Web音遊人(みゅーじん)

ピエール=ロラン・エマール

バッハやシューベルトの隠された性格と響き合うクルターグ/ピエール=ロラン・エマール ピアノ・リサイタル

誰しもいちどは「あぶり出し」をして遊んだことがあるだろう。みかんの搾り汁などで紙に絵や文字を描き、乾かす。見えなくなった画面を炎で慎重にあぶると、先ほど描いた図像が姿を現す。隠れているものをちょっとした工夫で表に引っぱり出すわけだ。フランスのピアニスト、ピエール=ロラン・エマールの演奏会(2023年12月1日、ヤマハホール)も、そんな仕掛けに満ちていた。

クルターグ作品によるプログラムの仕掛け

プログラムに並ぶのはバッハ、シューベルト、クルターグの名前。クルターグ・ジェルジュは1926年生まれのハンガリーの作曲家。エマールは、このクルターグの小曲集『ピアノのための遊び』の抜粋を、バッハ作品と組み合わせて前半に、同じくシューベルト作品と組み合わせて後半に置いた。前半は16曲、後半にいたっては55曲で演目を構成する。

とはいえ、1曲1曲はとても短いので、全体の印象に間延びしたところはない。小曲が連歌(短歌の上下句を問答調に連ねていく詩歌の一形態)のように続く。2曲目、3曲目と続いて新しい関係が生じるたびに、その前、さらにその前の曲の意味合いも少しずつ変化する。こうして、つねに内容を更新しながらプログラムは進む。その情緒変化のリズムがなんとも心地よい。

ピアニスト本人が言うように、バッハは内省的、シューベルトは社交的、クルターグは日常的とざっくり分類できよう。プログラムの仕掛けは、バッハ作品との組み合わせを通して内省的なさまを、シューベルト作品との組み合わせを通して社交的な性格を、クルターグ作品の描く“日常”から「あぶり出す」といった次第。

ピエール=ロラン・エマール

バッハやシューベルト作品の裏の顔

面白いのはここからだ。実際に演奏を聴くと、内省的なバッハとの組み合わせでは、クルターグは内省的というよりも社交的に、社交的なシューベルト作品との組み合わせでは、社交的というより内省的に響く。つまり、クルターグ作品はバッハに隠されたノリの良さや、シューベルトに隠された陰りのほうに共鳴している。本当の仕掛けは、クルターグ作品を通して、バッハやシューベルトの裏の顔をあぶり出すことにあったのだ。

内省的であるはずのバッハ作品から社交性を感じ取る。エマールは旋律に“句読点”を打って、“単語”や“句”を切り出し、各声部にまるで“台詞”を話させるかのように弾くことで、音楽の「おしゃべり」を演出する。その「おしゃべり」がバッハの「社交性」としてクルターグ作品と共鳴する。

ピエール=ロラン・エマール

一方、社交的であるはずのシューベルト作品には内省を聴く。作曲家がその“八方美人”な旋律の内に埋め込んだ影のある和音を、ピアニストがぐっと掴んで表に引き出す。それがシューベルトの「暗がり」としてクルターグ作品の奥底と響き合う。

ついでにいえば、作品の隠された性格だけでなく、聴き手の内に眠っていた聴覚や脳細胞の働きまで、エマールは「あぶり出し」てくれた。簡単な仕掛けも、ここまでいけば立派なアート。ほんの少しの工夫で、私たちの日常に違った風景を挿し入れてくれる。カーテンコールで見せた、ベテラン音楽家の「楽しかったでしょ?」と言わんばかりの顔が、とてもまぶしかった。

