Web音遊人(みゅーじん)

石丸由佳

口ずさめるようなメロディで、オルガンの音色に親しみを持たせたい/石丸由佳インタビュー

世界的に権威あるシャルトル国際オルガンコンクールで優勝後、国内外で活躍中のオルガン奏者、石丸由佳。宇宙をイメージして選曲した『オルガン・オデッセイ』、恐怖心をかきたてる『死の舞踏~悪魔のパイプオルガン』など、斬新な視点でオルガンの魅力を伝えるアルバムを発表してきた石丸の新作は『瑠璃色の地球 ~風のうた パイプオルガンで聴く想い出のポップス』。昭和〜平成を彩ったポップス曲を味わいのある音色で奏でたユニークなアルバムだ。

パイプオルガンで、人の声のように“歌う”

「パイプオルガンはまだ多くの方々にとって遠い存在。もし皆さんがよく知っている、口ずさめるようなメロディがオルガンの音色で聴こえてきたら、親しみを持っていただけるのではないかと思って」

新作のテーマをポップスにした理由についてこう語る石丸だが、パイプオルガンの歴史を考えると、決して突飛な発想ではないという。

「昔の作曲家たちが、教会のパイプオルガンで格式の高い音楽を演奏していたかといえば必ずしもそうではなくて、たとえばバッハは誰もが口ずさめる讃美歌をアレンジして弾いていました。オランダのスウェーリンクという作曲家は、礼拝でオルガン演奏を禁じる宗派が支配的だった当時、流行り歌(世俗曲)を弾くコンサートを開催していたそうです。当時の人たちにとっては、“ああ、あの歌ね”というメロディがオルガンから聴こえていたのでしょう」

それにしても、ポップスのように歌のメロディがはっきりした音楽をパイプオルガンで演奏するのは難しくないのだろうか。

「そうですね。パイプオルガンで人の声のように“歌う”のは実際かなりハードルが高いと思います。そこで今回は、辻オルガンを使って録音することにしました。オルガンビルダーの辻宏さんが製作した楽器で、日本各地の教会や学校などに設置されているのですが、このアルバムでは名古屋の結婚式場のチャペルに設置されたパイプオルガンを使いました。パイプは300本ぐらいで、6,000本近くもあるコンサートホールのオルガンに比べるとかなり小ぶり、鍵盤も1段しかないのですが、とにかくよく“しゃべる”楽器なんです」

オルガンが“しゃべる”とは、どういうことなのだろう?

「鍵盤を押して音が鳴る前に、わずかに“トゥッ”っていう金属音のような音がするんです。風が歌口(パイプの穴)に当たる音だと思うのですが、ヨーロッパの歴史的なオルガンにもこのような音がするものがあって、よく“しゃべる”楽器といいます。ほかにも、鍵盤とパイプの下の弁をつなぐ木製のアクションがカチャカチャという音をたてたり。工場生産ではなく、すべて手で作られた楽器ならではの味わいですよね。本当に繊細で、指が鍵盤に少しでも触れるとすぐに風が入ってしまうので、演奏するのはとても難しいですが、人の声を表現するにはぴったりだと思いました」

石丸由佳

気鋭の作曲家たちによるアレンジも今作の聴きどころ。アルバムの幕を開ける『翳りゆく部屋』(作詞・作曲:荒井由実)の前奏から、まるで教会音楽のような響きが印象的だ。
「アレンジをしてくださった坂本日菜さんは、教会の礼拝用の音楽を数多く手がける作曲家なのですが、同時にオルガネッタという小さな手回しオルガンのスペシャリストでもあって、今作で私が目指した素朴な音色のイメージをとてもよく理解してくださいました。オルガンは“ひとりオーケストラ”と呼ばれるように、あらゆる楽器の役割ができますが、今作ではあえてそういった万能の大型オルガンではなく、素朴な味わいを前面に出したいと思って」

『部屋とワイシャツと私』(作詞・作曲:平松愛理)のほっと心やすらぐ音色は、そういったオルガンならではだろう。
「この曲は、意外と苦労しました。“部屋とワイシャツと私”というサビの部分が、音符だけで示すと同じ音の繰り返しで、弾いているうちにモールス信号のように聴こえてきてしまって。アレンジしてくださった中村友美さんに、楽譜に歌詞も書き込んでいただきました。そうすれば、リコーダーのタンギングのように発音にアクセントをつけることができるので」

日本のコンサートホールならではのオルガン文化を作りたい

コンサートのアンコールで『瑠璃色の地球』(作詞:松本隆/作曲:平井夏美)を弾いたところ、お客さまから大きな反響があったという。2024年春、りゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館の専属オルガニストの任期を終え、所沢市民文化センター ミューズのホールオルガニストに就任した石丸は、「ヨーロッパの教会とは違う、日本のコンサートホールならではのオルガン文化を作る」という目標に向かって、日々オルガン音楽の裾野を広げている。

「りゅーとぴあの専属オルガニストに就任したのは2020年の4月で、任期のほとんどがコロナ禍だったのですが、パイプオルガンは飛沫感染のリスクがもっとも少ない楽器ということもあり、けっこう忙しくしていました。オルガン公演の企画はオルガニストに一任されているので、やりたいことをやらせていただいたという感じです。たとえばプラネタリウムのようにホールに星空を投影して、宇宙にちなんだ作品を演奏するコンサートは、引き続きやっていきたいですね。日常の忙しさを抜け出してホールに駆けつけ、客席につくやいなや宇宙へ飛んでいくみたいな。オルガンを通して、そんな体験をしていただけたら嬉しいです」

