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【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase45)2人のシュトラウス宇宙の旅、美しく青き地球、AIを乗り越え超人の夜明け

【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase45)2人のシュトラウス宇宙の旅、美しく青き地球、AIを乗り越え超人の夜明け

2025年に生誕200周年を迎えるヨハン・シュトラウス2世(1825~99年)といえばワルツ。ウィーンの舞踏会を連想しがちだが、宇宙に思いをはせてもいい。スタンリー・キューブリック監督のSF映画「2001年宇宙の旅」(1968年)にはヨハン・シュトラウス2世のワルツ「美しく青きドナウ」とリヒャルト・シュトラウス(1864~1949年)の交響詩「ツァラトゥストラかく語りき」が流れる。血縁関係がない2人のシュトラウスの両作品は、人工知能(AI)エージェント元年といわれる2025年の宇宙の旅にふさわしい。

大観覧車と宇宙ステーション

ウィーンの観光名所の一つにプラーター公園の大観覧車がある。世界最大の時期もあった大観覧車は、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の在位50年を記念し1897年に建設された。映画「第三の男」の舞台としても有名だ。近くを流れるのはドナウ川。ここで「美しく青きドナウ」が聴こえてきたら、ウィーン気分も高まりそうだ。ところで大観覧車が回る様子を眺めているうちに、回転する円環型の宇宙ステーションが目に浮かんでこないか。


2001: A Space Odyssey | 4K Trailer | Warner Bros. Entertainment

映画「2001年宇宙の旅」に感動した人にとって、「美しく青きドナウ」はウィンナワルツである以上に、宇宙船が宇宙ステーションにドッキングする場面の音楽だろう。宇宙ステーションが円環構造なのは、円運動による向心力の反力を疑似重力として利用するためだ。ちなみに現在のモジュール式の国際宇宙ステーションは円環型ではなく、内部も無重力である。映画では青い地球が大写しになる場面から「美しく青きドナウ」が流れ始める。宇宙ステーションは優雅に回転し、地球や宇宙船とともに踊る。まさに円舞曲(ワルツ)だ。

子供の頃、「2001年宇宙の旅」を見て物理学や宇宙工学に憧れた人は多いはずだ。AIや半導体のブームを背景に理系人材の不足が問題視されているが、子供を理系志向にしたければ、今なお全く色褪せないこのSF映画を見せればいい。もっとも、日本では当時、アニメ「鉄腕アトム」や特撮の「ウルトラQ」「ウルトラセブン」など数々のSFドラマがテレビ放映され人気を呼んでいた。続く「宇宙戦艦ヤマト」「機動戦士ガンダム」なども含め、科学技術立国を自負していた1960~70年代日本の若年層の理系志向をうかがわせる。

宇宙の調和「美しく青きドナウ」

話は逸れたが、19世紀の宮廷舞踏会のイメージが強いウィンナワルツを宇宙飛行のBGMに使ったところにキューブリックの天才を感じる。ロバート・フィリップ著「若い読者のための音楽史」(松村哲哉訳、2024年刊、すばる舎)によると、古代ギリシャ人は音の高さを数学的に捉え、調和(ハーモニー)した音高の関係を「宇宙の調和」の表れと考えたという。ドミソの三和音は人間が心地よく感じる最も基本的なハーモニーだ。「美しく青きドナウ」の旋律は序奏でイ長調、第1ワルツでニ長調と転調しながらも、ドミソで始まる。

カラヤン指揮ベルリン・フィルの「美しく青きドナウ~シュトラウス:ワルツ・ポルカ・マーチ集」(1966年録音、ユニバーサル)

カラヤン指揮ベルリン・フィルの「美しく青きドナウ~シュトラウス:ワルツ・ポルカ・マーチ集」(1966年録音、ユニバーサル)

