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【ジャズの“名盤”ってナンだ?】#72 ジャズの巨匠が次代の旗手に胸を貸した一発勝負のコラボレーション~デューク・エリントン&ジョン・コルトレーン『デューク・エリントン&ジョン・コルトレーン』編
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2025.10.29
tagged: 音楽ライターの眼, ジャズの“名盤”ってナンだ?, デューク・エリントン&ジョン・コルトレーン
ジョン・コルトレーンをきっかけにジャズという“沼”にハマっていったボクのような者にとって、デューク・エリントンが「おいでおいで」している“沼”はまた別物だと思っていました。
デューク・エリントンが棲む“沼”に足を踏み入れるには、ジャズの第一次黄金期であるスウィングを理解していなければならず、さらに彼が率いていたジャズ・オーケストラというフォーマットから繰り出されるサウンドをきちんと解析できる“耳”が必要だと思っていました(あくまでも個人的な意見です)。
早い話が、スウィングのアンサンブルやオーケストレーションよりも、ビバップ以降の個人技を競い合う丁々発止の(ようにボクには見えた)やりとりのほうに、興味を惹かれていただけ──というのが正直なところ。
そんな取っつきにくさを感じていたデューク・エリントン作品のなかで、最初にその“沼”への扉を開いてくれたのが、本作でした。
本作のなにが、デューク・エリントンの取っつきにくさを取り払ってくれたのかを考えながら、聴き直してみたいと思います。
1962年に米ニュージャージー州イングルウッド・クリフスにあるヴァン・ゲルダー・スタジオでレコーディングされた作品です。
オリジナルはLP盤(A面4曲B面3曲の全7曲)でリリース、同じ内容でカセットテープ版があります。同曲数同曲順でCD化。
メンバーは、ピアノがデューク・エリントン、テナー・サックスがジョン・コルトレーン、ベースがアーロン・ベルとジミー・ギャリソン、ドラムスがサム・ウッドヤードとエルヴィン・ジョーンズ。デューク・エリントンとジョン・コルトレーンが全曲参加のほか、当時のコルトレーン・クァルテットのメンバーとエリントン楽団のメンバーが曲ごとに入れ替わりでクァルテット編成になるように参加しています。
収録曲は、デューク・エリントン楽団のレパートリーが6曲、ジョン・コルトレーンのオリジナル(このアルバムのために書き下ろした『ビッグ・ニック』)が1曲という構成になっています。
1899年生まれのデューク・エリントンは、1924年から自身の名を冠した楽団(ビッグバンド)を率いて“ジャズの黄金期”を築いた“ジャイアンツ”のひとり。
ジャズの趨勢がビバップへと移行した1940年代以降は、楽団の維持に苦労しながらも、オリジナリティにあふれるパフォーマンスを継続させ、特に1956年に出演したニューポート・ジャズ・フェスティヴァルのステージは国際的な注目を浴びるものとなって、1960年代初頭に共に同時代を築いたレジェンドたちや、台頭してきた若手ミュージシャンとの共演を生むことになりました。
本作もそうした流れのなかのひとつで、次代の旗手として再注目を浴びていたジョン・コルトレーンが選ばれたのも当然の成り行きだったのでしょう。
当時のジョン・コルトレーンは、それまでのハード・バップやモード・ジャズを深化させたアプローチから、より自由なスタイルを取り入れることによって“自己の存在の完全な表現”をめざすべく模索していた時期でもありました。
そんなタイミングで、“ジャズの黄金期”を築いた“ジャズ・ジャイアンツ”のひとりであるデューク・エリントンとの共演が叶ったことは、シーンにとってもビッグ・ニュースであったことは想像に難くなく、生まれながらにして“名盤”を約束された(はずの)アルバムだったのです。
“約束された(はずの)”というのはずいぶん当てこすった言い回しですが、ビッグ・ネームのコラボレーション企画はジャズにおいても少ないわけではないのに、それらがすべて“名盤”になっているわけではない(むしろレアなケースである)ことから、こんな表現になってしまいました。
でも、そのレアなケースだからこそ、本作は現在に至るまで“名盤”の地位を維持し続けているのだと思います。
そして、その大きな理由のひとつとして、本作がすべてワンテイクで録音された音源であることが挙げられるでしょう。
ワンテイク、つまり録り直しなしの一発勝負で臨むレコーディングは、ジャズでは比較的“あたりまえ”な手法ですが、共演歴のない、もしくは少ない場合にはお互いのコンセプトが調整できず、破綻することも多いのです。
かといって、譲り合ってしまえば、平均以上の仕上がりを望むことができません。
そんな駆け引きのなかで、相手のサウンドと自分のコンセプトのバランスをとることのできる千載一遇の好機に恵まれた作品だけが、“名盤”となるわけです。
本作は、ジョン・コルトレーンが自身のコンセプトを模索している時期だったからこそ成立した内容であるとともに、胸を貸したデューク・エリントンの音楽的なカヴァー力の高さがあったからこそ、このクオリティを保つことができている──と言えるでしょう。
富澤えいち〔とみざわ・えいち〕
ジャズ評論家。1960年東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる生活を続ける。2004年に著書『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)を上梓。カルチャーセンターのジャズ講座やCSラジオのパーソナリティーを担当するほか、テレビやラジオへの出演など活字以外にも活動の場を広げる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。『井上陽水FILE FROM 1969』(TOKYO FM出版)収録の2003年のインタビュー記事のように取材対象の間口も広い。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。
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文/ 富澤えいち
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