今月の音遊人
今月の音遊人:小野リサさん「ブラジルの人たちは、まさに『音で遊ぶ人』だと思います」
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連載38[ジャズ事始め]佐藤允彦が東欧で体験した大衆的ジャズとフリー・インプロヴァイズの曖昧な関係
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2021.6.17
1992年10月前半の18日間、佐藤允彦は“TON-KLAMI”の一員として、リトアニア~ラトヴィア~ロシアを巡るコンサート・ツアーに出た。
“TON-KLAMI”は、姜泰煥(カン・テファン、韓国を代表するサックス奏者で、1978年に結成した彼のトリオは韓国初のフリー・ジャズ・ユニットとして歴史に名を残している)と高田みどり(打楽器奏者として世界のアヴァンギャルド・シーンを牽引する存在)を擁した“フリー・インプロヴァイズ・トリオ”。
ちなみに、“トン・クラミ”とは韓国語で“環”、またドイツ語で“TON”は“音”、発音の近い“KLAMME”は“欠乏した”の意で、そのココロは“貧乏な音(=売れないバンドの意)”とした、髙田みどりによる命名だったとか。
1991年にソビエト連邦からの独立を果たしたリトアニアでは、ソ連政府による経済制裁という“いじめ”を受けて、極度のエネルギー不足に悩まされることになる。その真っ只中で強行されたのが、この“TON-KLAMI”によるツアーだった。
コンサート会場となっていた丘の上のホールまで、フロント・ガラスに大きなひびの入ったマイクロバスで運ばれた佐藤允彦たちは、そこをめざして集まってくるリトアニアの人たちの姿を見て驚いたと記している。
「皆質素なコートの下は男女を問わず思い切り着飾っている。まるでオペラかシンフォニーのガラ・コンサートのようだ。これが街灯も給湯も節約している国の人々だろうか、とわが目を疑った」(引用:佐藤允彦『すっかり丸くおなりになって…』1997年、メーザー・ハウス刊)
ドレスアップした観客に、ヨーロッパにおける音楽文化への畏敬や、旧東側の抑圧と解放といった学術的感想を残すだけならよかったのだけれど、佐藤允彦の脳裏に浮かんだのは、「ジャズのスタンダード・ナンバーをピックアップしてお上品に演奏したほうがいいのではないか?」という“バンドマン根性から発する忖度”だった。
つまり、こんなにまでこのコンサートを楽しみにしてくれている観客に、「多くの人が受け容れるはずのない音楽」であるフリー・ジャズを披露するのがためらわれてしまったというのだ。
が、もちろん、この3名がスタンダード・ナンバーをキレイに演奏してお茶を濁すはずもなく、このトリオでしか出すことのできないフリー・インプロヴァイズを遠慮会釈なしに観衆へと放つことになる。しかし、想像に反してコンサートは好評のうちに終演となった。
フリー・ジャズの許容度に関する国民性はひとまず置いておくとして、このエピソードで興味深かったのは、その後の話。
フリー・ジャズがこれらの地で(日本のように)辟易とされず受け容れられることがわかったのはいいとして、そのうえで、“TON-KLAMI”を“ジャズ・グループ”と紹介し、そう認識している現地の人たちに、疑問を抱くようになったというのだ。
とうとう彼は、ラトヴィアの首都リガへ移動して新聞記者のインタヴューを受けているときに、思わず「あなたがたは“ジャズ”という語をどういう意味で使っているのか」と逆質問してしまう。
そのやり取りについては、次回。
富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
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