今月の音遊人
今月の音遊人:前橋汀子さん「同じ曲を何千回、何万回演奏しても、つねに新しい発見や見え方があるのです」
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1956年にリリースされた『直立猿人』は、チャールズ・ミンガスという音楽家の名を世に広く知らしめた。
このあと数年にわたって、ミンガスは大手レコード会社からオファーを受け、精力的にアルバムを制作している。
なかでも1959年に制作した『ミンガス・アー・アム(Mingus Ah Um)』は、彼ならではの集団演奏技法と楽曲のテーマ性、そしてなによりも彼が規範とした“ジャズ”のテイストをたっぷりと味わうことのできる傑作になっている。
ミンガスは譜面を用いずに、自らがベースを弾きながら曲の構想をメンバーに伝えてサウンドをまとめていったと言われている。すでに商業化されたスタジオ・ワークの世界では、アレンジャーが手を施した譜面をメンバーに配って、それに従ってリハーサルを進めて本番を迎えるというスタイルも確立していた。
1920年代から40年代にかけてのジャズ勃興期には、譜面が不得手で音楽理論を学んだことがない音楽家も多く、なのに天才的なひらめきと楽器操作によって他を圧倒する演奏=作品を創出してきたという経緯があった。
ミンガスはそうした原初的な方法論こそ“ジャズの魅力”として伝承すべきであると考え、ニューヨークへ進出した時期から“ワークショップ”と銘打ってこの方法論に磨きをかけていたという。
具体的な手順については、『ミンガス・アー・アム』のライナーノーツに、ミンガスの言葉としてこのように引用されている。
「私の現在の練習方法は、ほとんど書かれたものに頼らずやっている。浮かんだアイデアを五線譜にメモ程度に書き留め、それを居並ぶメンバーたちにその場で割り振っていくのだ。私はピアノでその曲の“概要”をなぞり、その弾き方で私がどう解釈しているか、感じているかを語り、その曲の音階やコード進行といった情報とともに“慣れて”もらう。メンバーはそれぞれがコードのなかの異なる音列を担当するが、それを自分なりの解釈やスタイルによって表現してもらう。“特別なムード”が必要だと考えた部分では、こちらからそれを意識するように伝えることでバラバラになることを避けるようにしている。こうすることで私は、自分の曲ならではの個性を際立たせながら、メンバーそれぞれの自由な表現も織り込んだ、ジャズならではのサウンドと高度に音楽的なバランスのとれた楽曲の再現が可能だと考えている」(引用:前掲ライナーノーツより、筆者訳)
大手レコード会社ならではのコンセプチュアルな制作体制だからこそ、ミンガスのこのような理論を実践させる“場”を(費用面も含めて)与えることができたのだろう。直截に表現すれば、インディペンデント・レーベルでは難しかった企画が、大手レコード会社の力を借りて実現したということになる。そしてそれは、大手レコード会社にとってもそれだけの“価値”があったのである。
つまり、大手レコード会社のマーケティング的視点に立てば、ミンガスが提唱したワークショップによる“演奏の自由性”が、(1950年代のアメリカにおけるアフリカン・アメリカンが抱える)自由への渇望を強く“後押し”するものとしてとらえられたために、その“価値”を認めたと解釈できるのではないだろうか。
次回は『ミンガス・アー・アム』の特色である残りの2つ、「楽曲のテーマ性」と「“ジャズ”のテイスト」について触れてみたい。
富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
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文/ 富澤えいち
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