今月の音遊人
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内なるポリフォニーが導くジャズピアノの展開力/塩谷哲 PIANO CONCERT 2023
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2023.2.3
弾いているうちに全く別の音楽が思い浮かんでくるのか。ジョン・コルトレーンの曲がいつの間にかパット・メセニーの曲に変わっている。旋律とハーモニーを重視したホモフォニックな演奏ながら、心の内なるポリフォニー(多声音楽)が意外なメドレーをもたらす。2023年1月14日、ヤマハホールで開かれた「塩谷哲 PIANO CONCERT 2023」は、ピアノの響きの美しさと曲の連携で聴き手を魅了し、ジャズの即興性と展開力の奥深さを示した。
塩谷哲は東京藝術大学作曲科に在学中からサルサ・バンドのオルケスタ・デ・ラ・ルスにピアニストとして加入した。同バンドで10年間活躍し、米グラミー賞にもノミネートされた。その間にソロ活動も始め、2023年はソロデビュー30周年。ピアニスト、作・編曲家、プロデューサーとしてクラシックからジャズ、ラテン、ポップスまで幅広い分野を担ってきた実績を反映し、充実したピアノソロ公演となった。
数滴の単音から始まった。「どう進むか自分でも予想がつかない音」と塩谷は言う。主音がつかめず、調性は分からない。だがそこからやがて心地よいハーモニーが広がっていく。変容を重ねるコード進行の中から、旋律らしきものが立ち現れる。もしかしてあの曲か。コルトレーンの『ジャイアント・ステップス』とはっきり分かった瞬間の感動は大きい。しかしそこで終わらない。ハーモニーはさらに変容し続け、いつしか曲はパット・メセニーの『ベター・デイズ・アヘッド』になって展開していった。変奏を経て別の曲につなぐ変曲である。
創作ノートをめくっていくようなライブ作品と言えよう。ステージ上で作曲や編曲が進む過程を聴いて楽しむ感覚だ。「自由なのにも程がある」と塩谷が笑って言うくらいにジャズの可能性を奔放に試す。後半に弾いた中田喜直作曲『雪の降る街を』も同様。イ短調から明るいイ長調へと変わる「ものすごい転調」への思い入れが強いようで、そこから同じイ短調(Aマイナー)のパット・メセニーの『オールウェイズ・アンド・フォーエヴァー』を導いた。グランドピアノ「CFX」の温かく深みのある音色と相まって、旋律とハーモニーの美しさはこのメドレーで最高潮に達した。
最後の演目、塩谷哲作曲『ヒート・オブ・マインド』はクラーベというサルサ風のリズムパターンを刻む。ふと気づいた。サルサにおいてピアノは、多様な打楽器群とともに重要なリズム楽器の役割を果たすが、音階と和音を弾けてしまうだけに、リズムとハーモニー、それに旋律が一体になっている、と。歌のないサルサ風のこの曲で、塩谷のピアノはリズムと一体で旋律を印象付ける。彼はオルケスタ・デ・ラ・ルス時代、歌の旋律をリズムとハーモニーで引き立てながらも、自らのピアノが紡ぎ出すもう一つの旋律を同時にポリフォニックに聴く環境に親しんできたのではないか。
ジャズやサルサが他者との対話だとしたら、ピアノソロでも一つの曲を弾いているうちに他者の旋律が同時に思い浮かんでくることは大いにありうる。だが塩谷のピアノは一つの旋律を支えるハーモニーの美しさを大切にしている印象だ。「ハーモニー人間」を自任し、自作の『フォレスト』『ア・ブランニューデイ』はどこまでもホモフォニックに美しい。スティーヴィー・ワンダーの『オーヴァージョイド』では、テレビCMでもおなじみの旋律美を極上のハーモニーで盛り立てた。一方で、同時に心の中で鳴り始めるポリフォニーの旋律が時間差で後続し、展開させていくようなメドレー作品の技巧も秀逸だ。自由すぎる時空間の中で塩谷の創作ノートは喜びにあふれ、ジャズへの愛は止まらない。先の読めないスリリングな道がジャズの未来への夢となって続いている。
池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
日本経済新聞社メディアプロデューサー。早稲田大学卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。専門誌での音楽批評、CDライナーノーツの執筆も手掛ける。
日本経済新聞社記者紹介
文/ 池上輝彦
photo/ Takako Miyachi
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