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今月の音遊人:城田優さん「音や音楽は生活の一部。悲しいときにはマイナーコードの音楽が、楽しいときにはハッピーなビートが頭のなかに流れる」
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【ジャズの“名盤”ってナンだ?】#009 ビジネスの“ひと悶着”から生まれたキメキメなジャズの極致~マイルス・デイヴィス『クッキン』編
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2023.3.27
tagged: 音楽ライターの眼, ジャズの“名盤”ってナンだ?
1956年に、“マイルスのマラソン・セッション”と名付けられた伝説的レコーディングによって生まれた1枚です。
演奏はマイルス・デイヴィス(トランペット)、ジョン・コルトレーン(テナー・サックス)、レッド・ガーランド(ピアノ)、ポール・チェンバース(アコースティック・ベース)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ドラムス)の5名によるもので、4曲を収録。
1956年は、マイルス・デイヴィスにとって大きな転換期の起点となる年でした。
当時、自身のクインテットを率いて行なったアメリカ各地でのライヴは大好評。さらに1955年7月17日、単身出演したニューポート・ジャズフェスティヴァルで、彼をフィーチャーした『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』のプレイ(ピアノのセロニアス・モンクとの6分ちょっとのデュオ)が喝采を浴び、これがきっかけで大手メジャー・レーベルのコロムビアと契約します。
つまり、ジャズ界の次世代リーダーとして注目されていたマイルス・デイヴィスが、一気に全米ポップス業界の最前線へ躍り出る第一歩をしるすことになった年なのです。
コロムビア移籍第一弾となる記念すべきアルバムは、1955年10月に収録された『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』になるはずでした。いや、実際にそうなったのですが、このメジャー移籍には“ひと悶着”あって、それがあったからこそ、『クッキン』を含めた4作の、“マラソン・セッション”と呼ばれる“名盤”が生まれることになったのです。
ちなみに“ひと悶着”をざっくり説明すると、マイルス・デイヴィスが残りの契約を履行しないままコロムビアへの移籍を進めようとしたために「待った!」がかかった、というもの。残りの契約というのが「あと4枚のアルバム制作」だったことで、それを一気に消化するための“マラソン・セッション”だったというわけです。
この『クッキン』を含めた4作(ほかに『ワーキン』『リラクシン』『スティーミン』)が名盤とされるのは、先述のようなマイルス・デイヴィスを全国区に押し上げる時期のレギュラー・メンバーによる演奏が丸ごとパッケージされているからにほかなりません。
さらに、マラソンに例えられるこのときのレコーディングが、1956年5月11日と10月26日のわずか2日で4作分24曲のオーケー・テイクを生み出したことも、伝説化を後押ししました。それほど心技体がそろったタイミングの、奇跡的なセッションを収録したものだ、という“賞賛の根拠”になったわけです。
この“マラソン・セッション”のエピソードに触れるとき、ボクの脳裏にはいつも“火事場の馬鹿力”という言葉がよぎります。
しかしすぐに、これは「切迫した状況に置かれた人が普段は想像できないような力を無意識に出すことのたとえ」ではふさわしくない、と打ち消します。
このレコーディング・メンバーである1950年代のマイルス・デイヴィス・クインテットは、“黄金の”と冠される、当時のジャズ・シーンを象徴すると言っても過言ではない面々。
つまり、普段からスゴい力を意識的に出してしまえる人たちだからです。
もちろん、そのスゴい力を冗長にならないようにコントロールする技量が、現場の“工程管理”と“品質管理”の面で求められることになるでしょう。
この、現場における2つの“管理”という意識をジャズに持ち込んで、芸術に昇華させたことが、いま『クッキン』を評価すべきポイントだと思うのです。
1950年代に入って、ビバップを核に発展するジャズは、ソロ演奏の技量を競い合う“バトル”を重視するハード・バップへとシフト・チェンジしました。
一方でマイルス・デイヴィスは、そうした全体の流れに逆らうように、アンサンブルにおけるジャズの可能性を追求します。彼が提唱したクール・ジャズや、1960年代のモード・ジャズは、その成果だったと言えます。
『クッキン』を含むマラソン・セッションも、伸び盛りのメンバーたちが好き勝手に演奏した偶然の産物ではなく、マイルス・デイヴィスというリーダーの統制のもとで、生まれるべくして生まれた名盤──であるはずです。
これまで、“アドリブが命”とか“一期一会”といった、偶然が生む芸術性こそがジャズを決定づけるものだという解釈が強く支配してきたように思います。
実はボクも、そう喧伝されていたからこそ興味を抱き、のめり込んでいったひとり。
しかし、一部のインプロヴィゼーションは別にして、20世紀前半のポピュラー音楽の中枢を担ってきたジャズは、“自由”を標榜したマインドとは裏腹に、複雑な音楽理論と高度な演奏技術を要する“キメキメの音楽”だったことが、本作を聴き直してみると炙り出されてきます。
本作の“クッキン(Cookin’)”というタイトルは、あっという間だった収録を振り返ったマイルス・デイヴィスが「(自分たちはただ曲を)料理しただけ」と評したことから付けられたとか。
用意された食材をその場で逸品料理に仕立ててしまったという例えからも、このレコーディングに臨んだメンバーそれぞれが、皿に盛り付けられた完成時の料理のイメージを共有できていたからこその“マラソン・セッション”だったのだ、ということを実感するのです。
富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
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文/ 富澤えいち
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