今月の音遊人
今月の音遊人:上原彩子さん「家族ができてから、忙しいけれど気分的に余裕をもって音楽と向き合えるようになりました」
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哀愁のスペイン、深いソロと熱いデュオ/沖仁フラメンコギター・コンサート
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2021.1.18
情念が詩となり、歌い踊るかのようだ。2020年12月4日、ヤマハホールでの「沖仁 フラメンコギター・コンサート」は、世界が認めるギタリストの多彩な表現力を印象づけた。12拍子の速いリズム、哀愁漂うフリギア旋法、いわゆる「ミの旋法」が特徴のフラメンコを基本様式にしつつ、自作から古典まで、シャープで彫りの深い響き、超絶技巧の展開がさえる。後半はクラシックギターの大萩康司とデュオで聴かせた。根から明るい演奏家たちだけにふさわしい、暗い情熱のスペイン音楽が、静かな夜をまぶしく揺らした。
歌も踊りも手拍子もない。ギター1本でフラメンコのすべてを伝える。コロナ対策が敷かれた公演。「静かな夜ですね」と沖がつぶやき、笑いを誘った会場は『スペインの庭の夜』だ。目を閉じて、自らの調べに聴き入る沖の姿は、静寂の暗がりから魂の声を呼び起こす儀式にも似る。細やかなアルペジオが心の襞を紡ぐ。激しいラスゲアード(かき鳴らし)の奏法が熱い情念をにじませる。「ラソファミ」といった下降する短調のコード進行はとりわけ感情を揺さぶる。
前半の自作メドレーは多彩で濃密だ。『Tremolo[トレモロ]~お別れの歌~』は、そこに歌詞があるように、繊細な震えで優しい旋律を奏でる。ギターの歌声に癒やされる。
クラシックも入れた。アルベニスのピアノ曲集『スペインの歌』から『前奏曲』。別名『アストゥリアス』で知られる。「フラメンコギターをイメージして作曲したのではないか」と沖は語る。ギター編曲は通常クラシックギターで演奏されるが、沖が愛器「テオドロ・ペレス」で弾くと、速いアルペジオのリズムが鮮やかに響く。4分の3拍子の曲が12拍子にも感じられる。粋なフラメンコ風はアルベニスの真意を突いている。
カナダ留学時に「クラシックギターのつもりでフラメンコギターを買ってしまった」。それがアンダルシアでの修業につながったが、「今もクラシックギターは好き」だ。後半の大萩との共演は、沖の幅広い音楽性を示した。まずは定番「禁じられた遊び」を沖の編曲で弾いた。単純な短調の曲が、超絶技巧を織り込んだ変奏曲となり、両ギターの音色の違いと相まってスリリングに展開する。
『火祭りの踊り』などファリャの3曲は、正統的ながらも熱量の多い二重奏だ。ロドリーゴの『アランフェス協奏曲』第2楽章は、フラメンコのブレリアのリズムを取り入れた沖の編曲で、哀愁と幻想の度合いが増した。締めのデュオは沖の自作『タンゴ・アン・スカイ』。すさまじい速弾きによる憂愁の調べが胸に突き刺さる。
マイク無しのアンコール、沖のソロはうれしかった。即興による心の旅路が生音で続く。ヨーロッパ大陸がアフリカ大陸に最も近づくアンダルシアの地。フラメンコの発祥は定かではないが、異文化が交錯した最果ての地で、置き去りにされた者、帰らざる者への別れの歌を人々はつないできたのではないか。真摯な即興が静かな夜にとどめを刺した。
池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
日本経済新聞社文化部デスク。早稲田大学卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。専門誌での音楽批評、CDライナーノーツの執筆も手掛ける。
日本経済新聞社記者紹介
文/ 池上輝彦
photo/ Koichi Morishima
tagged: ギター, 沖仁, 大萩康司, 音楽ライターの眼
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