Web音遊人(みゅーじん)

“音の宝石箱”に魅せられて、瞬く間に時は過ぎた/松田華音 ピアノ・リサイタル

ピアノ・ソナタで始まり、小品の集合体の曲を2作演奏という面白いプログラム。作者はソナタがベートーヴェン(1770~1827)、次いでシューマン(1810~56)の「謝肉祭」とチャイコフスキー(1840~93)の「18の小品」で、弾き手は人気若手ピアニスト・松田華音である。「構成の意図は何なのか?」といろいろ考えてみたが、これといった推測にたどり着けないまま当日を迎えた。

熱暑が続くなか、汗を拭き拭き詣でた幅広い年齢層の客でホールは満席だ。時間どおりに舞台に登場した松田は、静かで落ち着いたたたずまい。旬の香味・ミョウガを連想するぼかし色のドレスが涼やかに目に映る。

ベートーヴェンの「ピアノ・ソナタ第31番」が始まる。ロマンチックで流麗な第1楽章、暑さで滅入った心がすうっとほぐれていく。「ああそういうことかも」と、妙に腑に落ちた。ソナタ32作のうち、誰もが真っ先に演奏する曲ではないが、息苦しいほどの熱暑の夜にリラックスして聴ける、呼吸が楽になっていく音楽はとてもありがたい。心地よい「おもてなし」にうれしい気分になった。

また、3楽章形式では珍しく第2楽章がアレグロでリズミックだが激高調ではないし、第1楽章は優美に歌い、第3楽章もテンポの変化はあるもののゆっくり内省しつつ陰から陽に転じていき、いずれも気合いで演奏する類いの曲ではない。松田の左手は終始深みのあるニュアンスを、右手はみずみずしさを湛え、弾き終えると客席からいきなり「ブラボー!」が飛んだ。

続いてシューマンの「謝肉祭」は、「4つの音符による面白い情景」の副題が示すように、自身の名(Schumann)や当時の婚約女性の出身地(As)のアルファベット「ASCH」をドイツ語音名として活用し、仮面舞踏会の情景を20の小曲で表現している。

「As=A(ラ)」「C(ド)」「H=B(シ)」で、曲によっては「A(ラ)」や「Es=E(ミ)」を用いている。これらが仮面舞踏会の変装よろしく、見え隠れしながらシューマン独自の世界が展開するのだが、実は身の回りの現実をかなり反映させていて、各タイトルからもそれがよくわかる。たとえば「オイゼビウス」と「フロレスタン」は自身の分身で、相反する性格、つまり一方は「夢想的」もう一方は「行動的」であるし、「キアリーナ」は密かに恋心を抱き始めた少女ピアニスト・クララのイタリア名の愛称だ。こんな独特の曲を、松田はまるで絵巻物を繰るように、テンポよくムラなく展開していく。平均すると1曲1分余りとなろうが、せせらぎの風景を飽きずに眺めているような気分にさせる演奏で、曲数が20もある割には、あっという間に終わってしまうのだった。

休憩をはさんで、チャイコフスキー最晩年の「18の小品」も、同様に豊かな響きで小ピースが展開。「性格的舞曲」「踊りのためのマズルカ」「演奏会用ポロネーズ」など12曲を抜粋しての演奏にもかかわらず違和感なく、曲調のせいでもあるが、まるでバレエのガラ公演を見ているかのように、軽妙なステップあり優雅なダンスありで、自然に聴き入るうちにすんなり終わってしまった。

総じて松田の演奏は安定したリズム感で、和音やユニゾンなどはまるでオーケストラのように響き合い、音の宝石箱のように感じられた。また「山谷の激しい大曲でなくとも、ピアノ・リサイタルは存分に楽しめる。特に猛暑の時節は気負わずに聴ける音楽は一服の清涼剤!」と改めて思えた。

原納暢子〔はらのう・のぶこ〕
音楽ジャーナリスト・評論家。奈良女子大学卒業後、新聞社の音楽記者、放送記者をふりだしに「人の心が豊かになる音楽情報」や「文化の底上げにつながる評論」を企画取材、執筆編集し、新聞、雑誌、Web、放送などで発信。近年は演奏会やレクチャーコンサート、音楽旅行のプロデュースも。書籍「200DVD映像で聴くクラシック」「200CDクラシック音楽の聴き方上手」、佐藤しのぶアートグラビア「OPERA ALBUM」ほか。
Lucie 原納暢子

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