Web音遊人(みゅーじん)

ドイツのバリトンの名手、クリスティアン・ゲルハーヘル、馨しきモーツァルトのオペラ・アリアを歌う

ドイツのバリトンの名手、クリスティアン・ゲルハーヘル、馨しきモーツァルトのオペラ・アリアを歌う

ドイツのバリトン、クリスティアン・ゲルハーヘルは、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウを継ぐドイツ伝統のリート(歌曲)歌唱の担い手といわれる。豊かな声量、歌詞の深い読み込み、ドイツ人ならではの適切な発音、各々の作品に対する洞察力の深さと表現力の幅広さ。それらすべてがリートの約2時間のステージで開花し、ピアニストとともに親密的な音楽の世界を繰り広げる。

ゲルハーヘルはこれまでの来日公演でシューベルト、マーラー、シューマンのリートをたっぷりと聴かせている。私は昔からリートをこよなく愛し、ピアノ伴奏に乗って声による味わい深い小宇宙が広がっていくこのシンプルな声楽ジャンルに、たまらない魅力を感じている。

リートは詩と音楽の融合が濃密で、歌手がまるで聴衆ひとりひとりに語りかけてくれるような雰囲気を醸し出す。それほど、偉大な歌手が作り出すリートの世界は、親密的で深遠だ。そして多くの人は、男性歌手の場合テノールに惹かれるというが、私はバリトン好きである。名バリトンが歌うリートは何物にも代えがたい。

「私が一番懸念しているのは、歌うときに個人的な感情移入をしてしまうということです。歌手というのは、自分の個性、自分の解釈を出し過ぎてはいけないのだと思います。音楽の真意のさまたげになると判断するからです。ついそちらに傾きがちになる危険性があります。特にオペラや演技を伴う場合は、感情が入りすぎてしまうきらいがあります。この問題は、自分自身がその役割に共感するべきなのか、そうするべきではないのか、という難しい問題をはらんでいます。もちろん考えはさまざまだと思いますよ。フランスの学者も、『演奏家というのは、自分の感情移入は避けたほうがいい』といっています。私にとって演奏の難しさというのは、その作品のもっている真実の感情をいかにコントロールするかということです。自分の個性や自分の感情を優先させない、前面に出さずに、作品の真の感情というものを聴衆に伝えなくてはなりません。これは考えれば考えるほど、難題です」

こう語るゲルハーヘルはリートを歌うコンサート歌手のみならず、もちろんオペラで大活躍するオペラ歌手でもある。得意としているのはモーツァルト。その待望のモーツァルトのオペラ・アリアを歌ったアルバムが、ついに登場した。

ここでは「ドン・ジョヴァンニ」のドン・ジョヴァンニとレポレッロ、「フィガロの結婚」のフィガロと伯爵、「コジ・ファン・トゥッテ」のグリエルモ、「魔笛」のパパゲーノと、モーツァルトの代表作の主たる役柄を歌い分け、舞台が浮かんでくるようなリアルな歌唱を繰り広げている。

この録音は、ピリオド楽器(オリジナル楽器)を使用するフライブルク・バロックオーケストラ(指揮&コンサートマスター ゴットフリート・フォン・デア・ゴルツ)との共演で、オペラ・アリアの間にはモーツァルトの交響曲第36番「リンツ」全4楽章がはさまれ、作曲当時のコンサートの様子を伝えてくれる。

ゲルハーヘルが各々の役になりきって歌うこのモーツァルトのオペラ・アリア。馨(かぐわ)しく親しみやすい歌声だが、あいまいさのかけらもなく明晰で、モーツァルトの偉大さを存分に伝えている。やはり彼がインタビューで語っているように、完璧に自己の感情をコントロールし、作品に寄り添った演奏である。

■アルバムインフォメーション

『モーツァルト:オペラ・アリア集』
モーツァルト:オペラ・アリア集
クリスティアン・ゲルハーヘル(バリトン)、ゴットフリート・フォン・デア・ゴルツ(指揮&コンサートマスター)、フライブルク・バロックオーケストラ 
発売元:SONY CLASSICAL
発売日:2018年3月21日
料金:2,600円(税別)

