今月の音遊人
今月の音遊人:大江千里さん「バッハのインベンションには、ポップスやジャズに通じる要素もある気がするんです」
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前稿で予告した“2人のドイツ人が立ち上げたレコード会社を扱った映画”とは、『ブルーノート・ストーリー』のこと。
ミニシアター系で1週間の限定上映という“ハードルの高さ”からして、中古レコード店のエサバコ(LPレコードがほぼ隙間なく詰め込まれたディスプレイ・スペースのマニア的な呼称)を希少盤目当てに探った経験のあるコアなジャズ・ファンなら心躍らせるであろう演出ではないかとポジティヴに解釈しながら某日の昼前に上映館を訪れると、開場を待つ同好の士がエントランスにゾロゾロ。
“いまだブルーノート人気は衰えず”という感を強くする光景を目の当たりにした。
さて、『ブルーノート・ストーリー』とは、2018年に製作されたドイツ映画で、ジャズ・レーベルの代名詞と言っても過言ではないブルーノートの創設に関わった2人の人物を軸に、20世紀半ばに築かれた“ジャズ黄金時代”の一翼を担ったこのレーベルの活動エピソードを、関係者の証言と、資料をもとにした再現アニメーションで構成したドキュメンタリータッチの作品。
製作総指揮はヴィム・ヴェンダース。1945年生まれ、ドイツのデュッセルドルフ出身の映画監督で、1970年代にはロードムーヴィー3部作によって世界的な注目を浴び、『ことの次第』(1982年)のヴェネチア国際映画祭金獅子賞に始まり、『パリ、テキサス』(1984年)のカンヌ国際映画祭パルム・ドール、『ベルリン・天使の詩』(1987年)のカンヌ国際映画祭監督賞、『時の翼にのって ファラウェイ・ソー・クロース!』(1993年)のカンヌ国際映画祭審査員特別グランプリ賞、『ミリオンダラー・ホテル』(2000年)のベルリン国際映画祭銀熊賞と、その受賞歴は枚挙にいとまがない。音楽系ではアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞ノミネートの『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(1999年)を挙げておきたい。
ヴィム・ヴェンダースが『ブルーノート・ストーリー』公式サイトや映画パンフレットでも触れているように、ブルーノート・レーベルは2019年に創立80周年を迎えている。どうやらこれがこの映画が製作されるきっかけとなったようだ。
主人公のアルフレッド・ライオン(1908年生まれ)とフランシス・ウルフ(1907年生まれ)がドイツのベルリンで出逢ったのは10代のころだった。彼らの10代とはドイツにワイマール共和国が成立していた時期で、ベルリンを中心に芸術文化が栄え、黄金時代と呼ばれるにぎわいを呈していた。世界各地からさまざまな文化が流入する国際都市のなかで、2人はアメリカからもたらされた音楽に特に惹かれていく。
20代半ばになっていた1933年、アドルフ・ヒトラーが首班指名を受けると、ドイツ国内では独裁体制による圧政が進んでいく。2人ともユダヤ系だったことから、身の危険を感じて、まずライオンが渡米。ウルフも「ヒトラーが指揮権を握る秘密警察ゲシュタポの取り締まりを受けずにドイツから出航する最後の船」でニューヨークへたどり着き、夢として語り合っていた「大好きなジャズのレコード会社を立ち上げて生計を立て」るために設立したのが、ブルーノート・レーベルだった。
若いころのライオンとウルフのエピソードを再現するのに、実写ではなくアニメーションを用いていたのは斬新で、とても効果的だった。また、ブルーノートゆかりのジャズ・ミュージシャンによる証言はもちろん、卓越したレコーディング技術でレーベルのクオリティをメジャーに勝るとも劣らないものに仕立てたルディ・ヴァン・ゲルダー(2016年に彼が亡くなる直前のもの)や、ジャズクラブ“ヴィレッジ・ヴァンガード”のオーナーだったロレイン・ゴードン(ライオンの元妻、2018年逝去)の貴重なインタヴューが記録されたことも、この作品の意義を高めている。
作品中、象徴的に扱われているのが、ライオンがミュージシャンやスタッフに出していた「シュウィングさせて!」と指示する言葉だ。映画のオリジナル・タイトルにもなっているが、彼が発していた“Schwing”という言葉は“Swing”のドイツ訛りで、デューク・エリントンを引き合いに出すまでもなくジャズにとって最も重要とされる“ノリ”のこと。
ブルーノート・レーベルというアメリカの芸術文化の一翼を担った、いや、ブルーノート・レーベルを抜きにして“20世紀最高のパフォーマンス芸術”と賞賛されるジャズを語ることはできないとさえ言える、その中心にいた人物が最後まで“異邦人”としてのアイデンティティを保ったままジャズに寄り添っていたことこそが、このドキュメンタリーが伝えたかった“ブルーノート・レーベルの真実”だったのではないだろうか。
それは、ドイツ人であるヴィム・ヴェンダースだから気づいた視点でもあり、ライオンとウルフがジャズにとって必ずしも当事者とは言い切れない立ち位置にいたからこそ、ジャズへの偏見を(我が身への偏見の映し鏡として)はねのけて、多様なその音楽的特性を損なわずに、作品として収蔵することができたのだ。
ボクは何度かブルーノートの歴史をまとめる原稿を書いたことがあったのだけれど、当初は必ずしもジャズの最先端(つまりビバップ)ではないスウィンギーな作品をリリースしていたこのレーベルが、大手のようなマーケット的必然性(つまり売れ線狙い)でもなくマニアックな最先端ジャズへとラインアップを広げていったことへの疑問が拭い去れないままでいた。
しかしこの映画が、シュウィング(=スウィング)させるという視点をライオンらが有していたことを顕在化させることで気づいたのは、シュウィングとはまさに“ドイツの独裁政権による迫害から逃れてたどり着いた《自由の国》アメリカで、自由を具現させるために必要な、多様な価値観を表現するためのキーワード”であり、ともすれば“当事者として無自覚な自由のなかに没入してしまいがちなアメリカ人”に、“スウィングの重要性”をたびたび気づかせてくれていたことを描いていたのだと──。
富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
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文/ 富澤えいち
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