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【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase33)グリーグ「抒情小曲集」、村上春樹「ノルウェイの森」の部屋で聴く小品、火を付ければビートルズ
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2024.10.10
tagged: ビートルズ, 音楽ライターの眼, 村上春樹, クラシック名曲 ポップにシン・発見, エドヴァルド・グリーグ, ノルウェイの森
ノルウェーの作曲家エドヴァルド・グリーグ(1843~1907年)といえば「ピアノ協奏曲イ短調」や劇付随音楽「ペール・ギュント」が有名だが、本領を発揮したのはピアノ小品だ。代表作は生涯書き続けた「抒情小曲集」(全10巻66曲)。長大なオペラや交響曲が権威だった19世紀後半、1曲数分の歌謡的小品で独自の世界を開いた。私生活を綴る音の絵日記は鳥の歌のようだ。ノーウェジアン・ウッド(ノルウェイの森)の部屋で聴き入るうちに深夜2時。翌朝、鳥が飛び去った部屋に火を付ければ、ビートルズの「ラバー・ソウル」が聴こえてくる。
フィヨルドに滝が流れ落ちるさまにも例えられるグリーグの「ピアノ協奏曲」第1楽章冒頭。ピアノが弾く下行音型は北欧の壮大で高貴な悲劇の幕開けのようだ。ワーグナーの大掛かりな楽劇が欧州を席巻した19世紀ロマン派の時代精神の中で、この協奏曲は人気を博し、グリーグの名を知らしめた。
しかし一方で、グリーグは陶器製の小さな蛙をいつも大事に握りしめているような人だった。可憐な花や蝶、小鳥や小動物、日常のささやかな出来事、祭りや民謡、小物類を愛でる精神性は日本文化にも通じる。小さなものを一級の芸術に仕上げた最たる作品群が「抒情小曲集」である。
グリーグは「抒情小曲集」を20代半ばの1867年から晩年に差し掛かる1901年まで10巻に分けて出版した。順番に聴いていくと、どの曲も容易に鼻歌にできるほどメロディアスで親しみやすい。「第1巻Op.12」の1曲目「アリエッタ変ホ長調」は2分にも満たない短い曲。童謡のように単純な旋律が聴き手の気持ちを和ませる。
「北欧のショパン」とも呼ばれるグリーグだが、ピアノ小品はむしろシューマンに近い。「アリエッタ」もやはりシューマン流の下行音型で始まる。滝ではなく、蝶や花びらが舞い降りるような緩やかに下行する旋律だ。変ホ長調(E♭)とドミナントの変ロ長調(B♭)を行き来する「Ⅰ→Ⅴ→Ⅰ」のシンプルなコード進行だが、減7の和音(E♭dim7)からト短調(Gm)で結ぶ場面もあり、小さな悲しみをさりげなく差し込むところは心憎い職人技だ。
「アリエッタ」の旋律は約34年を経て、1901年出版の「第10巻Op.71」の掉尾を飾る第7曲「余韻(Remembrances)」として、ワルツとなって戻ってくる。ソプラノのニーナ・ハーゲルップと結婚した頃に作った素朴な旋律を生涯大切にし、それを3拍子のしとやかなワルツにアレンジして青春時代を懐かしむ。「抒情」を冠するに相応しい小曲集の完結といえよう。
最も頻繁に演奏され人気が高いのは、1897年出版の「第8巻Op.65」の第6曲「トロルドハウゲンの婚礼の日」。この曲だけは演奏時間が7分近くに達し、グリーグの小品群の中では大作。a―b―a‘の3部形式のコントラストが鮮やかで、冗長さはない。aの部分はノルウェーの結婚祝いの歌といったところだが、曲調はシューマンの「幻想曲ハ長調Op.17」第2楽章のような行進曲風だ。グリーグはノルウェーの国民楽派の代表格と見なされているが、ドイツ・ロマン派からの影響は大きい。
名盤はいくつもある。ほぼ全集に近いピアノ曲集では、「抒情小曲集」全巻や初録音の「ノルウェーの旋律(全152曲)」を含むノルウェーのアイナル・ステーン=ノックレベルグによる「グリーグ:ピアノ独奏曲集」(CD14枚組、1993~94年、ナクソス)。グリーグの多様なピアノ小品の世界を知ることができる。ゲルハルト・オピッツの「グリーグ:ピアノ独奏曲全集」(CD7枚組、93年、ソニー)は、実際には全集ではないが、ドイツの正統派ピアニストによる堅実な秀演。気紛れで即興的と思われがちな小品群の緻密な構成や構造を浮き彫りにする。
