Web音遊人(みゅーじん)

ジャズにビートルズをもたらしたのは斯界を代表する歌姫たちだった

アメリカのジャズ・シーンにビートルズの影響が表われ始めたのは、1964年のことだった。

念のために確認しておくと、ビートルズがレコード・デビューを果たしたのが1962年末(アルバムは1963年)。イギリスのバンドの噂が大西洋を渡ってアメリカに届くまでにそれほど時間を要したとは考えにくいので、1963年の年末にはアメリカでも「海の向こうの若者が発している音楽が“これまでに経験したことがない”ウケかたをしている」ことに興味をもち、業界も動き始めたことは想像に難くない。

このムーヴメントにまず飛びついたのは、ジャズ・ヴォーカリストだったようだ。

1964年、エラ・フィッツジェラルドはアルバム『ハロー・ドーリー!』を制作&リリースしたが、これに「キャント・バイ・ミー・ラヴ」が収録されている。さらに、翌1965年制作&リリースの『エラ・イン・ハンブルグ』というライヴ・アルバムにも「ア・ハード・デイズ・ナイト」が収められている。

いずれも“エラ節”全開で、ほかのジャズ・スタンダードと温度差なく歌いきってしまっているのはさすがだが、それをさせたのはビートルズのメロディにR&Bの影響があったからだろう。

エラは1950年代から“ソングブック”と題して、数々のヒット曲を生み出してきたソングライターを取り上げてアルバムを制作していたが、彼女からすれば海を渡ってきたレコードに収められていたレノン&マッカートニーのサウンドは、アメリカのジャズを築いてきたスタンダード・ナンバーと肩を並べるに足る魅力を放っていたゆえのチョイスだったとも言える。

ちなみに、「ア・ハード・デイズ・ナイト」を歌い終わったあと、「サンキュー・ビートルズ・ファン!」というエラの声がこのアルバムには入っているのだけれど、収録地ドイツのハンブルクのほうがアメリカよりも先にビートルズ・フィーヴァーが高まっていたこと、それを敏感に察知したエラがレパートリーに加えたこと、なども想像できる。

エラ・フィッツジェラルドと並んで1960年代のアメリカにおけるジャズ黄金期を代表する女性ヴォーカリストであるサラ・ヴォーンも、1965年制作で1966年リリースの『ポップ・アーティストリー・オブ・サラ・ヴォーン(後に邦題“ラヴァーズ・コンチェルト”)』に「イエスタデイ」を、続いてリリースした『ザ・ニュー・シーン』(1966年)に「ミッシェル」を収録している。

サラはエラとは違って(あえて違いを出そうとしたのかもしれないが)、「イエスタデイ」ではフレンチ・ポップス風のアレンジにしたり、「ミッシェル」のAメロをフランス語で歌ったりと、ビートルズを“アメリカの曲ではないもの”として扱おうとしたんじゃないかと思えるフシがあったりして、それはそれで興味深い。

ジャズのみならずポップスの分野でも実績を残したナンシー・ウィルソンも、1966年制作&リリースの『ア・タッチ・オブ・トゥデイ』に「アンド・アイ・ラヴ・ヒム」(「アンド・アイ・ラヴ・ハー」の女性ヴォーカリスト・ヴァージョン)と「イエスタデイ」を収録。

彼女の場合は完全に“ヒット・チューンのカヴァー”というスタンスで歌っていることがうかがえ、アレンジもジャズっぽさを意識していない。逆にその「ビートルズだから“扱いに手こずった感”が薄かったこと」が、ジャズにビートルズを広めるきっかけになったんじゃなかろうか。

ヴォーカルじゃないジャズのビートルズ・カヴァーについては、次回。

富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
富澤えいちのジャズブログ富澤えいちのジャズ・ブログ道場Facebook

 

特集

上野通明

今月の音遊人

今月の音遊人:上野通明さん「ステージで弾いているときが、とにかく幸せです」

3856views

音楽ライターの眼

“よろしからぬもの”だったジャズは徐々にクラシックへ近づいていった

4495views

懐かしのピアニカを振り返る

楽器探訪 Anothertake

懐かしのピアニカを振り返る

20392views

楽器のメンテナンス

楽器のあれこれQ&A

大切に長く使うために、屋外で楽器を使うときに気をつけることは?

62243views

大人の楽器練習記:バイオリニスト岡部磨知がエレキギターを体験レッスン

おとなの楽器練習記

おとなの楽器練習記:バイオリニスト岡部磨知がエレキギターを体験レッスン

21353views

オトノ仕事人

リスナーとの絆を大切にする番組作り/クラシック専門のインターネットラジオを制作・発信する仕事

6745views

東広島芸術文化ホール くらら - Web音遊人

ホール自慢を聞きましょう

繊細なピアニシモも隅々まで響く至福の音響空間/東広島芸術文化ホール くらら

15323views

こどもと楽しむMusicナビ

オルガンの仕組みを遊びながら学ぶ「それいけ!オルガン探検隊」/サントリーホールでオルガンZANMAI!

10353views

ギター文化館

楽器博物館探訪

19世紀スペインの至宝級ギターを所蔵する「ギター文化館」

16851views

Leon Symphony Jazz Orchestra

われら音遊人

われら音遊人:すべての楽曲が世界初演!唯一無二のジャズオーケストラ

2461views

山口正介さん Web音遊人

パイドパイパー・ダイアリー

サクソフォン教室の新しいクラスメイト、勝手に募集中!

5293views

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅

28236views

脱力系(?)リコーダーグループ栗コーダーカルテットがクラリネットの体験レッスンに挑戦!

おとなの楽器練習記

【動画公開中】脱力系(?)リコーダーグループ栗コーダーカルテットがクラリネットの体験レッスンに挑戦!

12088views

上野学園大学 楽器展示室

楽器博物館探訪

日本に一台しかない初期のピアノ、タンゲンテンフリューゲルを所有する「上野学園 楽器展示室」

21795views

音楽ライターの眼

ローリー・ブロックが偉大なるブルース・ウィメンに捧げるアルバム『プルーヴ・イット・オン・ミー』を発表

4811views

マイク1本から吟味して求められる音に近づける/レコーディングエンジニアの仕事(前編)

オトノ仕事人

マイク1本から吟味して求められる音に近づける/レコーディングエンジニアの仕事(前編)

18041views

われら音遊人

われら音遊人:大学時代の仲間と再結成大人が楽しむカントリー・ポップ

5366views

Venova(ヴェノーヴァ)

楽器探訪 Anothertake

やさしい指使いと豊かな音色を両立させた、「分岐管」と「蛇行管」

1views

福岡市民ホール

ホール自慢を聞きましょう

歴史をつなぎ、新しい感動をつくる。音楽・芸術文化の新たな拠点/福岡市民ホール

574views

山口正介さん

パイドパイパー・ダイアリー

「自転車を漕ぐように」。これが長時間の演奏に耐える秘訣らしい

6941views

大人のピアニカ

楽器のあれこれQ&A

「大人のピアニカ」の“大人”な特徴を教えて!

5619views

日生劇場ファミリーフェスティヴァル

こどもと楽しむMusicナビ

夏休みは、ダンス×人形劇やミュージカルなど心躍る舞台にドキドキ、ワクワクしよう!/日生劇場ファミリーフェスティヴァル2022

4478views

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅

28236views