Web音遊人(みゅーじん)

酒井麻生代のフルートには、ジャズのマイナー楽器として張ってきた虚勢を排した清々しさがある

前々回で取り上げた渡辺貞夫の『プレイズ・バッハ』は、ヨハン・セバスティアン・バッハの「フルート・ソナタ」を収録したものだった。

“室内楽において”という前置きは付くものの、クラシック音楽の世界でフルートは、メロディを美しく彩る“メイン楽器”としてのポジションを確立しているといっても“盛りすぎ”とは指摘されないだろう。

片やジャズにおいてはどうだろう。スウィング時代からサックスの持ち替え楽器としては一般的であったものの、大ヒット曲「カミン・ホーム・ベイビー」を収録した『ヴィレッジ・ゲイトのハービー・マン』(1962年リリース)でハービー・マンが脚光を浴びるまで、単独の“ジャズ・フルーティスト”は存在しなかった、と言ってもいい。

おそらく、ジャズ演奏全体の音量に比してフルートの音量が足りないために、アンサンブルを組み立てるのが難しいと考えるリーダーが多かったことから、プレイヤー側もジャズ・フルート専門であることをあきらめていたのだと推察できる。ところが、1950年代以降の音響機器の進化によって音量の問題が解決されたことに加えて、ボサノヴァなど“音量よりニュアンスを重視するタイプの音楽”にも注目が集まるようになった──といった要因が“フルートの独立”を後押ししたに違いない。

もうちょっと付け加えれば、1940年代以降のジャズ・シーンで象徴的なポジションを築き上げた、トランペットやサックスをフロントとするビバップあるいはハード・バップといったタイプのジャズに対するアンチテーゼを、フルートに担わせようとしたんじゃないかと考えたんじゃないかと考えられることも挙げておきたい。

とはいえ、背景のビートは“ジャズらしさ”を感じさせなければジャズとしてのアイデンティティを保てなくなる。そのため、クラシックで言うところのフルートらしい“鈴を転がすような”スムーズな奏法ではなく、あえて息づかいも聞こえるような奏法のほうが評価されていたと見るべきだろう。

もちろん、1960年代以降のジャズ・フルートは室内楽もフューズ(融合)して変容したので、スムーズな奏法だから“ジャズではない”という認識は薄れていた。

だが逆に、先述のアイデンティティを薄めないためにも、“クラシック的ではない”ことを前面に出すコンセプトを必要としていたと言えるかもしれない。例えばリズムを強調するアレンジや、あえて主題とは異なるコード・ワークを使うといった“変化球”を用いるわけだ。

誤解を恐れずに言えば、クラシックとは同じ土俵に上がりたくないという、ジャズならではの反骨精神のなせるわざだったのだろう。

そこで登場するのが、ジャズ・フルーティストの酒井麻生代だ。

フルートをフルートらしく演奏するジャズの登場

2016年に『シルバー・ペインティング』でメジャー・デビューを果たした彼女、フルートを始めたのは10歳で、数々のコンクールにも入賞していたから、“クラシック界期待の星”だったはずだ。

それが、大阪教育大学の芸術専攻音楽コースに進むとポップスにもレパートリーを広げ、2011年には短期ながらボストンへ留学してジャズなどの見聞を広める。

2018年にはセカンド・アルバム『展覧会の絵』を発表。どちらも、クラシックの楽曲に真正面から取り組んだ作品で、いわゆる“ジャズ側からのアプローチであることのエクスキューズ”を感じない内容となっている。

クラシックというテーマに“正面から取り組もう”が“変化球を使おう”が、それは発信者であるミュージシャンの勝手だ。

それはまた、どう受け取るかはリスナーの勝手、ということでもある。

“ジャズを聴きたい”という想いが底辺に存在するリスナーにしてみれば、中途半端なクラシックめいた音楽に付き合わされるのはまっぴら、と思うのも勝手だということなのだ。

その点で酒井麻生代は、自らの演奏をジャズという“変化球”に委ねることなく、クラシックの視点で理解した楽曲のニュアンスを表現すべく、ジャズ側の共演者と音を混じり合わせようとしている。

