今月の音遊人
今月の音遊人:村松崇継さん「音・音楽は親友、そしてピアノは人生をともに歩む相棒なのかもしれません」
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狙った音は決して逃さない、どこまでも洗練されたヴィルトゥオーソ/セドリック・ティベルギアン ピアノ・リサイタル
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2019.4.10
tagged: セドリック・ティベルギアン, ピアノ
ロン=ティボーでの優勝をはじめ、数々の国際コンクールで輝かしい成績をおさめ、世界中から絶大な支持を得るティベルギアン。日本にもファンが多く、平日夜でも会場はほぼ満席だ。
プログラム前半はブラームス、ベートーヴェンと進む予定だったが、当日の変更でベートーヴェンからのスタートとなった。「プロメテウスの創造物」の主題による15の変奏曲とフーガ。《エロイカ変奏曲》の愛称で親しまれるこの曲は、後の交響曲第3番《英雄》に引用された序奏から始まる。オーケストラを思わせる華々しい和音が一気に広がったかと思うと、次の瞬間には息を呑むほどに繊細な弱奏。たった数小節で、その音色の幅に魅せられた。続く変奏では和音進行や形式が厳格に保持されるが、時に大胆に、時に甘く囁くような演奏は、一瞬たりとも聴衆を飽きさせない。特筆すべきは第6と第14変奏に登場する短調であろう。長調から移る折の絶妙な間に、自然と場の空気が変わるのを感じた。彼の研ぎ澄まされた感覚は、音色はもちろん、音のない瞬間さえも巧みに操る。最後のフーガでは、変奏で積み上げてきたエネルギーを解放するかのように、力強く高揚していく音の数々に圧倒された。
続いてブラームス。「シューマンの主題による変奏曲」は、恩師シューマンの自殺を受け、彼への感謝と、その妻クララへの敬意を込めて作られたものだ。鍵盤を撫でるような丁寧な指の運びは、まるで悲しみに寄り添うかのようである。中でも、シューマンが残した「クララ・ヴィークの主題による即興曲」からの引用が対位法的に展開する第10変奏は、一つ一つの動きを大切に、繊細に紡ぎ上げ、聴く者の心を強く捉えた。先のベートーヴェンとは異なり、主題に対して自由に書かれた変奏が続くこの作品。彼は自在に音色を操り、実にさまざまな表情で楽しませてくれた。
休憩後のドビュッシーは前半と一変し、爽やかな響きでホールを満たした。晩年の大作である「12の練習曲」は、指の機能性の追求と、洗練された音楽語法が絶妙に混ざり合う。5本の指を精巧にバランスよく使いこなし、積み上がる和音はまるで静かに重なるベール。そしてオクターブはどこまでもダイナミックに。音のぶつかりが多い場面でも、巧みなペダリングによって不快な濁りは感じさせない。アンコールの《沈める寺》(ドビュッシー「前奏曲集」第1巻より第10曲)は、深遠な響きの彼方へ誘うかのように、会場を柔らかく包み込んだ。
ティベルギアンは紛れもなくヴィルトゥオーソだが、自らの演奏に酔いしれるようなことは一切なく、その動きはどこまでも洗練されている。鍵盤を見つめ、感覚を研ぎ澄まし、狙った音は決して逃さない。そこから生まれる音楽に耳を澄ますうち、いつのまにか我々は彼の築いた音の世界に入り込むのかもしれない。
ステージを去る際、2時間近くに及ぶ演奏を共にした譜めくりスタッフとピアノに向け、小さく拍手を送る謙虚な姿も印象的だった。
小田実結子〔おだ・みゆこ〕
作曲家・編曲家。武蔵野音楽大学作曲学科卒業及び、同大学院修士課程作曲専攻修了。教育活動の傍ら、雑誌取材や楽曲紹介といった執筆、クラシック音楽の創作を行う。奏楽堂日本歌曲コンクールをはじめ、作曲コンクールにおける入賞歴多数。
https://otsukimiomiyu.wixsite.com/odamiyuko
文/ 小田実結子
photo/ Ayumi Kakamu
tagged: セドリック・ティベルギアン, ピアノ
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