今月の音遊人
今月の音遊人:谷村新司さん「音がない世界から新たな作品が生まれる」
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ジャズのハードルを意識することになったライヴの2つめは、立石一海トリオによる2017年4月に開催された“リサイタル”。
会場となったのは、代々木公園の森を間近に見る渋谷・富ヶ谷にあるHakuju Hall(ハクジュホール)。ここは“完全アコースティック仕様”で、そのスケジュールは主にクラシック系のラインナップで埋められるという場所。
立石一海トリオがジャズという“一丁目一番地”のコンセプションをもちながら、完全ノーPAという“アウェイ”なステージを選び、“リサイタル”というジャズの興行ではあまり使われないタイトルを用いたことで、すでにこのトリオ・プロジェクトは“コッチへ来い!”ではなく、いわゆる“胸襟を開く”意図を強く感じさせていたと思うのだけれど、いかがだろうか。
その“リサイタル”は、このトリオの中心的なレパートリーを成している、スタジオジブリ映画で用いられた楽曲のジャズ・アレンジ“GHIBLI meets JAZZ”シリーズからのセレクションでスタートした。
ジブリ・ナンバーのジャズ・アレンジ演奏は、立石一海トリオの“専売特許”では決してないのだけれど、彼らがライヴの“振り”やプログラムのブレイク的なヴァリエーションとして取り上げてきたものではないことは、これまで“GHIBLI meets JAZZ”として2枚のアルバムにまとめていることからも理解できる。要するに、“本気度”が違う、ということだ。
この“本気度”には、ジブリ・ナンバーを自分たちのレパートリーとして大々的に打ち出すことにつきまとうジレンマを克服していることも含まれる。
さらに、結果としての音源が、チビッコやその親たちというカテゴリーにはもちろん、ジャズ・ファンにもウケるものでなければ、かなりカッコ悪いから、それが強い心理的ブレーキになるはずなのだけれど、その点でも彼らはブレーキを踏むことなく、結果としての反響は逆に強くアクセルを踏ませるものとなった。
そのひとつが、より映画のベクトルを膨らませた『CINEMA meets JAZZ~ひこうき雲』というアルバムに結実しているが、当夜の中盤ではそこからのレパートリーも加えながら、さらに舞台をアメリカへと移して“ジャズ目線”のオーソドックスなシネマ・スタンダード(「ムーンリヴァー」「オーヴァー・ザ・レインボウ」「サムワン・トゥー・ウォッチ・オーヴァー・ミー」)を挿入するなど、映画音楽という素材を多元的に用いようというスタンスを見せていた。
後半は再び“GHIBLI meets JAZZ”に戻ってくるところも、“初志”にブレがないことを示す証左と言えるだろう。
実は、立石一海トリオが“GHIBLI meets JAZZ”を名乗れるのもジブリ側の許諾があるからで、“発表可能曲数”は50を数えるそうだ。
“利用されること”に神経質になるはずのオリジナル側が、それこそこれだけ“胸襟を開いている”ということは、すなわち立石一海トリオが“利用するだけ”ではない意志と結果を示しているからにほかならない。
“ハードルを下げる”と言うと、“子供騙し”や“迎合”というイメージが浮かび、それを覆さなければならないという本稿のハードルのほうが上がってしまうと悩んでいた。
しかし、立石一海トリオの“リサイタル”は、そんなちっぽけな悩みを吹き飛ばす説得力を、ボクに与えてくれることになったのである。
ちなみに“リサイタル”とは独演、すなわちワン・アンド・オンリーというニュアンスを含んでいる。
その矜持があればこそ、ハードルの高さは自ずと変わってくれるということなのかもしれない。
<続>
富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
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