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【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase29)ウェーベルンには歌がある、声楽曲が5割超、矢野顕子もカバー
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2024.8.6
tagged: 音楽ライターの眼, 矢野顕子, クラシック名曲 ポップにシン・発見, ウェーベルン
アントン・ウェーベルン(1883~1945年)は前衛音楽の旗手として畏敬の念を持たれる。シェーンベルク、ベルクとともに新ウィーン楽派の一人だが、最も先鋭的で、十二音技法を徹底したという。未完を含め作品番号32までしかない寡作家だが、声楽曲の比率は5割超、18作品に上る。作品番号無しの歌曲集もあり、歌を生涯書き続けた。ロマン派から無調、十二音技法へと進化しても、歌えなければ前衛ではないとの信念を持っていたかのようだ。矢野顕子もカバーした。難解と敬遠せず、ソングライター・ウェーベルンに親しもう。
シンガーソングライターの矢野がクラシックの楽曲をカバーしたアルバム「BROOCH(ブロウチ)」。高橋悠治がピアノを弾き、矢野が歌う自主制作盤で、1985年にシングル4枚組で発売された。翌86年には高橋と坂本龍一の2台ピアノ伴奏曲などを追加。現在は全18曲のアルバムとなっている。収録曲は高橋の自作からラヴェル、ドビュッシー、ストラヴィンスキー、シューベルトの歌曲にまで及ぶ。ウェーベルンの歌曲も2つ入れた。最初期の作品番号無しの「歌とピアノのための3つの詩」から「早春」と「敬虔に」である。
師のシェーンベルク以上に無調や十二音技法を駆使し、音列技法に磨きをかけたウェーベルンに歌のイメージを抱く人は多くない。プリズムのように硬質で精巧な短い曲、例えば、「管弦楽のための6つの小品Op.6」や「同5つの小品Op.10」を思い浮かべる向きが強い。難解で凡俗を寄せ付けない知的前衛主義の代表格といったところか。
ウェーベルンは第二次世界大戦後間もない1945年、進駐米軍の誤射によって急死した。戦前はオーストリアを併合したナチス・ドイツから「頽廃音楽」のレッテルを貼られ、音楽活動が弾圧された。貴族の出自でもあるウェーベルンは、それでもナチスの政治思想に共感するところがあったようだ。ユダヤ人のシェーンベルクから作曲を教わったにもかかわらず、ドイツ人とドイツ文化の優秀性を信じていたといわれる。
ナチスに少しでも共鳴したと見なされた作曲家は、戦後の音楽界で疎んじられたが、ウェーベルンの場合、非業の死も手伝ってか、そうはならなかった。トータル・セリエリズム(総音列主義)をはじめ前衛音楽を推進するフランスの作曲家ブーレーズらによって「ウェーベルン・ルネサンス(復興運動)」が起こり、20世紀後半の現代音楽の高祖として祭り上げられた。
こうした経緯からウェーベルンは難解な現代音楽の最たるもの、高度な専門知識がなければ聴けない知的音楽という先入観を持たれるようになった。しかし彼の歌を聴けば偏見は一掃される。矢野のアルバムに収められた「早春」と「敬虔に」は抒情性にあふれ、熱く感情的である。矢野はドイツ語ではなく英語の訳詩で歌っているが、旋律が印象的で歌声が曲に合っているせいか、違和感はなく、むしろ新鮮だ。
この2曲を含む「歌とピアノのための3つの詩」は、マーラーやリヒャルト・シュトラウス、ヴォルフら後期ロマン派の雰囲気を漂わせ、歌の旋律も美しい。新ウィーン楽派のシェーンベルクやベルクの初期の歌曲は、後期ロマン派をより濃厚にした雰囲気を持つ。ウェーベルンの初期の歌曲はベルクのようなデカダンスのロマンチシズムではなく、前向きで瑞々しく、爽やかである。
「歌とピアノのための3つの詩」に加え、死後に編纂された「8つの初期の歌曲」「3つのアヴェナリウス歌曲」の計14曲は、ウェーベルンがシェーンベルクに弟子入りする以前の1900~04年、10代後半から20代初めの学生時代に書かれた。ここまでは旋律がはっきりした調性音楽だ。ゲーテ、ニーチェ、ファルケなどすべてドイツの詩人や哲学者の詩を歌詞に採用している。
様相が変わるのは、デーメルの詩による「5つの歌曲」(1906年)、ゲオルゲの詩による「4つの歌曲」(1908年)から。1904年にシェーンベルクに弟子入りし、1908年に卒業作品として管弦楽曲「パッサカリアOp.1」を書くまでの修業期間に当たる。どの歌曲も調性が揺らいでいるが、ワーグナーやドビュッシーくらいの不安定感だ。歌もピアノも、デーメルの神秘的で形而上的、ゲオルゲの耽美的な詩の世界にかなった曖昧模糊とした調性感である。
シェーンベルクから独立したウェーベルンは1908年、ゲオルゲの詩による無伴奏混声4部合唱曲「軽やかな舟に乗って逃れ出よ Op.2」を作曲した。3分程度の短い曲。楽譜にはト長調を示す調号が記されているが、音符に夥しい数の臨時記号が付いており、無調に近い。ソプラノとアルトがト長調の三和音を成すロ音とニ音からそれぞれ歌い始めるが、肝心の主音のト音がなかなか出てこないうえに、半音高い嬰ト音が先に登場して聴き手を惑わす。
ウェーベルンはルネサンス期のフランドル楽派を研究したこともあり、「軽やかな舟に乗って逃れ出よ」の随所にポリフォニー(多声音楽)の技法を織り込んでいる。ト長調の三和音で全曲を閉じるが、ドミナントからの帰結ではなく、直前に半音階の下行を経るため、短調風にも聴こえる。ゲオルゲの詩は、小舟に乗って逃れても、新たな悲しみに包まれるという内容で結ばれるため、浮遊感が漂う終わり方は相応しい。無調や十二音技法への船出と重なる曲調だ。
Entflieht auf leichten Kähnen op. 2 – Anton Webern – Choir Aidija
続く「『七つ目の環』による5つの歌曲 Op.3」と「5つの歌曲 Op.4」はゲオルゲの詩による。無調風が強まり、静寂の自然、夢幻と美の世界が描かれる。リルケの詩による「2つの歌曲 Op.8」を経て第一次世界大戦に差し掛かる。戦中・戦後の1915~26年に書かれたOp.12~19はすべて声楽曲。無調から十二音技法へと徐々に移る。印象深いのは「トラークルの詩による6つの歌曲 Op.14」。東部戦線で夭逝したドイツ表現主義詩人トラークル。黄昏を散りばめた詩が美しい無調で歌われる。
ウェーベルンの声楽曲は1930年代以降、友人ヒルデガルト・ヨーネの詩とキリスト教への傾倒を強める。「カンタータ第1番 Op.29」「同2番 Op.31」は現代のルネサンス音楽だ。そして「カンタータ第3番 Op.32」が未完のまま急死。彼の声楽曲はCD2枚分程度ですべて聴ける。1曲がどれも短いからだ。現代のポップスとは異質の歌の数々。そこには矢野の「BROOCH」のように、新たな歌へのアプローチのヒントがある。
池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
音楽ジャーナリスト。日本経済新聞社チーフメディアプロデューサー。早稲田大学卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。
日本経済新聞社記者紹介
文/ 池上輝彦
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