Web音遊人(みゅーじん)

【ジャズの“名盤”ってナンだ?】#009 ビジネスの“ひと悶着”から生まれたキメキメなジャズの極致~マイルス・デイヴィス『クッキン』編

1956年に、“マイルスのマラソン・セッション”と名付けられた伝説的レコーディングによって生まれた1枚です。

演奏はマイルス・デイヴィス(トランペット)、ジョン・コルトレーン(テナー・サックス)、レッド・ガーランド(ピアノ)、ポール・チェンバース(アコースティック・ベース)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ドラムス)の5名によるもので、4曲を収録。


参考動画:My Funny Valentine

アルバム概要

1956年は、マイルス・デイヴィスにとって大きな転換期の起点となる年でした。

当時、自身のクインテットを率いて行なったアメリカ各地でのライヴは大好評。さらに1955年7月17日、単身出演したニューポート・ジャズフェスティヴァルで、彼をフィーチャーした『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』のプレイ(ピアノのセロニアス・モンクとの6分ちょっとのデュオ)が喝采を浴び、これがきっかけで大手メジャー・レーベルのコロムビアと契約します。

つまり、ジャズ界の次世代リーダーとして注目されていたマイルス・デイヴィスが、一気に全米ポップス業界の最前線へ躍り出る第一歩をしるすことになった年なのです。

コロムビア移籍第一弾となる記念すべきアルバムは、1955年10月に収録された『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』になるはずでした。いや、実際にそうなったのですが、このメジャー移籍には“ひと悶着”あって、それがあったからこそ、『クッキン』を含めた4作の、“マラソン・セッション”と呼ばれる“名盤”が生まれることになったのです。

ちなみに“ひと悶着”をざっくり説明すると、マイルス・デイヴィスが残りの契約を履行しないままコロムビアへの移籍を進めようとしたために「待った!」がかかった、というもの。残りの契約というのが「あと4枚のアルバム制作」だったことで、それを一気に消化するための“マラソン・セッション”だったというわけです。

“名盤”の理由

この『クッキン』を含めた4作(ほかに『ワーキン』『リラクシン』『スティーミン』)が名盤とされるのは、先述のようなマイルス・デイヴィスを全国区に押し上げる時期のレギュラー・メンバーによる演奏が丸ごとパッケージされているからにほかなりません。

さらに、マラソンに例えられるこのときのレコーディングが、1956年5月11日と10月26日のわずか2日で4作分24曲のオーケー・テイクを生み出したことも、伝説化を後押ししました。それほど心技体がそろったタイミングの、奇跡的なセッションを収録したものだ、という“賞賛の根拠”になったわけです。

いま聴くべきポイント

この“マラソン・セッション”のエピソードに触れるとき、ボクの脳裏にはいつも“火事場の馬鹿力”という言葉がよぎります。

しかしすぐに、これは「切迫した状況に置かれた人が普段は想像できないような力を無意識に出すことのたとえ」ではふさわしくない、と打ち消します。

このレコーディング・メンバーである1950年代のマイルス・デイヴィス・クインテットは、“黄金の”と冠される、当時のジャズ・シーンを象徴すると言っても過言ではない面々。

つまり、普段からスゴい力を意識的に出してしまえる人たちだからです。

もちろん、そのスゴい力を冗長にならないようにコントロールする技量が、現場の“工程管理”と“品質管理”の面で求められることになるでしょう。

この、現場における2つの“管理”という意識をジャズに持ち込んで、芸術に昇華させたことが、いま『クッキン』を評価すべきポイントだと思うのです。

1950年代に入って、ビバップを核に発展するジャズは、ソロ演奏の技量を競い合う“バトル”を重視するハード・バップへとシフト・チェンジしました。

一方でマイルス・デイヴィスは、そうした全体の流れに逆らうように、アンサンブルにおけるジャズの可能性を追求します。彼が提唱したクール・ジャズや、1960年代のモード・ジャズは、その成果だったと言えます。

『クッキン』を含むマラソン・セッションも、伸び盛りのメンバーたちが好き勝手に演奏した偶然の産物ではなく、マイルス・デイヴィスというリーダーの統制のもとで、生まれるべくして生まれた名盤──であるはずです。

これまで、“アドリブが命”とか“一期一会”といった、偶然が生む芸術性こそがジャズを決定づけるものだという解釈が強く支配してきたように思います。

実はボクも、そう喧伝されていたからこそ興味を抱き、のめり込んでいったひとり。

しかし、一部のインプロヴィゼーションは別にして、20世紀前半のポピュラー音楽の中枢を担ってきたジャズは、“自由”を標榜したマインドとは裏腹に、複雑な音楽理論と高度な演奏技術を要する“キメキメの音楽”だったことが、本作を聴き直してみると炙り出されてきます。