伊熊 よし子〔いくま・よしこ〕
音楽ジャーナリスト、音楽評論家。東京音楽大学卒業。レコード会社、ピアノ専門誌「ショパン」編集長を経て、フリーに。クラシック音楽をより幅広い人々に聴いてほしいとの考えから、音楽専門誌だけでなく、新聞、一般誌、情報誌、WEBなどにも記事を執筆。著書に「クラシック貴人変人」(エー・ジー出版)、「ヴェンゲーロフの奇跡 百年にひとりのヴァイオリニスト」(共同通信社)、「ショパンに愛されたピアニスト ダン・タイ・ソン物語」(ヤマハミュージックメディア)、「魂のチェリスト ミッシャ・マイスキー《わが真実》」(小学館)、「イラストオペラブック トゥーランドット」(ショパン)、「北欧の音の詩人 グリーグを愛す」(ショパン)など。2010年のショパン生誕200年を記念し、2月に「図説 ショパン」(河出書房新社)を出版。近著「伊熊よし子のおいしい音楽案内 パリに魅せられ、グラナダに酔う」(PHP新書 電子書籍有り)、「リトル・ピアニスト 牛田智大」(扶桑社)、「クラシックはおいしい アーティスト・レシピ」(芸術新聞社)、「たどりつく力 フジコ・ヘミング」(幻冬舎)。共著多数。
伊熊よし子の ークラシックはおいしいー

 

特集

川井郁子さん

今月の音遊人

今月の音遊人:川井郁子さん「私にとっての“いい音楽”とは、別世界へ気持ちを運んでくれる翼です」

9985views

音楽ライターの眼

連載39[ジャズ事始め]佐藤允彦の目から鱗を落とした東欧記者のジャズに対する見識

2749views

v

楽器探訪 Anothertake

弾く人にとっての理想の音を徹底的に追究したサイレントバイオリン™

6402views

楽器のあれこれQ&A

エレキギター初心者を脱したい!ステップアップ練習法と2本目購入時のアドバイス

3916views

おとなの楽器練習記

おとなの楽器練習記:注目の若手サクソフォン奏者 住谷美帆がバイオリンに挑戦!

8800views

コレペティトゥーアのお仕事

オトノ仕事人

高い演奏技術と幅広い知識で歌手の表現力を引き出す/コレペティトゥーアの仕事(前編)

19008views

東広島芸術文化ホール くらら - Web音遊人

ホール自慢を聞きましょう

繊細なピアニシモも隅々まで響く至福の音響空間/東広島芸術文化ホール くらら

13021views

ズーラシアン・フィル・ハーモニー

こどもと楽しむMusicナビ

スーパープレイヤーの動物たちが繰り広げるステージに親子で夢中!/ズーラシアンブラス

13395views

上野学園大学 楽器展示室」- Web音遊人

楽器博物館探訪

伝統を引き継ぐだけでなく、今も進化し続ける古楽器の世界

12562views

ギグリーマン

われら音遊人

われら音遊人:誰もが聴いたことがあるヒット曲でライブに来たすべての人を笑顔に

1873views

山口正介さん Web音遊人

パイドパイパー・ダイアリー

いまやサクソフォンは趣味となったが、最初は映画音楽だった

6586views

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする Web音遊人

音楽めぐり紀行

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする

9660views

脱力系(?)リコーダーグループ栗コーダーカルテットがクラリネットの体験レッスンに挑戦!

おとなの楽器練習記

【動画公開中】脱力系(?)リコーダーグループ栗コーダーカルテットがクラリネットの体験レッスンに挑戦!

10332views

浜松市楽器博物館

楽器博物館探訪

世界中の珍しい楽器が一堂に集まった「浜松市楽器博物館」

29853views

音楽ライターの眼

連載14[多様性とジャズ]傑作『ミンガス・アー・アム』に包括された3つの特色

1325views

オトノ仕事人

新たな音を生み出して音で空間を表現する/サウンド・スペース・コンポーザーの仕事

6684views

5 Gravities

われら音遊人

われら音遊人:5つの個性が引き付け合い、多様な音楽性とグルーヴを生み出す

1590views

ギター文化館

楽器探訪 Anothertake

歴史的ギターの音を生で聴けるコンサートも開催!

6986views

音の粒までクリアに聴こえる音響空間で、新時代へ発信する刺激的なコンテンツを/東京芸術劇場 コンサートホール

ホール自慢を聞きましょう

音の粒までクリアに聴こえる音響空間で、刺激的なコンテンツを発信/東京芸術劇場 コンサートホール

12168views

山口正介

パイドパイパー・ダイアリー

すべては、あの日の「無料体験レッスン」から始まった

5187views

これからアコースティックギターを始める際のギターの選び方や準備について

楽器のあれこれQ&A

これからアコースティックギターを始める際のギターの選び方や準備について

16918views

こどもと楽しむMusicナビ

サービス精神いっぱいの手作りフェスティバル/日本フィル 春休みオーケストラ探検「みる・きく・さわる オーケストラ!」

8963views

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅

29126views