Web音遊人(みゅーじん)

萩原麻未&ヴォーチェ弦楽四重奏団

不可思議な靄(もや)のなかを導かれるような時間/萩原麻未&ヴォーチェ弦楽四重奏団スペシャル・コンサート

フランス音楽の魅力とは何か、それがもたらしたものは何だったのか。フランス音楽の筆頭に立つドビュッシーと、同時代に親交を結んだショーソンを取り上げた今回のプログラム。気鋭の若手演奏家たちのほとばしるような熱演は、そんな壮大な問いかけへと行き着かせるものであった。

ピアニスト、荻原麻未による「2つのアラベスク」は、ドビュッシーというとまず思い浮かべる、短くも美しい名曲。鍵盤に触れるか触れないかの軽やかな手の動きから、この上なく柔らかな音色が生みだされ、それが響き渡るにつれて空間にうす靄が広がっていく。細かく柔らかに噴射された音たちは、互いに混じり合い、溶け合って、すべての音が鳴り終わった後の残響に、繊細なハーモニーを形作る。

萩原麻未&ヴォーチェ弦楽四重奏団

つづくヴォーチェ弦楽四重奏団による「弦楽四重奏曲Op. 10」もまた、この繊細な音の靄を引き継ぐ。4台の弦楽器が呼吸を合わせ、ハーモニーの移ろいを演出する。調性の不確かな響きが混じるごとに、ひとたび生みだされた靄はいよいよ色を濃くしていく。美しいのか、暗いのか、明るいのか、悲しいのか。長調なのか、短調なのか。向かう先は気まぐれに移り変わり、己が留まっているのか、どこかへ向かっているのかさえ定かではない。まさに精神の世界、瞑想の世界に囚われて漂うかのようである。

しかし、この不可思議な時間も終わりが来る。ショーソンの「協奏曲Op.21」の始まりとともに、一条の光がさす。それは、明るく、生き生きとして、安定したハーモニーに彩られた光であり、聴き手の心をしっかりと掴んで、静かな瞑想と彷徨(ほうこう)から確かな足取りで導きだすものである。

萩原麻未&ヴォーチェ弦楽四重奏団

この日のスペシャル・ゲストであるヴァイオリニスト、成田達輝は、ストラディヴァリウスを高らかに鳴り響かせ、ピアノと弦楽四重奏を堂々たる風格をもって牽引する。激しく躍動するピアノの援護も得て、4つの楽章が進むにつれて全体の呼吸はひとつになり、ますます華やいで活気に満ちていく。とはいえ、もっとも大きなインパクトを与え、この日のクライマックスとなったのは、まぎれもなく、ソロ・ヴァイオリンがすべてを凌ぐ力強さでもって、抒情に満ちた美しい旋律を歌い上げた冒頭の第1楽章である。この瞬間に、人は安定した調性と心を満たす旋律を得て、高揚感とともに、地に足の着いたような安堵感を抱いたのではないだろうか。

萩原麻未&ヴォーチェ弦楽四重奏団

それでも、最後にこう言いたい。ショーソンの音楽がこのようであるがゆえに、いや、それだからこそ、前半のドビュッシーのえも言われぬ美しいハーモニーの残響が、特別な意味をもって迫ってくるのだと。不可思議な靄に包まれて垣間見たのは、まさに美そのもの、手で掴み得るようなはっきりとした形をなす前の美であったのではないかと。近代の訪れを告げたのは、まさにドビュッシーの作るそのような音楽であった。没後100年を迎える記念の年に、そのかけがえのない遺産に想いを馳せたい。

萩原麻未&ヴォーチェ弦楽四重奏団

永野純子〔ながの・じゅんこ〕
音楽学者。東京藝術大学大学院博士課程満期退学。ストラヴィンスキーのオペラをテーマに論文を執筆。コンサートの曲目解説のほか、東京オペラシティで毎年開催される〈コンポージアム〉の解説の翻訳なども手がける。