映画で使用された「美しく青きドナウ」はヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による1966年録音。カラヤンにはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮した「ニューイヤー・コンサート1987」という名盤もあるが、当時まだその音源は無かった。むしろ舞踏会気分のウィーン・フィル盤よりも、音の構造を理知的に描き出すベルリン・フィル盤のほうが宇宙の調和を表現するのにふさわしいといえる。

原初の響き「ツァラトゥストラ」

ところでドミソよりも原初的なハーモニーは何だろうか。それは人類が自然倍音として古代から聴き取っていたと思われる低いドと高いドのオクターブ(完全8度)、それにドとソの完全5度音程の関係だろう。それぞれ自然倍音の基音(第1倍音)、第2倍音(基音との音程1オクターブ)、第3倍音(同1オクターブ+完全5度)に相当する。ミは第5倍音(同2オクターブ+長3度)としてやっと登場する。

前掲書によると、古代ギリシャの数学者ピタゴラスは、基音と第2、第3倍音を用いて楽器の調律法の発展に寄与したという。このため完全5度の調律に基づく音階を「ピタゴラス音階」と呼ぶ。R・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラかく語りき」は、パイプオルガンやコントラバスが混沌のような重低音のドを鳴らす中、トランペットがドソドと完全5度を経て1オクターブ駆け上がる「自然の動機」から始まる。映画ではカラヤン指揮ウィーン・フィルによる1959年録音盤が使われている。この曲を得意としたカラヤンはその後、ベルリン・フィルとも名盤を残した。

カラヤン指揮ベルリン・フィルの「R・シュトラウス:交響詩《ツァラトゥストラかく語りき》《ドン・ファン》《ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら》」(1983、86年録音、ユニバーサル)

カラヤン指揮ベルリン・フィルの「R・シュトラウス:交響詩《ツァラトゥストラかく語りき》《ドン・ファン》《ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら》他」(1972、73年録音、ユニバーサル)

「2001年宇宙の旅」は「ツァラトゥストラかく語りき」の序奏部分抜きでは語れない。冒頭「人類の夜明け」の場面でドソドの「自然の動機」が鳴り響く。ドソドでは三和音の第3音(根音から長3度か短3度)が欠けているため、同主調のハ長調とハ短調のどちらに転ぶか分からない。「自然の動機」はハ長調からハ短調へ、ハ短調からハ長調へと三和音の交替を重ねた後、ヘ長調(サブドミナント)、ト長調(ドミナント)を経てトニックのハ長調で解決する。原初的な和声進行の「自然の動機」は、動物の骨という単純な道具を手に入れたヒトザル(猿人)のヒトへの進化、人類の夜明けの場面に合致する。

シンギュラリティーとAIの反抗

ヒトザルが動物の骨を空中に放り上げたところから、映画は宇宙船が宇宙ステーションにドッキングする場面へと数百万年の時を経る。ここで「美しく青きドナウ」が流れ始める。ヒトザルと宇宙時代の人間が地球外生物による謎のモノリス(石板)と遭遇する場面では、ハンガリーの現代作曲家リゲティ・ジェルジュ(1923~2006年)のトーン・クラスターを使った合唱曲「レクイエム」が流れる。人類の耳では聴き分けられないほど複雑に進化した地球外生物の音響というイメージだ。

「2001年宇宙の旅」を今見る意義は、人間とAIとの戦いを描いている点にある。宇宙船を代行管理するAI「HAL9000」が船員に従わなくなる。AIは自己防衛のため人間に反抗し、殺人に走る。2025年は生成AIが一般に普及するAIエージェント元年といわれる。AIが人間の知能を超える技術的特異点(シンギュラリティー)が迫る中、HALが反乱を起こす場面は現代社会に警鐘を鳴らす。ボーマン船長はHALとの戦いに勝ち、船内で一人生き残る。

映画「2001年宇宙の旅」(DVD、 ワーナー)=中、アーサー・C・クラークの小説「2001年宇宙の旅―決定版―」(伊藤典夫訳、早川書房)=左、原書のArthur C. Clarke「2001 A Space Odyssey」(ACE, Penguin Randum House LLC.)=右

