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【ジャズの“名盤”ってナンだ?】#029 「ジャズは難しい」という固定観念を覆す確信犯的ラヴ・ソング集~ジョン・コルトレーン『バラード』編
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2024.1.18
tagged: ジョン・コルトレーン, 音楽ライターの眼, ジャズの“名盤”ってナンだ?
ジョン・コルトレーンといえば“モダンジャズ”の代名詞的な存在ですが、1940年代半ばから亡くなる1967年までの20年ほどの活動期間に、ハード・バップからフリー・ジャズへと駆け抜けていったような振り幅の大きいスタイル変化を見せ、ブリブリとサックスを吹きまくるイメージが強いキャラクターであった、というのが一般的な認識なのではないかと思います。
そんな突っ走っていくジョン・コルトレーンのイメージに「ちょっと待ったぁ~!」と声をかけるがごとく生まれたのが、本作でした。
リリースから60年を経た今、改めて「ちょっと待ったぁ~!」と立ち止まって、この“名盤”の意味を考えてみたいと思います。
1961年12月と1962年9月・11月の3回に分けて、スタジオ・レコーディングされた作品です。
オリジナルはLP盤で、A面4曲、B面4曲の計8曲を収録。
CD化では同曲数同曲順のものと、デラックス・エディションとして未収録&別テイク14曲を加えたヴァージョンがあります。
メンバーは、リーダーでテナー・サックスがジョン・コルトレーン、ピアノがマッコイ・タイナー、ベースがジミー・ギャリソン(『イッツ・イージー・トゥ・リメンバー』のみレジー・ワークマン)、ドラムスがエルヴィン・ジョーンズのクァルテット。
収録曲は、すべてジャズ・スタンダードと呼ばれるカヴァー曲で、ミディアム以下の遅いテンポの曲ばかりという構成になっています。
結論から申せば、本作はバラードばかりを収録した“異色の”作品だったので広く愛聴され、“名盤”になったと言えるでしょう。
バラードとは、もともとは人々が輪になって踊るときに踊り手が自ら歌った舞踏歌で、14世紀の北フランスでスタイルが確立されました。
18世紀のイギリスで形式より物語性を重視するようになる一方で、ヨーロッパではベルリン楽派による歌曲が一般化してシューベルトなどへ引き継がれていったり、ショパンなどのピアノ音楽へと応用されていきます。
ところが、20世紀のポピュラー音楽に出現したバラードは、そうしたクラシック音楽の歴史的な系譜の影響は感じるものの、恋愛をテーマにした抒情的なメロディによって構成される“別もの”として発達することになります。
恐らく、ヨーロッパのオペラから派生したオペラ・コミックやオペレッタがアメリカへ渡って大衆化される際に、劇中の“聴かせどころ”で披露される独唱曲=アリアがもとになって成立したものなのではないか、というのがボクの推測です。
そして、激しいテンポが主流のジャズにおいて、ライヴ・ステージのブレイク(転換)として、テンポの遅いバラードを挟んでセットを構成することが慣例化し、一般的になっていったのではないかと思います(1970〜80年代のディスコにおけるチークタイムを参考に、20世紀初頭のダンス・ムーヴメントにおけるセットの構成を考察してみると、バラードの存在が必要とされた背景がわかるかもしれませんね)。
この慣例はレコード(20世紀半ばまではLP盤)を制作する際にも踏襲され、1枚のアルバムに1~2曲のバラードを収録するというスタイルが定着していた──というのが、1960年代初頭の状況だったわけです。
ところが、その“常識”を覆し、気分転換というか口直し的な扱いだったバラードだけでアルバム1枚を作ってしまったというのが本作で、その意外性と演奏内容のすばらしさがあいまって不動の名盤になった──ということになるのだと思います。
マイルス・デイヴィスのモード・ジャズというコンセプションに呼応して、シーツ・オブ・サウンドと呼ばれる独自の“多弁で音楽理論的に破綻のない超絶技巧の奏法”をマスターしつつあったジョン・コルトレーンにとって、抒情的で音数の少ないバラードは「イメージにそぐわない」と思われていたようでした。
確かに、公民権運動との連動やフリー・ジャズの台頭とともに過激さを増していった1960年代初頭のジャズ・シーンにおいて牽引役と目されていたジョン・コルトレーンと、甘くてスローなラヴ・ソングを集めただけのアルバムという対極の組み合わせなのですから、そう思われても致し方ないかもしれません。
これはつまり、当時のジャズ・シーンにおいてシーツ・オブ・サウンド云々というジョン・コルトレーンの業績とイメージが大きかったことを物語るエピソードの裏付けにもなるわけですが、一方で、後追いでジャズを聴く者にとっては作品自体の存在感がどうであるかのみが問題になるはず……。
その視点で本作を味わってみると、わかりやすいテンポによるメロディや、ワン・ホーン編成による比較的単純なアンサンブルなどからも、初心者がジャズに抱きがちな「難しい」というハードルを大幅に引き下げるべく仕組まれた仕様だったことが浮かび上がってきます。
もちろん、マッコイ・タイナーによるピアノのコード・ワークをはじめ、奥深い音楽的技巧が凝らされているなど、ただ甘いだけとマニアにそっぽを向かれるような手抜きをしていないところも、求道者と呼ばれたほど生真面目なコルトレーンならでは。
となれば、本作はジョン・コルトレーンのディスコグラフィにおける“異端盤”などとして扱うのではなく、ポピュラー音楽におけるバラードの存在を脇役から主役に反転させたエポックメイキングな作品として評価するのが正道なのではないか、ということになるわけです。
富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
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文/ 富澤えいち
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