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【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase53)ガルシア=マルケスはサルサ好き、ルーベン・ブラデス「月の水」のマジック・リアリズム
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2025.8.8
tagged: 音楽ライターの眼, クラシック名曲 ポップにシン・発見, ルーベン・ブラデス, サルサ
パナマ出身のルーベン・ブラデスはサルサに革新をもたらした。文学的な歌詞、シンセサイザーを導入し洗練させたサウンドは、ダンス音楽の域を超えてサルサの可能性を広げた。コロンビアの作家ガブリエル・ガルシア=マルケスはサルサが好きだった。ブラデスはガルシア=マルケスと親交を結んだ。このノーベル文学賞作家の短篇小説に触発されたアルバムが「アグア・デ・ルナ(月の水)」(1986年)。文学と融合したマジック・リアリズム音楽だ。
再びガルシア=マルケスのブームが起きている。2024年6月に長編小説「百年の孤独」が新潮文庫になったのがきっかけだ。米国の作家フォークナーの影響が感じられるサーガ(一族の年代記)の作風。日常への夢や幻想の侵入、現実的に語られる数々の奇譚など、魔術的現実世界に引き込まれる。鼓直の翻訳のままだが、小さい活字で2段組のかつての単行本に比べて読みやすい。同文庫からは2025年3月に長編小説「族長の秋」(鼓直訳)も出た。
「百年の孤独」への習作や余滴といわれる数々の短篇小説も、散文詩のように現実と非現実の交錯による魔術的イメージが凝縮していておもしろい。「百年の孤独」を音楽にするには長大な交響曲を要しそうだが、短篇の世界は意外にもサルサのようなラテン音楽に向く。ガルシア=マルケスはサルサを愛し、深く理解していた。新聞記者を経て作家になったガルシア=マルケスはブラデスと親交を結び、「歌うジャーナリスト」として彼を称賛した。
ブラデスはパナマ国立大学を卒業後、銀行勤務を経て渡米。ウィリー・コローンと共作したアルバム「シエンブラ」(1978年)から始まり、「ブスカンド・アメリカ」(1984年)、グラミー賞受賞の「エセーナス」(1985年)などサルサの名盤を生み出した。そして1986年、ガルシア=マルケスの小説世界をサルサに取り入れた実験的アルバム「アグア・デ・ルナ」を発表した。全8曲のうち7曲はガルシア=マルケスの短篇小説に基づいている。
歌詞の内容から曲と小説を照合してみよう。1曲目「イザベル(Isabel)」は「マコンドに降る雨を見たイザベルの独白」。2曲目「眠らないで(No Te Duermas)」は「三人の夢遊病者の苦しみ」、4曲目「青い犬の目(Ojos de Perro Azul)」は同名の短篇小説、7曲目「約束(La Cita)」は「六時に来た女」で、いずれもガルシア=マルケスの初期の作品を集めた短篇集「青い犬の目」(1972年)に収められている(邦訳は4篇とも井上義一訳で、新潮社「落葉 他12篇」所収)。
3曲目「ブラカマン(Blackamán)」は「奇跡の行商人、善人のブラカマン(Blacamán)」、5曲目「トワイライト(Claro Oscuro)」は「失われた時の海」、6曲目「ローラ・ファリーナ(Laura Farina)」は「愛の彼方の変わることなき死」であり、3作とも短篇集「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」(1972年)に収録されている(邦訳は鼓直・木村榮一訳、ちくま文庫「エレンディラ」所収)。最後の8曲目「アグア・デ・ルナ(月の水、Agua de Luna)」は世界文学としてのガルシア=マルケスの作品全体への解釈の総括と思われる。
例えば、「トワイライト(Claro Oscuro)」の歌詞は、「失われた時の海」の物語を凝縮し象徴化している。小説の舞台はカリブ海沿岸の荒涼とした村。海は荒れ、湿った塵芥が村に打ち上る。村では死者を海に流して葬るのだ。村の地面は硝石のせいで固まっており、花も咲かない。村人が花を見るのは、水葬の際に他の土地から持ってきた花束を海に浮かべる者がいるときくらいである。だが大金持ちの米国人ハーバート氏がやってきた年は、村に人が戻って活気づいた。トビーアスは海から漂ってくるバラの香りを嗅ぐようになる。
ハーバート氏は気前のいい慈善家のようでいて、実際には約束を果たせない村人から家や土地を巻き上げていく。そして大儲けして途方もなく長く眠る。目を覚ましたハーバート氏はトビーアスを連れて食用の海亀を探しに海底に潜る。そこには水没した村があり、花が咲き乱れていた――。曲は「バラの香りが海から漂ってくる」と歌うコーラス(コロ)に導かれたコロ・カンタ(コーラスとボーカルの歌の掛け合い)で劇的なクライマックスを迎える。
サルサはキューバのソンやルンバなどをルーツにし、コローンやエクトル・ラボ―らプエルトリコ人を中心にニューヨークで発展した。サルサは多様な打楽器群のほか、トランペットやトロンボーンなどの金管群、ピアノなど生楽器で演奏されていた。ブラデスが率いたサルサ・バンド「セイス・デル・ソラール」は、金管の代わりにヤマハの「DX7」をはじめシンセサイザーを導入。ピアノも電子ピアノに替えた。そこから従来のサルサの現実感から浮遊したファンタスティックなサウンドが浮かび上がる。
パナマ出身であることもサルサ界では異色。ブラデスはニューヨークのプエルトリコ・コミュニティーにとらわれず、サルサの領域を汎ラテンアメリカ音楽へ、さらにはワールドミュージックへと広げた。アルバム「アグア・デ・ルナ」の3曲目「ブラカマン」にはサンバのリズムや行進曲風の軍楽調も備わり、行商人ブラカマンとその弟子の「僕」が引き起こす奇跡と悪行、復讐のスケールの大きさを表現する。
終曲「アグア・デ・ルナ」はロック調を大胆に取り入れている。ガルシア=マルケスの世界文学としての人気をロック調でリスペクトするかのようだ。実験的アルバムとはいえ、いずれの曲もポップな旋律に満ちており、決して無調の現代音楽にはならない。従来のサルサにはない楽器編成やサウンドであっても、ポップで分かりやすい曲調であり、ダンス音楽としてのエンターテインメント性も健在だ。
ガルシア=マルケスのマジック・リアリズムは、現実と幻想が混合する世界を現実的に表現する手法であり、物語のリアリズムはむしろ一層強化される。物語の構造や語りの形式を解体して小説のあり方自体を問うアンチ・ロマン(反小説)とは決定的に異なる。神話や民話、セルバンテスやドストエフスキーらから続く「物語」は、ガルシア=マルケスの小説に過剰なほどリアルに生き続ける。キャッチーなリズムと旋律があふれ出すブラデスのサルサはマジック・リアリズムと相性が良い。それは文学と融合した奇跡の音楽である。
池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
音楽ジャーナリスト。日本経済新聞社シニアメディアプロデューサー兼日経広告研究所研究員。早稲田大学商学部卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。日経文化事業情報サイト「art NIKKEI」にて「聴きたくなる音楽いい話」を連載中。
日本経済新聞社記者紹介
文/ 池上輝彦
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