Web音遊人(みゅーじん)

連載5[多様性とジャズ]“スキャットの誕生”に見え隠れするジャズが求めた多様性

前稿で触れた、ジャズがアドリブ重視となる“転換点”からまず説明しよう。

ジャズをジャズたらしめている表現方法のひとつに、スキャットがある。

スキャットを辞書で調べてみると、「ジャズなどで、歌詞の代わりに意味のない音で即興的に歌うこと」(引用:デジタル大辞泉)とあり、百科事典には、「ボカリーズの一種で、特別な意味のない音を即興的につないでゆく歌い方。L. アームストロングが録音中に歌詞を忘れたところから始ったという説もある」(引用:ブリタニカ国際大百科事典小項目事典)や、「ジャズ・ボーカルの技巧のひとつで、歌詞をつけず〈ダバディダ…〉とか〈シュビドゥワ…〉といった意味のない音声で即興的に歌うこと。楽器の代りに人声の擬音を用いた演奏といってもよい。ルイ・アームストロングが1926年に《ヒービー・ジービーズ》を吹き込んだとき、歌詞を忘れた個所をごまかすために使用したのがかえっておもしろいと評判になり、それから広く行われるようになったとされている」(引用:世界大百科事典 第2版、執筆:中村とうよう)という記載がある。

楽器の真似をしたりして意味のない音を自由に出す、つまり楽譜にはない即興的な歌唱というところで、“ジャズらしさ”の代表的手法とされたというわけだ。

そしてこのスキャットを最初にやったのが、上記引用の記述にもあるルイ・アームストロング。“最初に”というのは、レコーディングつまりエヴィデンスがあるという意味で、だ。

ルイ・アームストロングは、1901年生まれ、米ルイジアナ州ニューオーリンズ出身のジャズ・ミュージシャンで、主にトランペットを演奏し、歌も歌い、曲も作った。

1923年からは大都会として繁栄するシカゴやニューヨークに進出して、当時の人気楽団に採用されレコーディングにも参加するなど、エンタテインメント・シーンの最前線で活躍するようになっていく。

そんな上り調子の最中で起きたのが、録音事故になりかねないアクシデントだった。

1926年、初めて自己名義のバンド“ルイ・アームストロングと彼のホット・ファイヴ”を結成して臨んだレコーディングでのこと。「ヒービー・ジービーズ」という曲を歌っているとき、途中で歌詞シートをうっかり落としてしまったのだ。

いまやスマホでも簡単に行なえるので実感するのは難しいのかもしれないけれど、当時は“録音”という行為自体がとても貴重で、しかも費用がかかるものだったため、簡単に録り直すということがしにくい雰囲気があった。

それを感じていたかどうかは定かではないが、ルイ・アームストロングは暗記していなかった歌詞の部分をとっさの判断で、まるで楽器の音を真似したような声を使い、言葉にすらならない歌に仕立てて続けたのだ。

このハプニングこそが、世に言う“スキャットの誕生”だったわけである。

もちろん、それまでにもライヴの現場ではこうした口真似遊びが演奏の余興として行なわれていただろうことは想像に難くなく、ルイ・アームストロングが自ら生み出した奏法としてそれを(満を持して)披露したとは考えにくい。しかし、レコーディングという“証拠の残るもの”だったという点で、彼に“スキャットのパイオニア”という名誉を与えることに異論はない。

いや、むしろルイ・アームストロングが始めたと言われるようになったことで広く認知され、スキャットはジャズを超えてポピュラー音楽全般に広まったとも考えられる。

こうしてジャズの世界ではいち早く、歌詞はそのままでメロディを自分流に崩して歌う“フェイク”とも大きく異なる、歌なのに言葉がなくても成立する音楽へと歩みを進めていくことになった。

この“歌なのに言葉がなくても成立する音楽”が、本稿のテーマである“多様性”にも関係しているはずなので、このあたりを次回は掘り進めてみたい。

ということで今回は、エラ・フィッツジェラルドがルイ・アームストロングに敬意を表して歌っている「マック・ザ・ナイフ」を紹介しておこう。


参考動画:Mack The Knife (Live at the Deutschlandhalle, Berlin, 1960)

「多様性とジャズ」全編 >

富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
富澤えいちのジャズブログ富澤えいちのジャズ・ブログ道場Facebook

facebook

twitter

特集

辻󠄀井伸行

今月の音遊人

今月の音遊人:辻󠄀井伸行さん「ピアノは身体の一部、大切な友だちのようなものです」

4889views

音楽ライターの眼

連載21[ジャズ事始め]空前のジャズ・ブームの陰で“新しい発見”を求める同志が出逢っていた

2841views

【楽器探訪 Another Take】ベルの彫刻デザインとマウスピースも一新

楽器探訪 Anothertake

ベルの彫刻デザインとマウスピースも一新

12475views

楽器のあれこれQ&A

ドラムの初心者におすすめの練習方法や手が疲れないコツ

12765views

大人の楽器練習機

おとなの楽器練習記

おとなの楽器練習記:世界的ピアニスト上原彩子がチェロ1日体験レッスン

20067views

楽器博物館の学芸員の仕事 Web音遊人

オトノ仕事人

わかりやすい言葉で、知られざる楽器の魅力を伝えたい/楽器博物館の学芸員の仕事(後編)

10022views

秋田ミルハス

ホール自慢を聞きましょう

“秋田”の魅力が満載/あきた芸術劇場ミルハス

7897views

東京文化会館

こどもと楽しむMusicナビ

はじめの一歩。大人気の体験型プログラムで子どもと音楽を楽しもう/東京文化会館『ミュージック・ワークショップ』

8780views

民音音楽博物館

楽器博物館探訪

歴史的価値の高い鍵盤楽器が並ぶ「民音音楽博物館」

27590views

武豊吹奏楽団

われら音遊人

われら音遊人: 地域の人たちの喜ぶ顔を見るために苦しいときも前に進み続ける

2861views

山口正介

パイドパイパー・ダイアリー

だから続けられる!サクソフォンレッスン10年目

5575views

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする Web音遊人

音楽めぐり紀行

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする

11870views

おとなの楽器練習記

おとなの楽器練習記:注目のピアノデュオ鍵盤男子の二人がチェロに挑戦!

9767views

上野学園大学 楽器展示室」- Web音遊人

楽器博物館探訪

伝統を引き継ぐだけでなく、今も進化し続ける古楽器の世界

14631views

華麗なる完璧主義者、カラヤンの音楽と人生

音楽ライターの眼

華麗なる完璧主義者、カラヤンの音楽と人生 vol.2

10235views

小見山優子さん

オトノ仕事人

ゲーム音楽は勝ってはいけない、負けてはいけない。大切なのは調和──/ゲームコンポーザーの仕事

2399views

横浜レンタル倉庫(YRS)

われら音遊人

われら音遊人:目指すはフェス! 楽しみ、楽しませ、さらなる高みへ

2855views

懐かしのピアニカを振り返る

楽器探訪 Anothertake

懐かしのピアニカを振り返る

20469views

福岡市民ホール

ホール自慢を聞きましょう

歴史をつなぎ、新しい感動をつくる。音楽・芸術文化の新たな拠点/福岡市民ホール

617views

山口正介

パイドパイパー・ダイアリー

だから続けられる!サクソフォンレッスン10年目

5575views

楽器のあれこれQ&A

サクソフォン講師がアドバイス!ステップアップのコツ

3097views

東京文化会館

こどもと楽しむMusicナビ

はじめの一歩。大人気の体験型プログラムで子どもと音楽を楽しもう/東京文化会館『ミュージック・ワークショップ』

8780views

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅

28283views