 

特集

今月の音遊人

今月の音遊人:中川晃教さん「『音遊人』のイメージは、雲を突き抜けて、限りなくキレイな空の中、音で遊んでいる人」

6948views

【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase25)クルターグ「カフカ断章」とディープ・パープル「チャイルド・イン・タイム」、絶叫の現代音楽

音楽ライターの眼

【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase25)クルターグ「カフカ断章」とディープ・パープル「チャイルド・イン・タイム」、絶叫の現代音楽

479views

【楽器探訪 Another Take】演奏に集中できるストレスフリーのキイメカニズム

楽器探訪 Anothertake

演奏に集中できるストレスフリーのキイメカニズム

6079views

日ごろからできるピアノのお手入れ

楽器のあれこれQ&A

日ごろからできるピアノのお手入れ

64369views

ホルンの精鋭、福川伸陽が アコースティックギターの 体験レッスンに挑戦! Web音遊人

おとなの楽器練習記

【動画公開中】ホルンの精鋭、福川伸陽がアコースティックギターの体験レッスンに挑戦!

10783views

重田克美

オトノ仕事人

スポーツやイベントの会場で、選手やお客様のためにいい音環境を作る/音響エンジニアの仕事

9432views

ホール自慢を聞きましょう

地域に愛される豊かな音楽体験の場として京葉エリアに誕生した室内楽ホール/浦安音楽ホール

10334views

東京交響楽団&サントリーホール「こども定期演奏会」

こどもと楽しむMusicナビ

子ども向けだからといって音楽に妥協は一切しません!/東京交響楽団&サントリーホール「こども定期演奏会」

10676views

武蔵野音楽大学楽器博物館

楽器博物館探訪

世界に一台しかない貴重なピアノを所蔵「武蔵野音楽大学楽器博物館」

22340views

われら音遊人:年齢も職業も超えた仲間が集う 結成30年のビッグバンド

われら音遊人

われら音遊人:年齢も職業も超えた仲間が集う、結成30年のビッグバンド

9373views

山口正介 - Web音遊人

パイドパイパー・ダイアリー

この感覚を体験すると「音楽がやみつきになる」

8346views

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅

25066views

おとなの 楽器練習記 須藤千晴さん

おとなの楽器練習記

【動画公開中】国内外で演奏活動を展開するピアニスト須藤千晴が初めてのギターに挑戦!

7673views

武蔵野音楽大学楽器博物館

楽器博物館探訪

専門家の解説と楽器の音色が楽しめるガイドツアー

8357views

ジョン・コルトレーン編<5>|なぜジャズには“踏み絵”が必要だったのか?

音楽ライターの眼

ジョン・コルトレーン編 vol.5|なぜジャズには“踏み絵”が必要だったのか?

8750views

オトノ仕事人

音楽フェスのブッキングや制作をディレクションする/イベントディレクターの仕事

12863views

ギグリーマン

われら音遊人

われら音遊人:誰もが聴いたことがあるヒット曲でライブに来たすべての人を笑顔に

2031views

楽器探訪 Anothertake

存在感がありながら他の楽器となじむシンフォニックなサウンドが光る、Xeno(ゼノ)トロンボーンの最上位モデル

5184views

弦楽四重奏を聴くことが人生の糧となるように/第一生命ホール

ホール自慢を聞きましょう

弦楽四重奏を聴くことが人生の糧となるように/第一生命ホール

8856views

山口正介

パイドパイパー・ダイアリー

すべては、あの日の「無料体験レッスン」から始まった

5292views

アコースティックギター

楽器のあれこれQ&A

アコースティックギターの保管方法やメンテナンスのコツ

3804views

こどもと楽しむMusicナビ

サービス精神いっぱいの手作りフェスティバル/日本フィル 春休みオーケストラ探検「みる・きく・さわる オーケストラ!」

9169views

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅

29679views