今月の音遊人
今月の音遊人:横山剣さん「音楽には、癒やしよりも刺激や興奮を求めているのかも」
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ピアノとビオラの重鎮が、分断する世界に連帯感を呼び起こした。コロナ禍が深刻度を増す緊急事態宣言の中、2021年1月17日にヤマハホールで開かれた「伊藤恵&今井信子デュオ・コンサート」。人々の歌声が消え入りそうな東京で、今井のビオラがシューベルトとシューマンの歌曲を祈るように歌い、伊藤のピアノが寄り添い共鳴する。孤独とさすらいの言葉なき哀歌が、聴き手に慰めと癒やし、前向きな気持ちをもたらした。
曲目は伊藤が得意とするドイツロマン派のシューベルト、シューマン、ブラームスの作品。前半はソナタ、後半は歌曲の声楽パートをビオラが奏でるというもの。伊藤と今井の持ち味を最大限に生かす選曲だ。人声に近い楽器といわれるビオラによる歌は、カラオケも合唱も楽しめないコロナ禍の今にふさわしい。
まずはシューベルト『アルペジオーネ・ソナタ イ短調D821』。6弦の新楽器アルペジオーネのために作曲されたが、現在はビオラやチェロで演奏される。
伊藤が第1楽章の物悲しい第1主題を遅めのテンポで弾くと、今井のビオラが同じ旋律を低音域でゆったりと奏でる。「祈りを感じる」と伊藤が称賛する今井ならではの音色だ。長調に転じた第2主題でも軽快ながら優しい響きを聴かせた。
緩やかな第2楽章アダージョでは、今井の魅力が一段と引き立つ。隅々まで息づく持続音は、1つの音を奏でる尊さを実感させる。
2曲目はブラームス『ビオラ・ソナタ第2番 変ホ長調作品120-2』。晩年の枯淡がにじむ傑作『クラリネット・ソナタ第2番』をブラームス自身がビオラ用に編曲した。クラリネットによる空いた響きの寂寥感とは異なり、ビオラは音に厚みと柔らかさがある。第2楽章でややリズムがつかみにくい箇所があったが、伊藤らしい抒情的で表情豊かなピアノと、今井の伸びやかなビオラが滑らかに溶け合っていた。
後半はいよいよ歌曲だ。まずシューベルト『冬の旅』から2曲。『おやすみ』では『さすらい行進曲』とも呼ぶべき寂しげなリズムをピアノが刻む。その足取りに乗って淡々とビオラが歌う。続く『菩提樹』。伊藤が分散和音を繊細に鳴らし、今井の滑らかなボウイングが美しい旋律を安堵感で包む。なだらかな丘陵地帯の果てに1本の菩提樹が見えてきそうだ。
シューマン『詩人の恋』は全16曲を披露した。伊藤の強い意向でハイネによる歌詩の日独対訳プリントが用意された。恋情、憧憬、失恋の痛みを歌う曲ごとにピアノとビオラが表情を微妙に変化させる。そこから聴き手は詩の意味を読み取る。新しい器楽の試みだ。
共演を聴くにつれて、音楽とは結局のところ歌なのではないかと思った。難解な現代音楽と思われがちなウェーベルンでさえ、作品のほぼ半数は歌曲と合唱曲だ。歌は詩心を分かち合う。疫病や戦争、経済格差で人々が分断され、孤立する現代において、言葉なき歌は詩の故郷へと私たちを導き、共感という安らぎの菩提樹に巡り合わせてくれるだろう。
池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
日本経済新聞社文化部デスク。早稲田大学卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。専門誌での音楽批評、CDライナーノーツの執筆も手掛ける。
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