Web音遊人(みゅーじん)

華麗なる完璧主義者、カラヤンの音楽と人生_vol.3

華麗なる完璧主義者、カラヤンの音楽と人生 vol.3

1934年、カラヤンはアーヘン市立劇場の音楽監督に任命される。ここでは300人の合唱団と規模の大きなオーケストラが待っていた。カラヤンはベートーヴェンのオペラ「フィデリオ」を指揮して、アーヘンの聴衆の前に姿を現した。

当時、ドイツでは最年少の音楽監督だった。この年の夏にはザルツブルクで初めてウィーン・フィルを振り、やがてウィーン国立歌劇場に客演し、ベルリン国立歌劇場管弦楽団も指揮し、このオーケストラとのコンビでモーツァルトの「魔笛」とヴェルディの「運命の力」という両序曲のカップリングで初録音にも挑む。

このころ、ベルリン・フィルには大御所のヴィルヘルム・フルトヴェングラーが君臨していた。カラヤンは名実ともに彼と張り合う形になったのである。

ベルリンはやがて空襲に見舞われ、町は瓦礫と化し、カラヤンはイタリアに脱出することになる。1945年、ナチス・ドイツの無条件降伏のニュースをミラノで聞いたカラヤンは、難民輸送列車でオーストリアに戻った。しばらくはナチス党員との理由から演奏禁止命令が出されたが、この間にEMIの敏腕プロデューサーのウォルター・レッグに出会い、禁止命令が解かれた後、ウィーン・フィル、フィルハーモニア管弦楽団との録音に着手する。

1955年、フルトヴェングラーの後任としてベルリン・フィルのアメリカ・ツアーを指揮したカラヤンは、1956年終身芸術監督に就任する。この時期はウィーン国立歌劇場の音楽監督の座も得、さらにフィルハーモニア管弦楽団やウィーン交響楽団でも威力を発揮し、ミラノ・スカラ座の常任指揮者も務めた。

仕事面では、世界中の劇場とレコード会社が次々に仕事を持ち込む、まさに「帝王カラヤン」という呼び名がピッタリな時期だった。ベートーヴェン、チャイコフスキー、ブラームス、マーラーなどの交響曲からヴェルディ、モーツァルト、リヒャルト・シュトラウス、ワーグナーのオペラまで膨大なレパートリーを手中に収め、オーケストラと歌手、合唱などを磨きに磨いて自己の目指す芸術を追求していった。

あるとき、タクシーのドライバーに行き先を尋ねられたカラヤンは、こう答えたという。

「どこでもいいよ。どこにいっても仕事はあるからね」

カラヤンは自家用ジェット機を自ら操縦して飛び回り、サンモリッツの山荘の近くで頭にスコアを乗せながらスキーを楽しんだ。メカ好きなカラヤンは、晩年ザルツブルク郊外の緑のなかにあるアニフの自宅の地下をスタジオに改装し、膨大な機種を設置して映像などを編集するスタジオとしている。

カラヤンは時代を先取りする名人だった。21世紀まで自分の音楽を残そうとさまざまなメディアやメカを駆使し、新しい時代の聴き手に向けて自己の音楽を発信した。

華麗なる完璧主義者、カラヤンの音楽と人生_vol.3

フィルハーモニー内部に置かれたカラヤンの像

だが、晩年のカラヤンは病気のために歩行困難となり、ベルリン・フィルとも女性クラリネット奏者のザビーネ・マイヤーの入団を巡って意見が衝突し、しっくりいかなくなってしまった。彼は以前から人とのコミュニケーションに悩んでいたといわれるが、このころを境に孤独感を強めていく。

1989年4月にはとうとうベルリン・フィルの芸術監督を辞任し、その3カ月後の1989年7月16日に自宅で息を引き取った。

カラヤンに見出され、いまや第一級のヴァイオリニストに成長したアンネ=ゾフィー・ムターは、カラヤンをこう表現する。

「私は13歳のころからカラヤンと共演をしているため、彼のことをすごくよく知っていると思われがちですが、実は仕事以外の顔はまったく知らないんです。カラヤンはいつも仕事、仕事、音楽がすべてで、常に練習しなさいといわれました。ある晩いい演奏ができると、翌日はもっといい演奏ができるだろうと練習を求められました。常に一段上を見て、自分の夢を追いかける、理想の音を一生涯求めた人でした」

最晩年のカラヤンと共演したピアニストのエフゲニー・キーシンもこう語る。

「ぼくが会ったときは、もうひとりでは歩けない状態でした。でも、その目は青年のようで、ぼくがピアノを弾くと、もっともっと弾いてくれと要求しました。音楽のなかに身を置くことに生きがいを感じているようでした」

