Web音遊人(みゅーじん)

多様性の新クラシックへ、先導役はサクソフォン/田中靖人サクソフォン・リサイタル

田中靖人のサクソフォンは、新しいクラシック音楽のインキュベーター(培養器)である。欧州辺境を情熱で焦がすロマの音楽から新大陸のジャズまで、様々なジャンルが包摂され、ダイバーシティー(多様性)が炸裂する。2021年11月7日、ヤマハホールでの「田中靖人サクソフォン・リサイタル」は、クラシックの現代性と多様な可能性をサクソフォンが先導する現場に立ち会う魅惑の体験だった。

クラシックが新しくなるのは、田中のサクソフォン演奏のために作曲家の長生淳が新曲と編曲を長年提供していることにもよる。今回の演目もほとんどが長生の作・編曲だ。「田中さんの演奏に触発されて曲を書いてきた」と長生は話す。無調や十二音技法による難解な現代音楽にこだわらず、美しい旋律を持つ調性音楽で「新クラシック」を切り開いてきた。「お客様に楽しんでもらいたい」という田中ら演奏家の要請に応じてのことだった。

1曲目のアルベニス『イベリア第1集』の『セビーリャの聖体祭』は、長生がピアノ曲をサクソフォンとピアノのデュオ用に編曲したもの。サクソフォンが加わると、オーケストレーションを施したような色彩感と壮大さが醸し出される。田中と共演を重ねてきた白石光隆のピアノが絶妙なリズム感覚で華やかな超絶技巧をみせる。2人の奔放さと爽快なリズムの一致が相まって、原曲よりもラプソディー風の魅力を強めている。テンポを極端に緩めた静謐な終結部では、祭りの崇高な余韻を漂わせた。

長生作曲の『変奏曲』では、ピアノの穏やかなアルペジオに乗ってサクソフォンが美しい旋律を鳴らす。それがリズミカルでポップな表情を見せたり、哀愁を漂わせたりしながら、いつしか超絶技巧の異様な音楽へと変容する。通常音域を超えたサクソフォンの超高音(フラジオ)が最強の音量で引き延ばされ、女声合唱を思わせる。圧巻の変奏だ。

『チゴイネルワイゼン』をもじった長生編曲『チガイノワカルYJ』は、ロマ風音楽のてんこ盛り。田中と白石、バイオリンの大森潤子によるトリオで、大森の情念たっぷりの分厚い音色が胸に刺さる。リスト『ハンガリー狂詩曲第2番』、コダーイ『ハーリ・ヤーノシュ』など民俗色の濃い旋律が飛び出し、違いが分からなくても興奮の渦に巻き込まれる。

現代音楽の開祖シェーンベルクは、十二音技法による自作の革新性を主張するあまり、国民楽派や新古典主義の調性音楽を皮肉る面があった。しかし彼が、俗謡も古典も素材にして多様性の交響曲を書いたマーラーを崇敬していたのは興味深い。マーラーは、クラシカルなスタイルが古今東西の音楽を包摂する可能性を示した。長い歴史に育まれたクラシックの地盤の広大さが分かる。

サクソフォンは1840年代に開発された比較的新しい楽器だ。ジャズやポップスに盛んに使われ、古典のレパートリーは少ない。だが、あえてクラシックの地盤に立脚すれば、古典もジャズも十二音技法さえも含め、「いい音楽をジャンルに関係なく融合し、歴史を作っていく」(田中)ことができる。クラシックの未来がサクソフォンから広がる。

 

池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
日本経済新聞社メディアプロデューサー。早稲田大学卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。専門誌での音楽批評、CDライナーノーツの執筆も手掛ける。
日本経済新聞社記者紹介

photo/ KOKI NAGAHAMA

facebook

twitter

特集

武田真治インタビュー

今月の音遊人

今月の音遊人:武田真治さん「人生を変えた、忌野清志郎さんとの出会い」

17054views

藤田真央

音楽ライターの眼

クララ・ハスキルの覇者が魅せる古典派作品の世界/藤田真央 ピアノ・リサイタル

5012views

最新の音響解析技術で低音域のパワフルな音量と響きを実現

楽器探訪 Anothertake

アコースティックギター専用の音響解析技術で低音域のパワフルな音量と響きを実現

10238views

バイオリンを始める時に知っておきたいこと

楽器のあれこれQ&A

バイオリンを始める時に知っておきたいこと

9029views

おとなの楽器練習記

おとなの楽器練習記:和洋折衷のユニット竜馬四重奏がアルトヴェノーヴァのレッスンを初体験!

5437views

ステージマネージャーの仕事 - Web音遊人

オトノ仕事人

ステージマネージャーひと筋に、楽員とともにハーモニーを奏で続ける/オーケストラのステージマネージャーの仕事(後編)

17823views

ホール自慢を聞きましょう

歴史ある“不死鳥の街”から新時代の芸術文化を発信/フェニーチェ堺

8906views

こどもと楽しむMusicナビ

クラシックコンサートにバレエ、人形劇、演劇……好きな演目で劇場デビューする夏休み!/『日生劇場ファミリーフェスティヴァル』

7019views

武蔵野音楽大学楽器博物館

楽器博物館探訪

世界に一台しかない貴重なピアノを所蔵「武蔵野音楽大学楽器博物館」

22966views

われら音遊人:クラノワ・カルーク・ オーケストラ

われら音遊人

われら音遊人:同一楽器でハーモニーを奏でる クラリネット合奏団

8424views

山口正介

パイドパイパー・ダイアリー

クラス分けもまた楽しみ、レッスン通いスタート

4955views

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅

26172views

おとなの楽器練習記

おとなの楽器練習記:和洋折衷のユニット竜馬四重奏がアルトヴェノーヴァのレッスンを初体験!

5437views

武蔵野音楽大学楽器博物館

楽器博物館探訪

専門家の解説と楽器の音色が楽しめるガイドツアー

8654views

ドイツのバリトンの名手、クリスティアン・ゲルハーヘル、馨しきモーツァルトのオペラ・アリアを歌う

音楽ライターの眼

ドイツのバリトンの名手、クリスティアン・ゲルハーヘル、馨しきモーツァルトのオペラ・アリアを歌う

5507views

コレペティトゥーアのお仕事

オトノ仕事人

歌手・演奏者と共に観客を魅了する音楽を作り上げたい/コレペティトゥーアの仕事(後編)

7744views

われら音遊人

われら音遊人:みんなの灯をひとつに集め、大きく照らす

5874views

楽器探訪 Anothertake

26年ぶりにラインアップを一新!「長く持っても疲れにくい」を実現し、フラッグシップモデルが加わったバリトンサクソフォン

3797views

ホール自慢を聞きましょう

歴史ある“不死鳥の街”から新時代の芸術文化を発信/フェニーチェ堺

8906views

パイドパイパー・ダイアリー

パイドパイパー・ダイアリー

もしもあのとき、バイオリンを習っていたら

5821views

トロンボーン

楽器のあれこれQ&A

初心者なら知っておきたい、トロンボーンの種類や選び方のポイント

13748views

こどもと楽しむMusicナビ

オルガンの仕組みを遊びながら学ぶ「それいけ!オルガン探検隊」/サントリーホールでオルガンZANMAI!

9090views

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅

26172views