今月の音遊人
今月の音遊人:石若駿さん「音楽っていうのは、人の考えとか行動の表れみたいなものだと思う」
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その夜、《ゴルトベルク変奏曲》はフランス語で”演じられた”/アレクサンドル・タロー ピアノ・リサイタル
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2018.4.12
tagged: ピアノ, ヤマハホール, アレクサンドル・タロー ピアノ・リサイタル
フランスのピアニスト、アレクサンドル・タローのリサイタルを聴いた。プログラムはバッハの《ゴルトベルク変奏曲》。鍵盤楽器奏者の実力を知るのにもってこいの演目だ。新旧さまざまなスタイル、手の交差などの多彩な技術、3変奏ずつ分節できる秩序立った構造。たくさんの仕掛けが作品を彩る。この曲は奏者に多様な解釈をゆるす一方、演奏技術の点ではかなりの熟練を要求する。演奏者の「頭」と「腕」をはかるのに、これほどふさわしい作品はない。
《ゴルトベルク》の実際のタイトルは「2段鍵盤のチェンバロのためのアリアとさまざまな変奏曲からなるクラヴィーア練習曲集」。チェンバロを前提とするこの曲を、現代のピアノで演奏するには少し工夫がいる。チェンバロは機械的に音色を変えることができる。パートを弾き分けるのに、この音色変換装置は心強い味方だ。30ある変奏のキャラクターを描き分けるのにも大いに役立つ。この作品を弾くピアニストは、タッチやペダルを駆使して、多彩な音色をピアノから引き出すことで、チェンバロの音色変換装置を真似することもあろう。
当夜のタローは少し曲者で、こうした常套手段では満足しない。タローは語り口を変えることで、複数の“登場人物の性格”を弾き分けたり、“情緒の移り変わり”を演出したり、“舞台の転換”をおこなったりする。語り口の変化というのはつまり、子音(音の出だし)と母音(音の広がり)のヴァリエーションを駆使した、ひとり多役の“朗読劇”だ。その意味でこのピアニストは、すぐれた俳優と言える。
タローの面白い点はさらにその先にある。語り口が“フランス語”なのだ。バッハはドイツ語を母語とした。《ゴルトベルク》にはフランスのスタイルを大いに用いている。そのまま作品を理解すれば、“ドイツ語なまりのフランス音楽”といった演奏になってもおかしくない。それもまた、よい音楽たりうる。
タローの母語はフランス語だ。フランス音楽の専門家でもある。そんなピアニストが《ゴルトベルク》を“演じる”と、その語り口は“なまりのないフランス音楽”となる。リエゾンやアンシェヌマン(どちらも語と語とをなめらかにつなげること)、シランス(子音を読まないこと)など、ドイツ語にはない仕組みが、音楽の表現にも浸透している。つまり、曲の思わぬところをなめらかにしたり、ふっと軽くしたりする。作品にはもともとフランス風の部分が多いから、結果としてそれがしっくりこないはずもない。
アリアから30の変奏を経て、元のアリアに戻ってきたとき、バッハの《ゴルトベルク変奏曲》ではなく、バッハと同時代のフランスの作曲家、クープランの《モンドール変奏曲》を聴いたのではないかと思わされた(「ゴルトベルク」も「モンドール」も「金の山」の意。もちろんクープランに《モンドール変奏曲》などという作品はない)。フランスの“名優”、タローの面目躍如である。
澤谷夏樹〔さわたに・なつき〕
慶應義塾大学大学院文学研究科哲学専攻修士課程修了。2003年より音楽評論活動を開始。2007年度柴田南雄音楽評論賞奨励賞受賞。2011年度柴田南雄音楽評論賞本賞受賞。著書に『バッハ大解剖!』(監修・著)、『バッハおもしろ雑学事典』(共著)、『「バッハの素顔」展』(共著)。日本音楽学会会員、 国際ジャーナリスト連盟(IFJ)会員。
文/ 澤谷夏樹
photo/ Ayumi Kakamu
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