれの日本的短調はJ-POPに脈々と受け継がれている。2023年10月に相次いで亡くなった谷村新司氏、もんたよしのり氏の作品からも“Jマイナー”の伝統を聴ける。

滝の作品数は明確になっているだけで34曲。日本近代音楽の黎明期であり、23歳で早逝した作曲家とはいえ、さすがに少ない。2つのピアノ独奏曲「メヌエット」「憾(うらみ)」を除きすべて歌曲である。単旋律だけ作曲した歌もあり、「荒城の月」もその一つだ。

都節一辺倒から脱却、西洋の半音階に挑む

そもそも日本には西洋音楽でいう長・短音階がなかった。日本の伝統音楽は、雅楽の律音階、民謡に使われた陽音階(田舎節)、筝や三味線による近世邦楽に用いられた陰音階(都節)、琉球音階などで成り立っていた。上・下行形で音使いが異なるものの、いずれもヨナ抜き(第4、7音抜き)やニロ抜き(第2、6音抜き)の五音音階である。

西洋音階を導入しようと思えば、五音音階には無かった音を使ってみる必要がある。当時、西洋音楽は後期ロマン派の時代であり、リヒャルト・シュトラウスやマーラーが半音階を使い、調性の崩壊寸前まで作曲の筆を進めていた。ならば半音に挑む勇気も持つべきだ。滝は「荒城の月」でこの難業に挑んだ。


荒城の月 ( Burgruine im Mondlicht) 土井晩翠 作詞 滝廉太郎 作曲

滝が単旋律で書いた原曲「荒城の月」はロ短調。第7音を除いて自然短音階のすべての音を使っている。しかも「春高楼の花の宴」の歌詞の「え」に当たる短音階第4音のホ音を半音上げて(E♯、嬰ホ。ヘ音と鍵盤上は同じ)、ト→嬰へ→嬰ホ→嬰ヘと短2度を強調している。半音上げの第4音を含む例は、滝が生きた時代で言えば、ブラームスの「交響曲第3番ヘ長調op.90」(1883年)の第4楽章ヘ短調第1主題、ドヴォルザークの「スラブ舞曲第2集op.72」(1886年)の「第2番ホ短調」などで聴ける。

明治政府は欧州列強に伍すため音楽の和洋融合も探った。信濃国高遠藩(現長野県伊那市高遠町)の下級武士の家に生まれた伊沢修二は米国に留学し、ルーサー・メーソンから音楽教育を学んだ。1879年、伊沢の提言で文部省音楽取調掛が開設され、メーソンを招いて『小学唱歌集』を編纂。1887年、伊沢を初代校長にして東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)に改称・創立。その後いったん高等師範学校附属になった1894年、同校に入学したのが滝である。

第4音半音上げを解除した山田耕筰編曲版

滝も豊後国日出藩(現大分県速見郡日出町)の武家の出であり、社会の激変に翻弄された侍の子弟が音楽を志す時代精神もみえる。荒城の詩に滝が惹かれたのも偶然ではない。土井の詩からは、戊辰戦争に敗れた会津藩鶴ヶ城(現福島県会津若松市)や仙台藩青葉城(現仙台市)が想起される。滝は転校先で見た富山城(富山市)や岡城(大分県竹田市)を想定したという。「荒城の月」は「中学唱歌」懸賞作品に入選、日本近代音楽の最初期の成果となった。


滝 廉太郎「 荒城の月」 志摩大喜 Taiki Shima

滝の死後、山田耕筰が「荒城の月」を変・編曲する。1917年、山田は「花の宴」の「え」の音に当たる短音階第4音の半音上げの臨時記号(♯)を削除し、ロ短調からニ短調に移調。8分音符を4分音符に変えて小節数を2倍にし、一部旋律も変更、ピアノ伴奏を付けた。山田編曲版は都節により近い日本らしい旋律になり、学校で歌われ一般に普及していく。

「ダンシング・オールナイト」、渦巻く半音階の衝撃

しかし滝が取り入れた半音階の響きは、西洋音楽に接したときの日本人の感性を表してはいないか。ドイツのロックバンド、スコーピオンズは日本へのリスペクトとして来日ライブで「荒城の月」を演奏したが、「花の宴」の「え」の半音上げは原曲通りだった。この半音含みの音階はマイナー・ブルース・スケールに似ている。英米のロックやブルースの影響を受けた日本のアーティストは、滝のような日本的感性と相まって半音の魅力を意識するのではないか。もんたよしのり氏が作曲した「ダンシング・オールナイト」にもそれが伺える。


もんた&ブラザーズ ダンシング・オールナイト

もんた&ブラザーズとして1980年にリリースした「ダンシング・オールナイト」は、シングルで1980年代最大のヒットとなった。もんた氏の個性的な歌声に加え、半音階的哀調が日本人の琴線に触れたのだ。ここでも短音階第4音の半音の扱いが焦点になる。出だしの歌詞(水谷啓二作詞)の「こころ」の最初の「こ」がト短調音階第4音の半音上げだ。間奏部ギターソロの長いフレーズにも第4音の半音上げを含む半音階進行が登場する(もんた&ブラザーズと松井忠重共同編曲)。

「もんた&ブラザーズ シングル・プラス」(2003年、ユニバーサル)

「もんた&ブラザーズ シングル・プラス」(2003年、ユニバーサル)

都節にさらに半音階を加えれば都会的洗練さや異国情緒が増し、ブルース風にもなる。「ダンシング・オールナイト」はシンプルなスリーコードだが、ブラスやギターの伴奏フレーズは第6,7音を半音上げる旋律短音階も含むため、全曲を通じて半音階が渦巻く印象になり、衝撃度を増す。文句なしの名曲。

「いい日旅立ち」、大らかな“Jマイナー”の美しさ

滝の「荒城の月」に通じる魅力を持つ「ダンシング・オールナイト」だが、日本のポップスの多くはより山田流といえる。半音無しの田舎節や琉球音階になじんできた日本人の耳にも心地良く聴こえる短調だが、名曲はさりげなく凝った半音を使う。

例えば、谷村新司氏が作詞作曲した「いい日旅立ち」。第7音半音上げの和声短音階が一部用いられるだけの、大らかで美しいDマイナー(ニ短調)の歌である。だがサビの歌詞をつなぐ箇所で同主調のD(ニ長調)のコードが現れ、伴奏の旋律に短音階第3音の半音上げが控えめに美しく使われる。これなら五音音階の伝統が長い日本を含むアジアの人々も聴きやすい。ちなみに谷村氏が作詞作曲したホ長調の「昴」には歌の旋律に半音階進行が一つもない。五音音階の田舎節そのものである。

「STANDARD~呼吸(いき)~谷村新司」(2017年、ユニバーサル)

「STANDARD~呼吸(いき)~谷村新司」(2017年、ユニバーサル)

「ダンシング・オールナイト」と「いい日旅立ち」。いずれも滝と山田による2つの「荒城の月」以来、脈々と受け継がれてきた日本的短調(Jマイナー)の魅力を備えている。

日本には演歌・歌謡曲という世界に誇る膨大な音楽文化遺産がある。インターネットが浸透する中で、日本の歌の玉手箱が開き、世界中が“Jマイナー”に日々感動している。谷村氏は中国の上海音楽学院の教授として講義をした映像の中で、100年後、200年後には自分たちの楽曲の中で良いものが「必ずクラシック音楽と呼ばれるようになる」と言っていた。間違いなくクラシックの名曲になる。

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池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
音楽ジャーナリスト。日本経済新聞社チーフメディアプロデューサー。早稲田大学卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。
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