これは、ある意味でジャズにおける特異な立ち位置のフルートだったからやりやすかった“転身”だったのかもしれないが、だからこそはからずもジャズとクラシックの関係性にとって象徴的な役割を担ってくれた──と言えるんじゃないだろうか。

富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
富澤えいちのジャズブログ富澤えいちのジャズ・ブログ道場Facebook

 

特集

辻󠄀井伸行

今月の音遊人

今月の音遊人:辻󠄀井伸行さん「ピアノは身体の一部、大切な友だちのようなものです」

3638views

ジェフ・リンズELO

音楽ライターの眼

ジェフ・リンズELOがライヴ映像作品/CD『ウェンブリー・オア・バスト〜ライヴ・アット・ウェンブリー・スタジアム』を発表

4437views

楽器探訪 Anothertake

26年ぶりにラインアップを一新!「長く持っても疲れにくい」を実現し、フラッグシップモデルが加わったバリトンサクソフォン

3991views

楽器のあれこれQ&A

ドの音が出ない!?リコーダーを上手に吹くためのアドバイスとお手入れ方法

197826views

ぱんだウインドオーケストラの精鋭たちがバイオリンの体験レッスンに挑戦!

おとなの楽器練習記

【動画公開中】ぱんだウインドオーケストラの精鋭たちがバイオリンの体験レッスンに挑戦!

13998views

一瀬忍

オトノ仕事人

ピアノとピアニストの絆を築く、アーティストリレーションの仕事

4789views

メニコン シアターAoi

ホール自慢を聞きましょう

五感で“みる”ことの素晴らしさを多くの方と共感したい/メニコン シアターAoi

3539views

こどもと楽しむMusicナビ

クラシックコンサートにバレエ、人形劇、演劇……好きな演目で劇場デビューする夏休み!/『日生劇場ファミリーフェスティヴァル』

7299views

浜松市楽器博物館

楽器博物館探訪

世界中の珍しい楽器が一堂に集まった「浜松市楽器博物館」

33112views

横浜レンタル倉庫(YRS)

われら音遊人

われら音遊人:目指すはフェス! 楽しみ、楽しませ、さらなる高みへ

2203views

パイドパイパー・ダイアリー Web音遊人

パイドパイパー・ダイアリー

あれから40年、おかげさまで「音」をはずさなくなりました

4980views

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅

26707views

大人の楽器練習記:バイオリニスト岡部磨知がエレキギターを体験レッスン

おとなの楽器練習記

おとなの楽器練習記:バイオリニスト岡部磨知がエレキギターを体験レッスン

20235views

武蔵野音楽大学楽器博物館

楽器博物館探訪

専門家の解説と楽器の音色が楽しめるガイドツアー

8897views

音楽ライターの眼

ホールの空間を広げるピリオド楽器の“怪”と“快”/珠玉のリサイタル&室内楽 ベートーヴェン初期の室内楽 ~鈴木・小倉・岡本が創る新時代の幕開け~

5688views

オトノ仕事人

プラスマイナス0.05ヘルツまで調整する熟練の技/音叉を作る仕事

33929views

われら音遊人

われら音遊人:みんなの灯をひとつに集め、大きく照らす

6117views

v

楽器探訪 Anothertake

弾く人にとっての理想の音を徹底的に追究したサイレントバイオリン™

7067views

ホール自慢を聞きましょう

地域に愛される豊かな音楽体験の場として京葉エリアに誕生した室内楽ホール/浦安音楽ホール

11505views

パイドパイパー・ダイアリー

パイドパイパー・ダイアリー

泣いているのはどっちだ!?サクソフォン、それとも自分?

6305views

楽器のあれこれQ&A

ピアノ講師がアドバイス!練習の悩みを解決して、上達しよう

5010views

日生劇場ファミリーフェスティヴァル

こどもと楽しむMusicナビ

夏休みは、ダンス×人形劇やミュージカルなど心躍る舞台にドキドキ、ワクワクしよう!/日生劇場ファミリーフェスティヴァル2022

3509views

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅

26707views