Web音遊人(みゅーじん)

連載13[多様性とジャズ]デビューの危機に救いの手を差し伸べたアトランティックとの“見えない絆”

チャールズ・ミンガスらが設立したデビュー・レコードは、“白人の手によって商業的に成功しているジャズが実は黒人のルーツ・ミュージックであることを知らしめる”という、壮大な文化的野望を秘めて船出をしたものの、残念ながら3年ほどで経営が危うくなってしまう。

この窮地に“救いの手”を差し伸べたのが、アトランティック・レコードというレコード会社だった。

アトランティック・レコードの設立は1947年。設立者のひとりであるアーメット・アーティガンはトルコの外交官の息子で、父親が大使として赴任したアメリカでジャズと出逢うことになる。

首都ワシントンですら黒人差別が激しいなか、アーメットはデューク・エリントンを招いて大使館内でコンサートを開くなど、自分が興味をもった音楽に関わる活動をつづけていたが、やがてレーベルを設立して本格的に黒人の音楽文化を後押しするようになる。

アーメットの兄のネスヒも1955年に経営に参加し、プロデューサーとして手がけたのが、チャールズ・ミンガスによるアトランティック・レコードの第1弾『直立猿人』(1956年)だった。

なお、アルバム・タイトル&タイトル・チューンの“直立猿人=ピテカントロプス・エレクトゥス”は、人類進化の4段階のうち猿人に続く第2段階である“原人”を指し、1960年代以降になってホモ・エレクトス(直立する人の意)と総称されるようになった。従って、1950年代当時は原人と猿人が区別されていないタイトルとなっている。

『直立猿人』のアルバムには、チャールズ・ミンガス自身が書いたライナーノーツが掲載されている。そこでこの曲について、次のような記述がある。

「この曲は私が考える“人類が初めて直立した姿”を音楽的に表現したもので、四つん這いの状態から立ち上がった“最初の人間”として胸を張り、まだ横になっている動物たちに対する優位性を説いている。しかし、自分が奴隷にしようとした人たちが必然的に解放されることを理解できず、さらに誤った安全保障によって地位と生命を守ろうとしたため、彼は人間である権利を否定されただけでなく、ついには完全に破滅してしまうのだ」(アルバム『直立猿人』のチャールズ・ミンガスによるライナーノーツより、筆者訳)

10分ほどのこの曲は、①進化②優越感③衰退④滅亡に分かれた組曲構成になっていて、彼の解説によれば“黒人を差別する白人の栄枯盛衰”を走馬灯のように表現したものと言える。

『直立猿人』はチャールズ・ミンガスの代表作のひとつとなったが、その背景には、(彼が自力で立ち上げた自己レーベルではなく)同じように人種差別問題に関心の高い別のレーベルの協力があったこと、すなわちミンガスの音楽的な才能だけではなく、音楽を介した政治的な活動の輪が広がりつつあったことを示しているとも言えるだろう。

デビュー・レコードの“商売下手”をここでは取り上げない。その一方で、ジュークボックス向けのシングルに注力したり、ブルー・アイド・ソウルと呼ばれた1960年代以降の白人ロックのマーケットにもいち早く進出するなど、アトランティック・レコードのマーケティング戦略の確かさは評価されるべきだろう。

ちなみにアトランティック・レコードはR&Bやソウルのカタログが豊富なことでも有名で、これがレーベルの経営を支える基盤にもなっていた。稼ぎ頭のレイ・チャールズは1952年から59年まで在籍、アレサ・フランクリンやウィルソン・ピケットのヒット曲もこのレーベルから生まれている。いや、“このレーベルが生み出した”と言うべきかな?