抜粋ではエミール・ギレリス盤(74年、ユニバーサル)、スヴャトスラフ・リヒテルのライブ盤(93年、デジタル・メディア・ラボ)が名高い。ノルウェーのレイフ・オヴェ・アンスネス盤(2001年、ワーナー)は細やかで癖がなく聴きやすい。田部京子の「ホルベアの時代から~グリーグ作品集~」(06年、日本コロムビア)は「ペール・ギュント第1組曲」などとのカップリングで、「抒情小曲集」はやはり抜粋だが、音の透明感と明瞭に跳ねるリズムが相まって清冽な詩境に至っている。
抒情や情感に私的に浸れるグリーグのピアノ小品は、大ホールではなく、家庭や親しい仲間の集い、あるいは2人や独りの部屋で弾いたり聴いたりするのに向く。各曲とも短くてメロディアスな「抒情小曲集」はポップスのアルバムのようでもある。多くの曲がオーケストラや様々な楽器の組み合わせで編曲されたり、BGM風にメロディーが聴かれたりもする。
「抒情小曲集」はビートルズのアルバムに似ていないか。例えば、歌えと言われればどの曲も一部分なら歌えるし、なぜかノルウェーの名が付いた曲も入っているアルバム「ラバー・ソウル」。その2曲目「ノーウェジアン・ウッド」とは何を意味するのか。
アルバムに刻まれた原曲名は「NORWEGIAN WOOD(This Bird Has Flown)」。直訳すれば「ノルウェーの木材(この鳥は飛んでいってしまった)」。「エースクラウン英和辞典」(三省堂)で調べると、woodは複数形(woods)ならば「小さな森、林」だが、定冠詞無しの単数形(wood)では「(切った)木、木材、材木」。原曲名も歌詞も単数になっている。
歌詞によると、ナンパしたかされたか分からない彼女の部屋に招かれ、「いいじゃないですか、ノルウェー産の木」と言う僕(ジョン・レノン)。部屋には椅子もないから、ノルウェーの木製家具ではなさそうだ。部屋の壁や梁がノルウェー産の材木で造られているのか。ワインを飲みながら深夜2時まで話し込んだ後、彼女はベッドに、僕は風呂で寝ることに。翌朝目が覚めると鳥(彼女)は飛び去っていた。僕は火を付けて「いいじゃないですか、ノルウェー産の木」と呟く。白けたナンパ話、あるいは腹いせに部屋に放火するホラーか。
聴いて何を想像してもいい
この曲が「ノルウェイの森」と訳されて広まったのは、日本文化の抒情的な感性を示していて、それはそれでいいではないか。その辺の事情は村上春樹ファンならば誰でも知っている。「村上春樹 雑文集」(新潮文庫)で作家は、そんなことは百も承知の上で、もっと興味深い説を紹介している。「Knowing She Would(ノーイン・シー・ウッド、彼女はそうしてくれるだろうと思って)」だった曲名が、似た音感の「Norwegian Wood(ノーウェジアン・ウッド)」に変わったという説だ。公序良俗の基準に照らしての変更か。真偽のほどは分からないが、もしそうだとしたらビートルズのブラックジョークはいよいよ奥深い。
長編小説「ノルウェイの森」の第一章冒頭、ドイツのハンブルク空港に着陸した旅客機内でこの曲がBGMとして流れる。それはオーケストラ編曲による歌詞のないメロディーだと読める。聴いて何を想像してもいいのが音楽の素晴らしさ。原曲ではジョージ・ハリスンが北インドの撥弦楽器シタールでこの旋律をまず奏でる。その下行するミクソリディア旋法風のメロディーは、北欧の森が思い浮かぶほどにノスタルジックだ。緩やかに下行する旋律はグリーグの「アリエッタ」にも似て、素朴な美しさを湛えている。
歌詞が無くても歌になる。そこから想像が広がる。歌詞は音の響きでもあり、言葉の具体的な意味ばかりを追求すると音楽を聴き損なう。音楽は言葉を超える。切ない恋愛小説のBGMには、グリーグの歌詞の無い歌も似合う。いいじゃないですか、ノルウェイの森。
池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
音楽ジャーナリスト。日本経済新聞社シニアメディアプロデューサー。早稲田大学卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。
日本経済新聞社記者紹介
文/ 池上輝彦
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