本作の“クッキン(Cookin’)”というタイトルは、あっという間だった収録を振り返ったマイルス・デイヴィスが「(自分たちはただ曲を)料理しただけ」と評したことから付けられたとか。

用意された食材をその場で逸品料理に仕立ててしまったという例えからも、このレコーディングに臨んだメンバーそれぞれが、皿に盛り付けられた完成時の料理のイメージを共有できていたからこその“マラソン・セッション”だったのだ、ということを実感するのです。

「ジャズの“名盤”ってナンだ?」全編 >

富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
富澤えいちのジャズブログ富澤えいちのジャズ・ブログ道場Facebook

facebook

twitter

特集

今月の音遊人

今月の音遊人:上原彩子さん「家族ができてから、忙しいけれど気分的に余裕をもって音楽と向き合えるようになりました」

6380views

音楽ライターの眼

サマーソニック2019、20周年を記念して3日開催へ。2020年はお休み

8596views

変えるべきもの、変えざるべきものを見極める

楽器探訪 Anothertake

変えるべきもの、変えざるべきものを見極める

14610views

これからアコースティックギターを始める際のギターの選び方や準備について

楽器のあれこれQ&A

これからアコースティックギターを始める際のギターの選び方や準備について

17180views

おとなの 楽器練習記 須藤千晴さん

おとなの楽器練習記

【動画公開中】国内外で演奏活動を展開するピアニスト須藤千晴が初めてのギターに挑戦!

7796views

オトノ仕事人

ピアノを通じて人と人とがつながる場所をコーディネートする/LovePianoプロジェクト運営の仕事

18018views

秋田ミルハス

ホール自慢を聞きましょう

“秋田”の魅力が満載/あきた芸術劇場ミルハス

5084views

こどもと楽しむMusicナビ

親子で参加!“アートで話そう”をテーマにしたオーケストラコンサート&ワークショップ/第16回 子どもたちと芸術家の出あう街

5472views

武蔵野音楽大学楽器博物館

楽器博物館探訪

専門家の解説と楽器の音色が楽しめるガイドツアー

8513views

われら音遊人:Kakky(カッキー)

われら音遊人

われら音遊人:オカリナの豊かな表現力で聴いている人たちを笑顔に!

8237views

パイドパイパー・ダイアリー

パイドパイパー・ダイアリー

泣いているのはどっちだ!?サクソフォン、それとも自分?

5985views

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする Web音遊人

音楽めぐり紀行

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする

10134views

おとなの 楽器練習記 須藤千晴さん

おとなの楽器練習記

【動画公開中】国内外で演奏活動を展開するピアニスト須藤千晴が初めてのギターに挑戦!

7796views

小泉文夫記念資料室

楽器博物館探訪

世界の民族楽器を触って鳴らせる「小泉文夫記念資料室」

22659views

音楽ライターの眼

2021年はサン=サーンスの没後100年のメモリアルイヤー

5388views

オペラ劇場の音楽スタッフの仕事 - Web音遊人

オトノ仕事人

稽古から本番まで指揮者や歌手をフォローし、オペラの音楽を作り上げる/オペラ劇場の音楽スタッフの仕事(前編)

31188views

上海ブラスバンド日本支部

われら音遊人

われら音遊人:上海で生まれた縁が続く大家族のようなブラスバンド

2384views

楽器探訪 Anothertake

世界の一流奏者が愛用するトランペット「Xeno Artist Model」がモデルチェンジ

25639views

ザ・シンフォニーホール

ホール自慢を聞きましょう

歴史と伝統、風格を受け継ぐクラシック音楽専用ホール/ザ・シンフォニーホール

24283views

パイドパイパー・ダイアリー Web音遊人

パイドパイパー・ダイアリー

あれから40年、おかげさまで「音」をはずさなくなりました

4650views

引っ越しのシーズン、電子ピアノやエレクトーンの取り扱いについて

楽器のあれこれQ&A

引っ越しのシーズン、電子ピアノやエレクトーンを安心して運ぶには?

111162views

こどもと楽しむMusicナビ

親子で参加!“アートで話そう”をテーマにしたオーケストラコンサート&ワークショップ/第16回 子どもたちと芸術家の出あう街

5472views

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにサルサ!キューバ音楽に会いに行く旅

25390views