そうしたラインアップに連なるチャールズ・ミンガスという存在が決して小さくなかったことは、ミンガスへの過小評価を改める重要なポイントになるのではないだろうか。

「多様性とジャズ」全編 >

富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
富澤えいちのジャズブログ富澤えいちのジャズ・ブログ道場Facebook

facebook

twitter

特集

今月の音遊人 大貫妙子さん

今月の音遊人

今月の音遊人:大貫妙子さん「言葉で説明できないことのなかに本当に素晴らしいものがいっぱいある。それが音楽ですよね」

18502views

【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase21)モーツァルト「ピアノ協奏曲第20番ニ短調」とペット・ショップ・ボーイズの16分音符はイントロスペクティヴ

音楽ライターの眼

【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase21)モーツァルト「ピアノ協奏曲第20番ニ短調」とペット・ショップ・ボーイズの16分音符はイントロスペクティヴ

1679views

トランスアコースティックピアノ™

楽器探訪 Anothertake

音量の問題を解決し、ピアノの楽しみを広げる「トランスアコースティックピアノ」

5092views

初心者におすすめのエレキギターとレッスンのコツ!

楽器のあれこれQ&A

初心者におすすめのエレキギターと知っておきたい練習のコツ

25160views

【動画公開中】沖縄民謡アーティスト上間綾乃がバイオリンに挑戦!

おとなの楽器練習記

【動画公開中】沖縄民謡アーティスト上間綾乃がバイオリンに挑戦!

9804views

オトノ仕事人

子ども向けコンサートを企画し、音楽が好きな子どもを増やす/コンサートプロデューサーの仕事

9211views

しらかわホール

ホール自慢を聞きましょう

豊潤な響きと贅沢な空間が多くの人を魅了する/三井住友海上しらかわホール

14932views

東京文化会館

こどもと楽しむMusicナビ

はじめの一歩。大人気の体験型プログラムで子どもと音楽を楽しもう/東京文化会館『ミュージック・ワークショップ』

8122views

武蔵野音楽大学楽器博物館

楽器博物館探訪

専門家の解説と楽器の音色が楽しめるガイドツアー

9007views

ギグリーマン

われら音遊人

われら音遊人:誰もが聴いたことがあるヒット曲でライブに来たすべての人を笑顔に

2802views

山口正介さん Web音遊人

パイドパイパー・ダイアリー

いまやサクソフォンは趣味となったが、最初は映画音楽だった

7164views

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅

32594views

おとなの楽器練習記

おとなの楽器練習記:独特の世界観を表現する姉妹のピアノ連弾ボーカルユニットKitriがフルートに挑戦!

5109views

民音音楽博物館

楽器博物館探訪

歴史的価値の高い鍵盤楽器が並ぶ「民音音楽博物館」

25769views

斎藤雅広「ナゼルの夜会」

音楽ライターの眼

デビュー40周年を迎えた斎藤雅広が世に送り出す、舞踊の空気ただようアルバム

6215views

佐藤順

オトノ仕事人

劇伴制作の進行管理や演奏シーンの撮影をサポートする/映画等の劇伴制作をプロデュースする仕事

4691views

われら音遊人:音楽仲間の夫婦2組で結成、深い絆が奏でるハーモニー

われら音遊人

われら音遊人:音楽仲間の夫婦2組で結成、深い絆が奏でるハーモニー

7727views

v

楽器探訪 Anothertake

弾く人にとっての理想の音を徹底的に追究したサイレントバイオリン™

7177views

荘銀タクト鶴岡

ホール自慢を聞きましょう

ステージと客席の一体感と、自然で明快な音が味わえるホール/荘銀タクト鶴岡(鶴岡市文化会館)

12909views

山口正介

パイドパイパー・ダイアリー

すべては、あの日の「無料体験レッスン」から始まった

5715views

楽器のあれこれQ&A

目的別に選ぼう電子ピアノ「クラビノーバ」3シリーズ

4055views

こどもと楽しむMusicナビ

オルガンの仕組みを遊びながら学ぶ「それいけ!オルガン探検隊」/サントリーホールでオルガンZANMAI!

9558views

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする Web音遊人

音楽めぐり紀行

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする

10923views