ピエール=ロラン・エマール

澤谷夏樹〔さわたに・なつき〕
慶應義塾大学大学院文学研究科哲学専攻修士課程修了(音楽学)。柴田南雄音楽評論賞奨励賞(2007年度)および本賞(2011年度)受賞。著書に『音楽家65人の修行時代』(単著)、『バッハ大解剖!』(監修・著)、『バッハおもしろ雑学事典』(共著)、『やみつき!バッハ』(共著)、『「バッハの素顔」展』(共著)。国際ジャーナリスト連盟(IFJ)会員。

photo/ Ayumi Kakamu

本ウェブサイト上に掲載されている文章・画像等の無断転載・無断使用を固く禁じます。

facebook

twitter

特集

今月の音遊人

今月の音遊人:渡辺香津美さん「ギターに対しては、いつも新鮮な気持ちでいたい 」

4750views

音楽ライターの眼

クイーン、デヴィッド・ボウイ、デフ・レパードも絶大支持。モット・ザ・フープルが歌い続ける“ロックンロール黄金時代”

1921views

懐かしのピアニカを振り返る

楽器探訪 Anothertake

懐かしのピアニカを振り返る

16573views

バイオリンを始める時に知っておきたいこと

楽器のあれこれQ&A

バイオリンを始める時に知っておきたいこと

8553views

おとなの楽器練習記

【動画公開中】ギタリスト木村大とピアニスト榊原大がトランペットに挑戦!

7029views

オペラ劇場の音楽スタッフの仕事 - Web音遊人

オトノ仕事人

舞台上の小さなボックスから指揮者や歌手に大きな安心を届ける/オペラ劇場の音楽スタッフの仕事(後編)

13245views

ホール自慢を聞きましょう

ウィーンの品格と本格派の音楽を堪能できる大阪の極上空間/いずみホール

6474views

日生劇場ファミリーフェスティヴァル

こどもと楽しむMusicナビ

夏休みは、ダンス×人形劇やミュージカルなど心躍る舞台にドキドキ、ワクワクしよう!/日生劇場ファミリーフェスティヴァル2022

2747views

浜松市楽器博物館

楽器博物館探訪

見るだけでなく、楽器の音を聴くこともできる!

13515views

われら音遊人 リコーダー・アンサンブル

われら音遊人

われら音遊人:お茶を楽しむ主婦仲間が 音楽を愛するリコーダー仲間に

7657views

パイドパイパー・ダイアリー

パイドパイパー・ダイアリー

泣いているのはどっちだ!?サクソフォン、それとも自分?

5722views

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅

24795views

バイオリニスト石田泰尚が アルトサクソフォンに挑戦!

おとなの楽器練習記

【動画公開中】バイオリニスト石田泰尚がアルトサクソフォンに挑戦!

12104views

上野学園大学 楽器展示室」- Web音遊人

楽器博物館探訪

伝統を引き継ぐだけでなく、今も進化し続ける古楽器の世界

12576views

【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase16)リスト「詩的で宗教的な調べ」、超絶技巧の果ての高い精神性と旋律美

音楽ライターの眼

【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase16)リスト「詩的で宗教的な調べ」、超絶技巧の果ての高い精神性と旋律美

1015views

ホールのクラシック公演を企画して地域の文化に貢献する/音楽学芸員の仕事

オトノ仕事人

アーティストとお客様とをマッチングさせ、コンサートという形で幸福な時間を演出する/音楽学芸員の仕事

11407views

われら音遊人

われら音遊人

われら音遊人:人を楽しませたい!それが4人の共通の思い

6324views

reface

楽器探訪 Anothertake

コンパクトなボディに優れた操作性が溶け込んだデザイン

5766views

ホール自慢を聞きましょう

地域に愛される豊かな音楽体験の場として京葉エリアに誕生した室内楽ホール/浦安音楽ホール

10099views

山口正介

パイドパイパー・ダイアリー

クラス分けもまた楽しみ、レッスン通いスタート

4653views

アコースティックギター

楽器のあれこれQ&A

アコースティックギターの保管方法やメンテナンスのコツ

3364views

日生劇場ファミリーフェスティヴァル

こどもと楽しむMusicナビ

夏休みは、ダンス×人形劇やミュージカルなど心躍る舞台にドキドキ、ワクワクしよう!/日生劇場ファミリーフェスティヴァル2022

2747views

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅

24795views