Web音遊人(みゅーじん)

連載14[多様性とジャズ]傑作『ミンガス・アー・アム』に包括された3つの特色

1956年にリリースされた『直立猿人』は、チャールズ・ミンガスという音楽家の名を世に広く知らしめた。

このあと数年にわたって、ミンガスは大手レコード会社からオファーを受け、精力的にアルバムを制作している。

なかでも1959年に制作した『ミンガス・アー・アム(Mingus Ah Um)』は、彼ならではの集団演奏技法と楽曲のテーマ性、そしてなによりも彼が規範とした“ジャズ”のテイストをたっぷりと味わうことのできる傑作になっている。

ミンガスは譜面を用いずに、自らがベースを弾きながら曲の構想をメンバーに伝えてサウンドをまとめていったと言われている。すでに商業化されたスタジオ・ワークの世界では、アレンジャーが手を施した譜面をメンバーに配って、それに従ってリハーサルを進めて本番を迎えるというスタイルも確立していた。

1920年代から40年代にかけてのジャズ勃興期には、譜面が不得手で音楽理論を学んだことがない音楽家も多く、なのに天才的なひらめきと楽器操作によって他を圧倒する演奏=作品を創出してきたという経緯があった。

ミンガスはそうした原初的な方法論こそ“ジャズの魅力”として伝承すべきであると考え、ニューヨークへ進出した時期から“ワークショップ”と銘打ってこの方法論に磨きをかけていたという。

具体的な手順については、『ミンガス・アー・アム』のライナーノーツに、ミンガスの言葉としてこのように引用されている。

「私の現在の練習方法は、ほとんど書かれたものに頼らずやっている。浮かんだアイデアを五線譜にメモ程度に書き留め、それを居並ぶメンバーたちにその場で割り振っていくのだ。私はピアノでその曲の“概要”をなぞり、その弾き方で私がどう解釈しているか、感じているかを語り、その曲の音階やコード進行といった情報とともに“慣れて”もらう。メンバーはそれぞれがコードのなかの異なる音列を担当するが、それを自分なりの解釈やスタイルによって表現してもらう。“特別なムード”が必要だと考えた部分では、こちらからそれを意識するように伝えることでバラバラになることを避けるようにしている。こうすることで私は、自分の曲ならではの個性を際立たせながら、メンバーそれぞれの自由な表現も織り込んだ、ジャズならではのサウンドと高度に音楽的なバランスのとれた楽曲の再現が可能だと考えている」(引用:前掲ライナーノーツより、筆者訳)

大手レコード会社ならではのコンセプチュアルな制作体制だからこそ、ミンガスのこのような理論を実践させる“場”を(費用面も含めて)与えることができたのだろう。直截に表現すれば、インディペンデント・レーベルでは難しかった企画が、大手レコード会社の力を借りて実現したということになる。そしてそれは、大手レコード会社にとってもそれだけの“価値”があったのである。

つまり、大手レコード会社のマーケティング的視点に立てば、ミンガスが提唱したワークショップによる“演奏の自由性”が、(1950年代のアメリカにおけるアフリカン・アメリカンが抱える)自由への渇望を強く“後押し”するものとしてとらえられたために、その“価値”を認めたと解釈できるのではないだろうか。

次回は『ミンガス・アー・アム』の特色である残りの2つ、「楽曲のテーマ性」と「“ジャズ”のテイスト」について触れてみたい。

「多様性とジャズ」全編 >

富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
富澤えいちのジャズブログ富澤えいちのジャズ・ブログ道場Facebook

facebook

twitter

特集

前橋汀子

今月の音遊人

今月の音遊人:前橋汀子さん「同じ曲を何千回、何万回演奏しても、つねに新しい発見や見え方があるのです」

3003views

音楽ライターの眼

【ジャズの“名盤”ってナンだ?】#048 モダン・ジャズの象徴的なスタイルを継承するための確信犯的序章~キース・ジャレット・トリオ『スタンダーズVol.1/Vol.2』編

671views

ヤマハギター50周年を機にアコースティックギターのFG/FSシリーズがフルモデルチェンジ

楽器探訪 Anothertake

アコースティックギターFG/FSシリーズがフルモデルチェンジ

19768views

楽器のあれこれQ&A

きっとためになる!サクソフォンの基礎力と表現力をアップする練習のコツ

19355views

脱力系(?)リコーダーグループ栗コーダーカルテットがクラリネットの体験レッスンに挑戦!

おとなの楽器練習記

【動画公開中】脱力系(?)リコーダーグループ栗コーダーカルテットがクラリネットの体験レッスンに挑戦!

10876views

弦楽器の調整や修理をする職人インタビュー(前編)

オトノ仕事人

弦楽器の“健康診断”から“治療”、健康アドバイスまで/弦楽器の調整や修理をする職人(前編)

14788views

ホール自慢を聞きましょう

地域に愛される豊かな音楽体験の場として京葉エリアに誕生した室内楽ホール/浦安音楽ホール

10780views

こどもと楽しむMusicナビ

オルガンの仕組みを遊びながら学ぶ「それいけ!オルガン探検隊」/サントリーホールでオルガンZANMAI!

9054views

浜松市楽器博物館

楽器博物館探訪

見るだけでなく、楽器の音を聴くこともできる!

14198views

ONLYesterday

われら音遊人

われら音遊人:愛するカーペンターズをプレイヤーとして再現

962views

山口正介さん Web音遊人

パイドパイパー・ダイアリー

いまやサクソフォンは趣味となったが、最初は映画音楽だった

6897views

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする Web音遊人

音楽めぐり紀行

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする

10371views

大人の楽器練習記:クラシック・サクソフォン界の若き偉才、上野耕平がチェロの体験レッスンに挑戦

おとなの楽器練習記

おとなの楽器練習記:クラシック・サクソフォン界の若き偉才、上野耕平がチェロの体験レッスンに挑戦

11691views

武蔵野音楽大学楽器博物館

楽器博物館探訪

専門家の解説と楽器の音色が楽しめるガイドツアー

8628views

音楽ライターの眼

連載11[多様性とジャズ]1980年代におけるモダンジャズの“復権”が意味しているものとは?

1709views

小林洋平

オトノ仕事人

感情や事象を音楽で描写し、映画の世界へと観る人を引き込む/フィルムコンポーザーの仕事

2332views

上海ブラスバンド日本支部

われら音遊人

われら音遊人:上海で生まれた縁が続く大家族のようなブラスバンド

2597views

Venova(ヴェノーヴァ)

楽器探訪 Anothertake

やさしい指使いと豊かな音色を両立させた、「分岐管」と「蛇行管」

1views

しらかわホール

ホール自慢を聞きましょう

豊潤な響きと贅沢な空間が多くの人を魅了する/三井住友海上しらかわホール

13923views

『チュニジアの夜』は相当に難しいが、次回のレッスンが待ち遠しい 山口正介

パイドパイパー・ダイアリー

『チュニジアの夜』は相当に難しいが、次回のレッスンが待ち遠しい

5652views

楽器のあれこれQ&A

目的別に選ぼう電子ピアノ「クラビノーバ」3シリーズ

3212views

こどもと楽しむMusicナビ

サービス精神いっぱいの手作りフェスティバル/日本フィル 春休みオーケストラ探検「みる・きく・さわる オーケストラ!」

10080views

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする Web音遊人

音楽めぐり紀行

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする

10371views