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【ジャズの“名盤”ってナンだ?】#049 スタンダード・ナンバーに向き合う“本気度”を示したライヴ作~キース・ジャレット・トリオ『星影のステラ』編
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2024.12.4
tagged: 星影のステラ, 音楽ライターの眼, ジャズの“名盤”ってナンだ?, キース・ジャレット・トリオ
キース・ジャレット・トリオ(=スタンダーズ)を最初に聴いたとき、「聴きづらい(=聴き慣れない)ピアノ・トリオだなぁ」と感じたと、#048で書きました。
ボクがスタンダーズを体験したのは、『スタンダーズVol.1/Vol.2』を含めたスタート4部作、つまり本作とその前作である『チェンジズ』を含む4作品がリリースされた1980年代半ばのこと。
当時はサブスクなんていうサービスももちろんない時代だったので、ラジオのジャズ番組などをチェックしながらアナログ盤を購入する計画を(財布をにらみながら)立てて、それからやっと鑑賞できる、という状態。
4作品のうち購入したのは『スタンダーズVol.1』と『チェンジズ』の2枚で、キース・ジャレットのオリジナルで構成された(つまりスタンダード・ナンバーが収録されていない)『チェンジズ』のほうがお気に入りだった──というのが、当時のボクのスタンダーズへの評価でした。
それはつまり、キース・ジャレット=インプロヴィゼーションという先入観が強く、そのトリオがスタンダード・ナンバーを取り上げるというアプローチがイマイチ理解できていなかったからにほかなりません。
およそ40年を経て、そのイマイチだったものがどのぐらいの解像度になったのかを、さらけ出してみたいと思います。
1985年7月に仏パリの国際会議場“パレ・デ・コングレ”のホールで行なわれたステージを収録したライヴ盤です。
発売元のECMレコードがあるドイツではLP盤(A面3曲、B面3曲の合計6曲)、日本ではCD(同曲数同曲順)で1986年にリリースされました。また、LP盤と同じ構成のカセットテープも同時にリリースされています。
メンバーは、ピアノがキース・ジャレット、ベースがゲイリー・ピーコック、ドラムスがジャック・ディジョネットと、#048と同じ顔ぶれ。
収録曲はすべてジャズ・スタンダードと呼ばれるカヴァー曲で、#048の『スタンダーズVol.1/Vol.2』ともまったく被っていないという徹底ぶり。
この選曲からも、本作がベスト盤的なコンセプトで制作されたものではなく、スタジオとライヴの両方でピアノ・トリオがスタンダード・ナンバーに取り組むという彼らのヴィジョンを示しえている、と思うわけです。
これはひとえに、観客を前にしたコンサート会場という状況下でもスタンダーズ=キース・ジャレット・トリオのパフォーマンスのクオリティに遜色がないことを知らしめたのみならず、スタンダード・ナンバーをインプロヴィゼーションで“因数分解”していくような彼らのアプローチが、スタジオ収録という“定数”だけでなくライヴ収録という“変数”にも対応しうることを証明した作品であったから、だと思います。
余談ですが、キース・ジャレットがプロのジャズ・ピアニストとして注目され始めた1960年代半ば、クラシック・ピアノ界の寵児と呼ばれたグレン・グールドは「演奏会からの引退」を宣言し、スタジオ収録のみによって音楽と向き合うようになります。
1970年代初頭、ピアニストとして独立したキース・ジャレットは、演奏するプログラムを用意せずに完全なインプロヴィゼーションだけで行なうソロ・ピアノのコンサートを始めます。
意識していたかどうかは定かではありませんが、彼が自らのキャリアやスタンディング・ポジションを活かしたクリエイティヴィティを考えて、グレン・グールドとは正反対のコンセプトを選んだと考えると、このひと回り歳の違うソロ・ピアノの革命児たちのポジショニングは“美しい相似形”を成しているように思われるのですが、いかがでしょうか──。
そしてまた、グレン・グールドが没したタイミング(1982年)でキース・ジャレット・トリオの結成への気運が高まり、キース・ジャレットがソロで開花させたコンセプトをジャズならではのトリオに拡張していくことになったのも、偶然ではないような気がするのです。
キース・ジャレット・トリオとグレン・グールドの関係性はさておき、このトリオがインプロヴァイザーとしてのモチヴェーションをこうも長く維持できたのは何故か、気になりませんか?
興行的な成功がその原動力になったとしても、アルバムの制作に関してはせいぜい3枚ぐらいが限度、ではないでしょうか。
ところが、このスタンダーズは、ざっと数えても20枚以上の作品を残しているのです。
そしてキース・ジャレットがその執着性を、スタンダード・ナンバーの魅力に置き換えて説明しようとしているインタヴュー記事が散見されます。
しかしボクは、その執着性の根源に、熱烈な“ラヴ・コール”という“情動”があったのではないかと推測しています。
それは、彼が敬愛し、再共演を熱望してやまなかったマイルス・デイヴィスへの“ラヴ・コール”だった──。
スタンダード・ナンバーを取り上げるというアイデアと、その魅力をインプロヴァイザーとして再発見していくというアプローチ、さらにその具現が無限であるかのような量産性を俯瞰すると、マイルス・デイヴィス・クインテットが1956年に行なった“マイルスのマラソン・セッション”(#009 参照)を意識していたことがうかがえるからです。
つまり、キース・ジャレットにとっては、その時点でのピアニストとしてのスタンスを往時のマイルス・デイヴィス・クインテットになぞらえ、いや、それを凌駕するパフォーマンスを次々と打ち出し続けることによって、いつでもまたマイルス・デイヴィスと共演する用意があると示すことが、スタンダーズのみならずピアニストとしてのモチヴェーションになっていたのだ、と。
マイルス・デイヴィスが没した1991年を安易に結びつけることはできないかもしれませんが、キース・ジャレットが1996年に慢性疲労症候群を患い、復帰までに約2年を費やさなければならなかったのも、そのモチヴェーションの喪失感が影響しているのではないか──。
と考えながら本作を聴き直してみると、「インプロヴィゼーションは何のため(誰のため)に?」という、禅問答のような問いにも、答えらしきものが見つかりそうな気がするのです……。
富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
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文/ 富澤えいち
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