アイデアは無限に広がるという石丸の活動から、ますます目が離せない。

石丸由佳

 

石丸由佳さんにバイカウントクラシックオルガンの新モデル「Domus S8」と「Domus 4」を試奏していただきました
最新音源技術とAIの融合による新たなモデリング音源が搭載され、パイプオルガンの響きを一層リアルに再現できるようになった新モデル。試奏してみての感想をうかがいました。
「パイプオルガンは鍵盤を押すとパイプに風が入って、弱い音からふーっと音が立ち上がるのですが、そういった音の立ち上がりの感じがちゃんと再現できていますね。これは大きな進歩だと思います。風がパイプを通るときのノイズ、“音なき音”まで出るなんてすごいですね」
※撮影に使用したオルガンは発売前のため、一部ロゴ配置等が異なります。

■アルバム『瑠璃色の地球 ~風のうた パイプオルガンで聴く想い出のポップス』

アルバム『瑠璃色の地球 ~風のうた パイプオルガンで聴く想い出のポップス』

発売元:キングレコード
発売日:2024年3月13日
料金(税込):3,300円
詳細はこちら

photo/ 宮地たか子

本ウェブサイト上に掲載されている文章・画像等の無断転載・無断使用を固く禁じます。

facebook

twitter

特集

櫻井哲夫

今月の音遊人

今月の音遊人:櫻井哲夫さん「聴いてくれる人が楽しんでくれると、自分たちの楽しさも倍増しますね」

4761views

音楽ライターの眼

連載7[多様性とジャズ]白人が黒人の“まね”をしていたジャズには歌があったのかなかったのか?

5258views

STAGEA(ステージア)ELB-02 - Web音遊人

楽器探訪 Anothertake

見ているだけでわくわくする!弾きたい気持ちにさせるエレクトーン

7779views

楽器のあれこれQ&A リコーダー

楽器のあれこれQ&A

リコーダーを長く楽しむためのお手入れ方法

10648views

おとなの 楽器練習記 須藤千晴さん

おとなの楽器練習記

【動画公開中】国内外で演奏活動を展開するピアニスト須藤千晴が初めてのギターに挑戦!

8575views

ステージマネージャーの仕事 - Web音遊人

オトノ仕事人

オーケストラのステージの“演奏以外のすべて”を支える/オーケストラのステージマネージャーの仕事(前編)

43994views

札幌コンサートホールKitara - Web音遊人

ホール自慢を聞きましょう

あたたかみのあるデザインと音響を両立した、北海道を代表する音楽の殿堂/札幌コンサートホールKitara 大ホール

18552views

こどもと楽しむMusicナビ

クラシックコンサートにバレエ、人形劇、演劇……好きな演目で劇場デビューする夏休み!/『日生劇場ファミリーフェスティヴァル』

7134views

上野学園大学 楽器展示室」- Web音遊人

楽器博物館探訪

伝統を引き継ぐだけでなく、今も進化し続ける古楽器の世界

13382views

5 Gravities

われら音遊人

われら音遊人:5つの個性が引き付け合い、多様な音楽性とグルーヴを生み出す

2130views

山口正介

パイドパイパー・ダイアリー

だから続けられる!サクソフォンレッスン10年目

5096views

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅

31385views

ぱんだウインドオーケストラの精鋭たちがバイオリンの体験レッスンに挑戦!

おとなの楽器練習記

【動画公開中】ぱんだウインドオーケストラの精鋭たちがバイオリンの体験レッスンに挑戦!

13805views

武蔵野音楽大学楽器博物館

楽器博物館探訪

専門家の解説と楽器の音色が楽しめるガイドツアー

8752views

音楽ライターの眼

【ジャズの“名盤”ってナンだ?】#035 既存ジャズのセオリーを打ち破って生まれたヒーリング・ミュージック~チック・コリア『リターン・トゥ・フォーエヴァー』編

969views

楽器博物館の学芸員の仕事 Web音遊人

オトノ仕事人

楽器のデモンストレーション、解説、管理までをこなすマルチプレイヤー/楽器博物館の学芸員の仕事(前編)

12083views

われら音遊人

われら音遊人

われら音遊人:仕事もバンドも、常に真剣勝負!

9932views

楽器探訪 Anothertake

奏者の思いどおりに音色が変化する、豊かな表現力を持ったグランドピアノ「C3X espressivo(エスプレッシーヴォ)」

9611views

アクトシティ浜松 中ホール

ホール自慢を聞きましょう

生活の中に音楽がある町、浜松市民の音楽拠点となる音楽ホール/アクトシティ浜松 中ホール

15165views

パイドパイパー・ダイアリー

パイドパイパー・ダイアリー

泣いているのはどっちだ!?サクソフォン、それとも自分?

6188views

大人のピアニカ

楽器のあれこれQ&A

「大人のピアニカ」の“大人”な特徴を教えて!

3906views

こどもと楽しむMusicナビ

1DAYフェスであなたもオルガン博士に/サントリーホールでオルガンZANMAI!

3400views

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅

31385views