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今月の音遊人:古澤巌さん「ジャンルを問わず、父が聴かせてくれた音楽が今僕の血肉になっています」
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【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase28)ヒンデミット「無限なるもの」、忘れられた大作、「危機」の時代にイエスとともに聴く
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2024.7.23
tagged: 音楽ライターの眼, クラシック名曲 ポップにシン・発見, ヒンデミット, イエス
パウル・ヒンデミット(1895~1963年)は20世紀ドイツを代表する作曲家だが、作品の演奏頻度は低い。ナチス政権に進歩的と敵視され米国に亡命。第二次世界大戦後は保守的と見做され埋もれた。交響曲「画家マティス」やヴィオラソナタ各曲は時々演奏されるが、あの隠れた名曲は滅多に聴けない。それがオラトリオ「無限なるもの」(1931年)。危機の戦間期に出現したあまりにドイツ的な現代バロック。重厚で哲学的な大作と張り合えるロックはイエスの「危機」か。
「無限なるもの」のドイツ語原題は「Das Unaufhörliche(ダス・ウンアウフヘーリヒェ)」。形容詞「unaufhörlich(永遠の、絶え間ない)」の名詞形。ドイツ語の原詩で全曲聴ける数少ないCD(ローター・ツァグロゼク指揮ベルリン放送交響楽団)では「極まりないもの」と訳されている。だが筆者が子供の頃の1970年代後半、NHKのFM放送でこの曲を初めて聴いた際、解説者は「無限なるもの」と呼んでいた。
子供は宇宙や科学、特撮ヒーローなど壮大で超人的なものに憧れるが、当時の筆者もスケールの大きいクラシック音楽に熱中した。ベートーヴェンの「交響曲第9番」の先にある近現代の大作2つ、マーラーの「交響曲第2番ハ短調『復活』」とヒンデミットのオラトリオ「無限なるもの」である。「復活」はレコードがあったが、「無限なるもの」はFM放送を録音したカセットテープで聴いた。
その後、マーラーは「復活」どころか交響曲第1~10番全曲が知られ、長年のファンでもうんざりするほど演奏されるようになった。一方のヒンデミットは鳴かず飛ばず。「無限なるもの」はテープが散逸し、公演もない。前述のCDのほか、YouTubeにマリオ・ロッシ指揮トリノRAI交響楽団の1967年ライブがあるが、これがイタリア語版なのだ。
「無限なるもの」はドイツ語の原詩で聴きたい。歌詞を書いたのはドイツ表現主義を代表する詩人ゴットフリート・ベン(1886~1956年)。ベンのドイツ語の詩こそ、対位法を駆使したヒンデミットの重厚な音楽が合う。当時のFM放送の解説者のコメントからも「ゴットフリート・ベン」と「表現主義」の2語に10代前半の子供は強い印象を抱いたものである。
子供にも壮大で哲学的なことを歌っているのは伝わってきた。ちょうどリヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラかく語りき」にも熱中していた時期。そこで知った人名が、この交響詩の由来となった哲学書の著者であるニーチェ。ベンの詩はニーチェの超人や運命愛、永劫回帰の実存哲学から影響を受けていると分かってきた。
ベンとヒンデミットは書簡をやり取りして詩と曲の創作を進めた。演奏時間は約90分。全曲は3部構成。第1部は「無限なるもの」の偉大な摂理を歌う。「無限なるものは昼も夜も海から海へ、月のない世界を生き生きと動き回り、遠ざかっていく」といった内容。第2部は無限なるものに対する人間の営みとして学問や技術、芸術、宗教について歌う。第3部は絶え間ない変化に身をゆだねて人類が無限なるものと共存する道を歌い上げる。
ツァグロゼク指揮ベルリン放送響のCDは、1932年にベルリンのラジオ局で「無限なるもの」の一部が放送された際、ベンが読み上げた「序文」の録音も収めている。そこでベンはハイドンの「天地創造」や「四季」を引き合いに出し、この作品を「現代のオラトリオ」と定義。人間を個人ではなく、ある時代に個人が経験した内面生活の「一般的な精神的輪郭」と捉えている。「万物は流転する」と唱えた古代ギリシャのヘラクレイトスの世界観に近く、ニーチェ思想の影響もある。
哲学的なベンの詩を独唱と合唱で歌わせるヒンデミットの管弦楽法は、ルネサンス音楽やバロック後期のバッハ以来の対位法によるポリフォニー(多声音楽)を多用し、重厚に練り上げた一種の新古典主義である。曲調は古代ギリシャやオリエント、天地創造の世界を想起させる宇宙規模のイメージだ。
冒頭は巨人の足音を思わせる重々しい行進曲風の管弦楽に乗せて「無限なるものは」と合唱する。第2部の「だが神々は」のキャッチーな旋律と精緻な対位法による合唱は圧巻だ。ヒンデミットは新即物主義や実用音楽など様々に呼ばれ、前衛性も指摘されるが、「無限なるもの」には実験的な面はなく、伝統的な和声と親しみやすい旋律を使っている。
ドイツ的なオラトリオを書いたドイツ人作曲家がなぜナチスに敵視されたか。それはフルトヴェングラー著「音と言葉」(芳賀檀訳、新潮文庫)が伝える「ヒンデミット事件」による。ヒンデミットはユダヤ人音楽家と協働を続けたのだ。一方のベンは当初ナチスを支持し、のちに文学活動を禁じられ軍医となった。戦後、前衛音楽が主流になる中で「無限なるもの」は忘れられた。個人よりも超越的なものを賛美した全体主義的作品と誤解された面もあるのではないか。
大作志向で哲学的なロックといえば、英プログレッシブ・バンドのイエスのアルバム第5作「危機」(1972年)。長い3曲のみ。1曲目「危機(Close to the Edge)」では「着実な変革」「全体保持」「盛衰」「人の四季」という詩4篇が歌われるが、切れ目はなく、演奏時間は19分近い。危機と終末が迫りくるから川を下れ、という意味のボーカルのジョン・アンダーソンとギターのスティーブ・ハウによる詩は多義性を持つ。
ハウの超絶技巧のギター、リック・ウェイクマンの精密なキーボード、特に「盛衰」でのオルガンの響きはアルバムの交響曲風の性格を強める。イエスのクラシック志向は、ブラームスやシベリウスを愛聴したアンダーソンの影響によるところも大きい。現代音楽が前衛の停滞期に入った1970年代初め、イエスは反時代的で長大な調性音楽を創造した。
現代に開花したイエスのシンフォニックなロック。埋もれたヒンデミットのオラトリオ。だが両者は反時代的考察を重ねた妥協のない孤高の大作だからこそ、万物流転の中からそのきらめきが忘れた頃に再浮上する。イエスの「危機」は間歇的に聴かれ続け、ヒンデミットの「無限なるもの」はいつかコンサートの主要曲目の一つになるはずだ。
池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
音楽ジャーナリスト。日本経済新聞社チーフメディアプロデューサー。早稲田大学卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。
日本経済新聞社記者紹介
文/ 池上輝彦
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