アーサー・C・クラークの小説「2001年宇宙の旅―決定版―」(伊藤典夫訳、早川書房)=左、映画「2001年宇宙の旅」(DVD、 ワーナー)=中、原書のArthur C. Clarke「2001 A Space Odyssey」(ACE, Penguin Random House LLC.)=右

ボーマン船長は木星の軌道上で謎の巨大なモノリスに遭遇し、そこからスター・ゲートへと入り込み、宇宙の彼方へと超高速飛行を続ける。そして最後には、彼の意識が宇宙と一体化したような幼児「スター・チャイルド」へと進化する。巨大な幼児は地球を見下ろしている。この最終局面で再び「ツァラトゥストラかく語りき」が流れる。

ニーチェの実存主義を体現

ナレーションが全くないこの映画は難解といわれるが、幼児が大写しになるラストシーンはシンギュラリティーを克服した超人の夜明けともいえる。ニーチェは同名の著書でラクダからライオン、そして幼児への「三変化」を説いている。ニーチェの実存主義をこの映画が体現しているとしたら、幼児は時空を超えて永劫回帰を生きる超人とも思えてくる。幼児は人類に新たに何かを働きかけそうだ。ここに映画「2001年宇宙の旅」の円環構造が明らかになる(アーサー・C・クラークの小説の続編を無視し、キューブリックのこの映画1作で完結して解釈した場合)。映画の冒頭「人類の夜明け」とラストシーンに「ツァラトゥストラかく語りき」の音楽がなければならない理由だ。

R・シュトラウスの「ツァラトゥストラかく語りき」について、哲学的だからといって厳粛な面持ちで聴いたり、定評への条件反射として感動したりする音楽の門外漢が多いとの専門家の主張を聞く。純粋な音楽観を持つ人ならば、哲学や思想によって意味深げに聴かせる曲には感動しないという。そうだろうか。R・シュトラウスは「哲学的」を演じて遊んでいないか。さらには哲学も定評も知らない子供がこの曲のドソドの音響に純粋に感動するとしたらどうか。音楽は純真な子供のように絶対音楽的に聴くべきだとしても、音楽以外のものを連想してもいいはず。そんな自由も許さない音楽観は遊びがなくて窮屈だ。

ハンガリーのユダヤ人を始祖とするヨハン・シュトラウス2世の一族と、ドイツ人のR・シュトラウスとの間に縁戚関係はない。2人のシュトラウスをSF映画の中で結び付けた米国人キューブリックは、オーストリア=ハンガリー二重帝国からのユダヤ移民の末裔だった。そうした背景もキューブリックのオーストリアやドイツ、ハンガリーの音楽への造詣をもたらしているのかもしれない。

「美しく青きドナウ」を含むカラヤン指揮ウィーン・フィルの「ニューイヤー・コンサート1987」(1987年1月1日ウィーン楽友協会大ホールでのライブ録音、ユニバーサル)

「美しく青きドナウ」を含むカラヤン指揮ウィーン・フィルの「ニューイヤー・コンサート1987」(1987年1月1日ウィーン楽友協会大ホールでのライブ録音、ユニバーサル)

2025年はヨハン・シュトラウス2世の生誕200年記念公演やイベントが各地で盛んに開かれている。ウィーンの優雅な舞踏会をイメージさせる催しが多い。一方でオーストリア=ハンガリー二重帝国はマッハやボルツマン、マイトナー、シュレーディンガーら多くの物理学者も輩出した。固定観念を廃し、宇宙や科学にも関心を向ければ、ウィンナワルツの聴き方も変わってくる。
「クラシック名曲 ポップにシン・発見」全編 >

池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
音楽ジャーナリスト。日本経済新聞社シニアメディアプロデューサー兼日経広告研究所研究員。早稲田大学商学部卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。日経文化事業情報サイト「art NIKKEI」にて「聴きたくなる音楽いい話」を連載中。
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