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今月の音遊人:藤井フミヤさん「音や音楽は心に栄養を与えてくれて、どんなときも味方になってくれるもの」
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【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase4)ガーシュウィン「キューバ序曲」、N.Y.サルサへの道/エクトル・ラボー没後30年に聴くダイバーシティ
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2023.7.19
tagged: キューバ, サルサ, 音楽ライターの眼, クラシック名曲 ポップにシン・発見, ガーシュウィン, エクトル・ラボー, ニューヨーク・サルサ
ジョージ・ガーシュウィン(1898~1937年)といえば「ラプソディ・イン・ブルー」が有名だ。クラシックとジャズを融合した米国音楽の古典と評される。しかし彼はジャズだけではないダイバーシティ(多様性)の作曲家。キューバの民族音楽ルンバを体現した「キューバ序曲」は隠れた名曲だ。彼が米国に持ち込んだラテン音楽は、1970~80年代に全盛となるプエルトリコ人中心のニューヨーク・サルサに至る。2023年はサルサの伝説的歌手エクトル・ラボーの没後30年。ガーシュウィンとサルサをつなぐ道に分け入ろう。
ガーシュウィンが「キューバ序曲」を作曲したのは1932年。1920年代に作曲した三大傑作「ラプソディ・イン・ブルー」「ピアノ協奏曲へ調」「パリのアメリカ人」に比べると後期の作品になる。彼の代名詞「ラプソディ・イン・ブルー」の原曲は2台ピアノ用であり、独奏ピアノとオーケストラのための華麗な管弦楽編曲はファーディ・グローフェによる。当時ガーシュウィンはオーケストレーションに精通していなかったのだ。奮起して独学し、管弦楽パートまですべて自ら作曲したのは1925年の「ピアノ協奏曲へ調」から。よって後期の「キューバ序曲」では彼のさらに熟達した管弦楽法が聴ける。
「キューバ序曲」は通常の管弦楽にボンゴやマラカス、ギロといったラテン音楽の打楽器群が加わる。急―緩―急の三部形式で、約10分と比較的短いが、密度は濃い。冒頭から南国情緒あふれる楽想が展開する。木片を打ち鳴らす楽器クラベスがカチカチとキューバンダンス風のリズムを刻む。ルンバやソンといったキューバ音楽のムードが充溢する中、弦楽の優美な旋律が流れる。明るい長調だが、ガーシュウィンらしくテンションコードを入れて半音階的な響きを作り、エキゾチックでポップな雰囲気を漂わす。
中間部はテンポを緩めて静かな曲調に変わる。木管が鳥のようにさえずり、弦楽が艶やかな旋律を奏でる。ダンスの社交場から離れ、ささやき合う2人といったところか。やがて再びテンポを速め、華やかなダンス音楽が繰り広げられ、高音域の頂点を築いて終わる。彼は1932年のキューバ旅行の際、マラカスやボンゴを持ち帰るほどルンバに熱中した。ラテン音楽体験と管弦楽法の研鑽が「ラプソディ・イン・ブルー」に比肩する傑作を生み出した。
ガーシュウィンはロシア系ユダヤ人移民の子としてニューヨークのブルックリンに生まれた。12歳のとき、自宅の中古ピアノに熱中して音楽の才能を開花した。ガーシュウィンをすぐジャズと結び付ける風潮があるが、当時のジャズは大衆文化の総称のようなものにすぎず、音楽としての確かな概念は無かった。彼は流行のラグタイムやユダヤ民族音楽のクレズマーを聴いて育った。彼の音楽をジャズっぽいと言うのは後付けであり、本当はラグタイム風だったりクレズマー風だったりする。
アフロアメリカンのラグタイムやフォークソング、ユダヤのクレズマー、欧州のクラシック音楽、そしてラテン音楽。正規の高等音楽教育を受けなかったガーシュウィンが独学で吸収した多種多様な音楽を考えると、彼がいかにダイバーシティの作曲家だったかが分かる。自らもマイノリティーの一人として、様々な民族の文化を自作に体現し、人々が幸せに暮らせるダイバーシティ社会を夢見たのではないか。多様性は米国を発展させた原動力であり、ガーシュウィンは米国音楽そのものである。
時代は下り、第二次世界大戦後の1957年、レナード・バーンスタインが音楽を担当したブロードウェイ・ミュージカル「ウエスト・サイド・ストーリー」が初演された。そこで描かれたのはプエルトリコ系とポーランド系の非行少年グループの抗争と男女の愛と死。ニューヨークではプエルトリコからの移民が増えていた。しかし非行のレッテルはそこまでだ。61年、キューバの社会主義革命によって米国とキューバは国交を断絶。これを契機にプエルトリコ人はミュージシャンとして台頭し始める。キューバ人に代わり、プエルトリコ人を中心としたニューヨーク・サルサが新しいラテン音楽として興隆してくるのだ。
1964年、ラテン音楽専門のファニア・レコード社が設立され、70年代にニューヨーク・サルサで一世を風靡する。その代表的な歌手がプエルトリコ出身のエクトル・ラボー(1946~93年)である。
色付き眼鏡を掛けた知的で繊細なルックス、張りのある表情豊かな声。都会的で洗練され、哀愁の漂うサルサの歌の数々はラボーを世界的なスターに押し上げた。その重圧から麻薬に溺れ、エイズの合併症で早逝してしまう。彼の悲劇的な人生は米国映画「エル・カンタンテ」(2006年)に描かれている。
ニューヨーク・サルサの魅力は、ルンバやソン、マンボといったキューバ音楽のグルーヴ感あふれるリズムを洗練させ、貴族趣味とも思える気品のあるピアノを多用していること。ロック的なプロテスト性もあり、哀愁を帯びた弦楽やトランペットで風味を添えるなど、米国と中南米、アフリカ、欧州が混然一体となった多様性の音楽を展開する点にある。
ラボーのアルバムは傑作ぞろいだ。歌詞はスペイン語。まずは「エル・カンタンテ(El Cantante)」「昨日の新聞(Periodico De Ayer)」といった名曲が一通り詰まった「エクトルズ・ゴールド(Hector’s Gold)」を入門編としたい。そこから「コメディア」「ストライクス・バック」といった名盤を聴いていけばいい。
ラボー以外にも聴くべきサルサのアーティストは多い。ラボーの相棒ともいえるサルサ界の重鎮、ウィリー・コローンは絶対外せない。アルバム「ソロ」に入っているヒット曲「君と話せずに(Sin Poderte Hablar)」は哀愁美に満ちた傑作だ。ラボーとコローン、トランペット奏者兼作曲家のルイス・ペリーコ・オルティスのプエルトリコ人3人、さらにはラボーの「エル・カンタンテ」を作曲したパナマ出身のルーベン・ブラデスを加えた「ニューヨーク・サルサ4人組」を聴き逃してはならない。
日本でサルサは驚くほど知られておらず、聴かれていない。一方で、サルサは米国や中南米、スペイン語圏の広大な世界で何億人もの人々に支持されている人気の音楽であることを認識したい。ガーシュウィンのキューバ体験のように、ひとたびサルサを体感すれば、抜け出すのは難しい。多様性の音楽の魅力を確かめたい。
池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
日本経済新聞社チーフメディアプロデューサー。早稲田大学卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。
日本経済新聞社記者紹介
文/ 池上輝彦
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