Web音遊人(みゅーじん)

黙ってピアノを弾いてくれ

あふれ出る自己表現を抑えきれない、破天荒なミュージシャンの生き様を描いた映画『黙ってピアノを弾いてくれ』

あなたがもしチリー・ゴンザレスという、ひと昔前のプロレスラーのような名前をもつミュージシャンをご存じないのであれば、映画を観ている約90分間ずっと、つかみどころがない破天荒なキャラクターに翻弄され続けることだろう。もしあなたがダフト・パンクやジェーン・バーキン、フランチェスコ・トリスターノらと共演しているピアニストとしてゴンザレスを認識しているのであれば、その正体を知りつつ「やっぱりタダ者じゃないミュージシャンだったか」と大いに納得することになるだろう。そして、もしあなたがリリカルなピアノ音楽を奏でるミュージシャンとして彼を知っているのであれば、映画が始まってから3分ほどで大きなギャップに戸惑い、スクリーンに映る主役の男が同姓同名の別人なのではないか?とさえ思うことだろう(実は筆者がそうで、思わず手元のチラシやプレスリリースを見直してしまった)。

1972年にカナダのモントリオールで生まれたゴンザレスは、幼い頃からピアノを弾き、仲間たちとバンドを結成した後、「アウトサイダーの街だ」というベルリンで自らの中にある「叫び」に覚醒。アグレッシブなラップミュージシャンとなって過激な歌詞を叫びまくる。この「自己表現のかたまり」のような人間は集まったメディアの前で奇行をさらすのだが、問題行動・言動が多いゴンザレスは日本に住んでいたらワイドショーの常連になるだろう。映画の前半はこうしたエキセントリックな姿を追うのだが、興味深さと同時に映画の題名にもあるように「黙ってピアノを弾いてくれないかな」という思いもふつふつと。

映画の中盤、突然スクリーンがブラックアウトすると、そこには中身むき出しのアップライト・ピアノを弾く、戦いに敗れたボクサーのようなゴンザレスが映し出される。“第2の人生”のスタートだろうか。2004年にリリースされた『ピアノ・ソロ』というCDは、エリック・サティの音楽を引き合いに出したくなる独特の雰囲気をもっており、たしかにゴンザレスの音楽人生を変えた。彼は自分が語るのではなく、ピアノに語らせる音楽家になったのだ。

黙ってピアノを弾いてくれ

「バッハ、ベートーベン、ブラームスは素晴らしい」と発言し、興味の赴くままにフル・オーケストラ(ウィーン放送交響楽団)や弦楽四重奏などとも共演。しかし、その音楽は決して両手をひざに置いているような、お行儀のよいものではない。おとなしくピアノを弾くことに飽き足らずコンサートグランドの中に寝転がったりするのだ(で、その態勢で弾く)。観る人はだだっ子みたいな行動に笑い、呆れつつ、こんなキャラクターから出る美しいピアノの音について、思いを巡らせてしまうだろう。

黙ってピアノを弾いてくれ

さらには楽譜とにらめっこしながらたどたどしくワルツを弾き、ようやく音楽を正確に弾こうと思うようになったという……のだが、観ているこちらとしては「おいおい、ホントか」とスクリーンの彼にツッコみたくなるのだ。ダフト・パンクのトーマ・バンガルテル、シンガーソングライターのファイストなどと共演シーンもあり(彼女がステージでイラストを描き、それにゴンザレスが音楽をつけるという即興など)、ステージでの一端を垣間見ることもできる。しかしこの映画はそうした彼の活動を追い、バックグラウンドや深層心理を探りながらも、感動的な人間ドキュメンタリーに転化しようなんてまったく思っていない(そこは期待しないほうがいい)。

それにしても『黙ってピアノを弾いてくれ(SHUT UP and PLAY THE PIANO)』とは、誰が誰に向かって懇願しているのか。ひょっとするとゴンザレス自身が“中の人”に言い放つ、内なる声なのか。ともあれ、おかしな男の生態に目を見張り、その男から生まれる音楽を浴びる映画だ。


