今月の音遊人
今月の音遊人:Crystal Kayさん「音楽がなかったら世界は滅びてしまうというくらい、本当に欠かせない存在です」
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2020年はベートーヴェン生誕250年のメモリアルイヤー ~師・サリエリに捧げられた3曲のヴァイオリン・ソナタ
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2020.1.22
2020年は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770~1827)の生誕250年にあたるメモリアルイヤーである。すでに2019年から記念の年に向けて、世界各地のアーティストがベートーヴェンの作品をプログラムに組むコンサートを行ったり、レコーディングにも着手している。
ベートーヴェンの音楽にはさまざまな感情が息づいている。実らぬ恋に涙し、からだの変調に苦悩し、人とのコミュニケーションがうまくいかず孤独に陥り、時代や社会や戦争に憤り、そして自己の音楽との戦いに明け暮れる、そんなベートーヴェンの生き方すべてが作品に投影されている。その音楽からは、はげしく真摯で一本気なベートーヴェン像が浮かび上がってくるが、その底にはいい尽くせないほどのロマンに満ちあふれたベートーヴェンの表情も垣間見ることができる。
ベートーヴェンは希代のロマンチストではないだろうか。いずれの作品にも優しさとおだやかさとあふれんばかりの美しい夢が秘められている。ベートーヴェンはピアノに向かって演奏したり作曲したりするとき、いつも夢を追いかけていたように感じられる。音楽のなかで夢を模索していたのかもしれない。
2020年はベートーヴェンの録音を世に送り出したさまざまなアーティストに因み、何度かに分けてその作品群を紹介していきたいと思う。ベートーヴェンはよく演奏される有名な作品が多いが、その他にもすばらしい作品は数多く存在する。今回は、千住真理子(ヴァイオリン)と横山幸雄(ピアノ)が録音したベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタのなかから、第1番から第3番を取り上げたい。これらの3曲は後半の曲にくらべて演奏される機会がそう多くはないものの、ベートーヴェンのみずみずしい音楽が味わえる。
ベートーヴェンは生涯にわたり交響曲やピアノ・ソナタを作曲し続けたが、ヴァイオリン・ソナタに関しては、交響曲第3番「英雄」を書いた1804年までに全10曲中の9曲までを誕生させている。最初の3曲のヴァイオリン・ソナタ(作品12-1、2、3)はベートーヴェンにオペラの作曲技法を伝授したといわれるアントニオ・サリエリに捧げられている。
第1番は作曲された年について1795年、1797年というふたつの説があり、ハイドンやモーツァルトの音楽に親しんでいたウィーンの人たちを強く意識して作られたと思われる。古典的で伝統的な曲想が特徴だが、そのなかで第2楽章にベートーヴェンが得意とする変奏曲を導入し、新たな空気を送り込んでいる。
第1楽章は優雅なウィーン風の旋律で明るくさわやかに始まる。第2楽章はピアノで提示される冒頭の主題がシンプルで美しく、これが変奏されていく。第3楽章は明るく軽快なロンド主題となり、みずみずしく活気にあふれ、輝かしく幕を閉じる。
ヴァイオリン・ソナタ第2番は、作品12の3曲のソナタのなかではもっとも規模が小さく簡潔。ボン時代に書いた主題が用いられていることから、3曲のなかで最初に作られたものと考えられている。ウィーンで師事したハイドンの影響を見ることができ、随所に登場する若々しい旋律が印象的。とりわけ第3楽章のロンド主題の巧妙な展開は、ベートーヴェンの創作意欲を示している。
第1楽章は陽気でかろやかなリズムに乗ってシンプルな主題が提示される。第2楽章は 短調で、淡い感傷を伴う。第3楽章はメヌエット風のゆったりとしたロンドで、のちのロンド・ソナタ形式の萌芽が見られる。
ヴァイオリン・ソナタ第3番は、3曲のなかでは構成面も内容ももっとも充実し、特にヴァイオリンの美しい音色が発揮する明快な旋律がさわやかさを醸し出す。特に第3楽章のロンドは活気にあふれ、3つの主題がみごとに対比し、ヴァイオリンとピアノの対話も格段に密度の濃いものへと変貌を遂げている。
第1楽章は交響曲第1番のアレグロと同様の溌剌な様相を呈し、第2主題が特に美しい。第2楽章はヴァイオリンの魅力を存分に引き出す旋律が特徴となっている。第3楽章は明快なロンド主題によって組み立てられ、全曲を輝かしく結んでいる。
千住真理子の楽器は、ストラディヴァリウスの1716年製「デュランティ」という名器。その音色をたっぷり堪能したい。
『ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ全集Vol.1』
演奏:千住真理子(バイオリン)、横山幸雄(ピアノ)
発売元:ユニバーサル ミュージック合同会社
発売日:2019年10月23日
料金:3,850円(税込)
詳細はこちら
伊熊 よし子〔いくま・よしこ〕
音楽ジャーナリスト、音楽評論家。東京音楽大学卒業。レコード会社、ピアノ専門誌「ショパン」編集長を経て、フリーに。クラシック音楽をより幅広い人々に聴いてほしいとの考えから、音楽専門誌だけでなく、新聞、一般誌、情報誌、WEBなどにも記事を執筆。著書に「クラシック貴人変人」(エー・ジー出版)、「ヴェンゲーロフの奇跡 百年にひとりのヴァイオリニスト」(共同通信社)、「ショパンに愛されたピアニスト ダン・タイ・ソン物語」(ヤマハミュージックメディア)、「魂のチェリスト ミッシャ・マイスキー《わが真実》」(小学館)、「イラストオペラブック トゥーランドット」(ショパン)、「北欧の音の詩人 グリーグを愛す」(ショパン)など。2010年のショパン生誕200年を記念し、2月に「図説 ショパン」(河出書房新社)を出版。近著「伊熊よし子のおいしい音楽案内 パリに魅せられ、グラナダに酔う」(PHP新書 電子書籍有り)、「リトル・ピアニスト 牛田智大」(扶桑社)、「クラシックはおいしい アーティスト・レシピ」(芸術新聞社)、「たどりつく力 フジコ・ヘミング」(幻冬舎)。共著多数。
伊熊よし子の ークラシックはおいしいー