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今月の音遊人:神保彰さん「音楽によって、人生に大きな広がりを獲得できたと思います」
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【ジャズの“名盤”ってナンだ?】#045 ジャズ増し増しのオルガンを実現させた映画音楽の巨匠の原点~ジミー・スミス『ザ・キャット』編
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2024.10.16
tagged: 音楽ライターの眼, ジャズの“名盤”ってナンだ?, ジミー・スミス, ザ・キャット
いまだに宵っ張りなので“三つ子の魂百まで”なのでしょうが、幼稚園に通うころにはすでに就寝時間が遅くて、いつも親に怒られていた記憶があります。
そんな遅い時間までなにをしていたのかというと、大人と一緒に茶の間でTVを見ていることが多かったわけですが、うっすらと覚えているのが、あの伝説の深夜番組『11PM』のなかで「オルガンの音楽が流れていたこと」だったりします。
それがボクの“オルガン・ジャズ”の原点で、そのオルガンを弾いていたのが戦後TV時代の幕開けとともに大活躍していた小曽根実だったことをちゃんと認識したり、彼の子息である小曽根真を取材するようになるのは、四半世紀も後のこと。
ただ、幼稚園のころから“オルガン・ジャズ”にハマるほど早熟でもなかったので、当時はPTAから「見ちゃダメ!」と言われた番組で演奏される“イケナイ音楽”というバイアスに縛られていた、というのが正直なところです。
そんなバイアスからボクを解き放ってくれたのが1990年代に湧き起こっていたクラブ・ジャズのムーヴメント。そのころすでに神格化されていたのが本作のジミー・スミスでした。
では、“ジャズ・オルガンの神様”の大ヒット作を聴き直していきましょう。
1964年にニューヨークの隣、ニュージャージーのスタジオでレコーディングされた作品です。
オリジナルはLP盤で、A面4曲B面4曲の合計8曲を収録。CD化では同曲数同曲順のみでリリースされています。
メンバーは、ジミー・スミスがオルガン、ギターがケニー・バレル、ベースがジョージ・デュヴィヴィエ、ドラムスがグラディ・テイト、パーカッションがフィル・クラウス。
ラロ・シフリン指揮で、フレンチホルン(レイ・アロンジ、アール・チェイピン、ビル・コレア、ジミー・バフィントン)、トランペット(バーニー・グロウ、サド・ジョーンズ、ジミー・マックスウェル、マーキー・マーコウィッツ、アーニー・ロイヤル、スヌーキー・ヤング)、トロンボーン(ジミー・クリーブランド、アービー・グリーン、ビリー・バイヤーズ)、バス・トロンボーン(トニー・スタッド)、チューバ(ドン・バターフィールド)のホーン陣が参加しています。
収録曲は、冒頭2曲(オリジナルのLP盤ではA面の1曲目と2曲目)が映画『危険がいっぱい』(ルネ・クレマン監督、ジェーン・フォンダ、アラン・ドロン、ローラ・オルブライト出演、1964年公開のフランス映画)からのカヴァーで、本作の指揮を担当しているラロ・シフリンが作った曲です。
『ベイジン・ストリート・ブルース』はジャズ草創期に活躍した作曲家のスペンサー・ウィリアムズが1926年に作曲し、ルイ・アームストロングがレコーディングして広まった曲。
『「大いなる野望」のテーマ』は、ベストセラー小説が原作の映画『大いなる野望』(エドワード・ドミトリク監督、ジョージ・ペパード、アラン・ラッド出演、1964年公開のアメリカ映画)で使われた、ハリウッドの著名な作曲家であるエルマー・バーンスタインによる作品です。
このほか、新旧取り混ぜたカヴァー曲と、ジミー・スミスのオリジナル『ドロンのブルース』を収録しています。
ジミー・スミスのアルバムとは言うものの、アレンジャーのラロ・シフリンを起用して“売れるジャズ”のアルバムをつくろうという気が満々の企画だったことが、いまになると透けて見えるようです。
1932年にアルゼンチンのブエノスアイレスで生まれたラロ・シフリンは、国内でクラシックを学んでから渡仏し、1950年代にフランスでジャズ・ピアニストとアレンジャーとしてのキャリアをスタートしました。
その後、アメリカでディジー・ガレスピー楽団のピアニスト兼アレンジャーとなり、一気にシーンの最前線へ躍り出たのがちょうど本作のころ。
本作をリリースしたヴァーヴ・レコードはMGM(アメリカの老舗映画スタジオのひとつ)傘下だったため、映画音楽とジャズをコラボさせたらイケるんじゃないかということになって実現したレコーディング──ではないかと勘ぐっています。
もちろん、ジミー・スミスにその荷を負わせるだけの才能をプロデューサーのクリード・テイラーが認めていたからなのですが、ほかの楽器に比べるとジャズ色の強い(つまりアフリカン・アメリカンのサウンドというイメージが濃い)ハモンドオルガン社製のB-3オルガンを用いて、当時のエンタテインメント界の“ドル箱”だった映画界からファンをかっさらってしまおうという一挙両得を試みて、見事に成功してしまったのが本作だったのではないかと思うのです。
1920年代、スウィングと呼ばれていたジャズは、ポピュラー・ミュージックの再生装置として機能していた──つまりポピュラー音楽とイコールと言える親和性があったわけですが、1930年代末にビバップが勃興すると、インプロヴィゼーションが重視されるようになり、「“型が定まらない”ものがジャズ」という認識が高まっていきます。
1960年代は、そうしたジャズの“わかりづらさ”を取り払い、ポピュラー音楽との親和性を高める努力が盛んに試みられた時代でもありました。
そのひとつが本作の“(ラロ・シフリンの)映画音楽的アプローチ”と“(ジミー・スミスの)ジャズ・テイスト増し増し”のコラボだったわけです。
ラロ・シフリンはこのあと、テレビドラマ『スパイ大作戦』(1966~73年)、映画『燃えよドラゴン』(1973年)と、次々にハリウッドを代表する映画音楽作曲家としての実績を積みますが(ボクのラロ・シフリン体験は1973年の映画『ダーティハリー2』からでした)、彼の“ジャズというエッセンスをポピュラー音楽へ溶かし込むワザ”の原点が、本作にあったのだと思います。
そしてなによりも、そんなラロ・シフリンのサポートを受けて思いっきりジャズのプレイに興じているジミー・スミスの、ジャズが増し増しで滲み滲みのプレイを堪能できるところにこそ、本作の“名盤”たるゆえんがあるのです。
富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
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文/ 富澤えいち
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