映画『黙ってピアノを弾いてくれ』予告編

 ■作品紹介

『黙ってピアノを弾いてくれ』
渋谷・シネクイント他にて2018年9月29日(土)から全国順次公開
監督:フィリップ・ジェディック 
出演:チリー・ゴンザレス、ピーチズ、トーマ・バンガルテル(ダフト・パンク)ほか
オフィシャルサイトはこちら

 

特集

今月の音遊人

今月の音遊人:石川さゆりさん「誰もが“音遊人”であってほしいですし、音楽を自由に遊べる日々や生活環境であればいいなと思います」

8817views

音楽ライターの眼

UKパンク・ロックの伝説ザ・ダムドがオリジナル編成で2021年に復活

10394views

トランスアコースティックギター「TAG3 C」

楽器探訪 Anothertake

デジタル技術が広げるアコースティックギターの可能性──トランスアコースティックギター「TAG3 C」

3839views

CLP-825WH

楽器のあれこれQ&A

はじめての電子ピアノを選ぶポイントや練習を続けるコツ

4810views

コハーン・イシュトヴァーンさん Web音遊人

おとなの楽器練習記

【動画公開中】ハンガリー出身のクラリネット奏者コハーン・イシュトヴァーンがバイオリンを体験レッスン!

11679views

オペラ劇場の音楽スタッフの仕事 - Web音遊人

オトノ仕事人

稽古から本番まで指揮者や歌手をフォローし、オペラの音楽を作り上げる/オペラ劇場の音楽スタッフの仕事(前編)

33852views

ホール自慢を聞きましょう

ウィーンの品格と本格派の音楽を堪能できる大阪の極上空間/いずみホール

8541views

日生劇場ファミリーフェスティヴァル

こどもと楽しむMusicナビ

夏休みは、ダンス×人形劇やミュージカルなど心躍る舞台にドキドキ、ワクワクしよう!/日生劇場ファミリーフェスティヴァル2022

4415views

武蔵野音楽大学楽器博物館

楽器博物館探訪

専門家の解説と楽器の音色が楽しめるガイドツアー

9503views

われら音遊人

われら音遊人

われら音遊人:音楽は和!ひとつになったときの達成感がいい

6726views

パイドパイパー・ダイアリー

パイドパイパー・ダイアリー

もしもあのとき、バイオリンを習っていたら

6399views

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅

28115views

コハーン・イシュトヴァーンさん Web音遊人

おとなの楽器練習記

【動画公開中】ハンガリー出身のクラリネット奏者コハーン・イシュトヴァーンがバイオリンを体験レッスン!

11679views

浜松市楽器博物館

楽器博物館探訪

世界中の珍しい楽器が一堂に集まった「浜松市楽器博物館」

36915views

ヒプノシス レコードジャケットの美学

音楽ライターの眼

伝説のロック・デザイナー・チームを描いた映画『ヒプノシス レコードジャケットの美学』が公開

1778views

オトノ仕事人

あらゆるトラブルに対応できる、優れたリペア技術者を世に送り出す/管楽器のリペア技術者を育てる仕事

9511views

われら音遊人

われら音遊人

われら音遊人:音楽は和!ひとつになったときの達成感がいい

6726views

楽器探訪 Anothertake

バンドメンバーになった気分でアンサンブルを楽しめるクラビノーバ「CVP-800シリーズ」

8597views

しらかわホール

ホール自慢を聞きましょう

豊潤な響きと贅沢な空間が多くの人を魅了する/三井住友海上しらかわホール

16236views

パイドパイパー・ダイアリー

パイドパイパー・ダイアリー

もしもあのとき、バイオリンを習っていたら

6399views

楽器上達の心強い味方「サイレント™シリーズ」&「サイレントブラス™」

楽器のあれこれQ&A

楽器上達の心強い味方「サイレント™シリーズ」&「サイレントブラス™」

41879views

こどもと楽しむMusicナビ

サービス精神いっぱいの手作りフェスティバル/日本フィル 春休みオーケストラ探検「みる・きく・さわる オーケストラ!」

11177views

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅

28115views