カラヤンの粋で洒脱で繊細で、気品と知性に満ちたその音楽は、時代も国も性別も民族もすべてを超えて人々に愛されている。何年たっても、それは変わることがないだろう。

華麗なる完璧主義者、カラヤンの音楽と人生<全編>

伊熊 よし子〔いくま・よしこ〕
音楽ジャーナリスト、音楽評論家。東京音楽大学卒業。レコード会社、ピアノ専門誌「ショパン」編集長を経て、フリーに。クラシック音楽をより幅広い人々に聴いてほしいとの考えから、音楽専門誌だけでなく、新聞、一般誌、情報誌、WEBなどにも記事を執筆。著書に「クラシック貴人変人」(エー・ジー出版)、「ヴェンゲーロフの奇跡 百年にひとりのヴァイオリニスト」(共同通信社)、「ショパンに愛されたピアニスト ダン・タイ・ソン物語」(ヤマハミュージックメディア)、「魂のチェリスト ミッシャ・マイスキー《わが真実》」(小学館)、「イラストオペラブック トゥーランドット」(ショパン)、「北欧の音の詩人 グリーグを愛す」(ショパン)など。2010年のショパン生誕200年を記念し、2月に「図説 ショパン」(河出書房新社)を出版。近著「伊熊よし子のおいしい音楽案内 パリに魅せられ、グラナダに酔う」(PHP新書 電子書籍有り)、「リトル・ピアニスト 牛田智大」(扶桑社)、「クラシックはおいしい アーティスト・レシピ」(芸術新聞社)、「たどりつく力 フジコ・ヘミング」(幻冬舎)。共著多数。
伊熊よし子の ークラシックはおいしいー

 

特集

ユッコ・ミラー

今月の音遊人

今月の音遊人:ユッコ・ミラーさん「音楽は人の心を映すもの。だからごまかすことはできません」

2558views

音楽ライターの眼

ソプラノの佐藤美枝子、第50回ENEOS音楽賞 洋楽部門本賞受賞

4030views

楽器探訪 Anothertake

新開発の音響システムが表現力のカナメ。管楽器の可能性を広げる「デジタルサックス」

3646views

楽器のあれこれQ&A

ドラムの初心者におすすめの練習方法や手が疲れないコツ

10960views

コハーン・イシュトヴァーンさん Web音遊人

おとなの楽器練習記

【動画公開中】ハンガリー出身のクラリネット奏者コハーン・イシュトヴァーンがバイオリンを体験レッスン!

10353views

オトノ仕事人

最適な音響システムを提案し、理想的な音空間を創る/音響施工プロジェクト・リーダーの仕事

2079views

秋田ミルハス

ホール自慢を聞きましょう

“秋田”の魅力が満載/あきた芸術劇場ミルハス

5213views

ズーラシアン・フィル・ハーモニー

こどもと楽しむMusicナビ

スーパープレイヤーの動物たちが繰り広げるステージに親子で夢中!/ズーラシアンブラス

14174views

上野学園大学 楽器展示室」- Web音遊人

楽器博物館探訪

伝統を引き継ぐだけでなく、今も進化し続ける古楽器の世界

13070views

われら音遊人:音楽仲間の夫婦2組で結成、深い絆が奏でるハーモニー

われら音遊人

われら音遊人:音楽仲間の夫婦2組で結成、深い絆が奏でるハーモニー

7224views

パイドパイパー・ダイアリー Vol.8 - Web音遊人

パイドパイパー・ダイアリー

初心者も経験者も関係ない、みんなで音を出しているだけで楽しいんです!

5317views

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅

25469views

おとなの楽器練習記

【動画公開中】ギタリスト木村大とピアニスト榊原大がトランペットに挑戦!

7366views

浜松市楽器博物館

楽器博物館探訪

見るだけでなく、楽器の音を聴くこともできる!

14051views

エマーソン弦楽四重奏団

音楽ライターの眼

テクニックと知性に裏打ちされた、円熟の響き/エマーソン弦楽四重奏団

6803views

小見山優子さん

オトノ仕事人

ゲーム音楽は勝ってはいけない、負けてはいけない。大切なのは調和──/ゲームコンポーザーの仕事

831views

われら音遊人:1年がかりでビッグバンドを結成、河内からラテンの楽しさを発信!

われら音遊人

われら音遊人:1年がかりでビッグバンドを結成、河内からラテンの楽しさを発信!

10987views

楽器探訪 Anothertake

世界の一流奏者が愛用するトランペット「Xeno Artist Model」がモデルチェンジ

25881views

ホール自慢を聞きましょう

地域に愛される豊かな音楽体験の場として京葉エリアに誕生した室内楽ホール/浦安音楽ホール

10626views

パイドパイパー・ダイアリー

こうしてわたしは「演奏が楽しくてしょうがない」 という心境になりました

8590views

フルート

楽器のあれこれQ&A

初心者にもよくわかる!フルートの種類と選び方

21618views

ズーラシアン・フィル・ハーモニー

こどもと楽しむMusicナビ

スーパープレイヤーの動物たちが繰り広げるステージに親子で夢中!/ズーラシアンブラス

14174views

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅

30568views