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今月の音遊人:小曽根真さん「音楽は世界共通語。生きる喜びを人とシェアできるのが音楽の素晴らしさ」
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ベートーヴェン生誕250周年、ソナタ最後の境地/福間洸太朗ピアノ・リサイタル
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2021.1.20
奇跡の公演である。ベートーヴェン生誕250年の2020年は世界中がコロナ禍に苦しみ、コンサートの中止も相次いだ。その記念年のまさに楽聖の誕生日である12月16日、ヤマハホールで「福間洸太朗ピアノ・リサイタル」が実現した。曲目は最後のピアノ・ソナタ3曲(第30、31、32番)。ベートーヴェンのピアノ作曲技法の集大成だ。苦境の1年を闘い、希望をつなごうとする私たちへの、楽聖からの贈り物だ。
福間はソナタ3曲に入る前に「4声フーガ『Dona nobis pacem(われらに平和を与え給え)』」を弾いた。バッハを思わせる曲だが、自筆譜の発見で楽聖の真作と認定された。24歳頃の作という。福間の指摘通り、最後のピアノ・ソナタ3曲に通じる音型を聴く気がした。3曲は大作『ミサ・ソレムニス』の作曲期間とも重なり、変奏曲とフーガの技法が特徴であるだけに、バッハ風の曲は導入にふさわしい。
『第30番ホ長調作品109』は幻想的な音楽だ。気負ってはいけないし、ロマン派風に歌いすぎると構成が崩れてしまう。第1楽章の演奏は強弱と緩急の幅が大きい。速い2拍子の部分が9小節続くだけですぐに、遅い3拍子の部分が挿入句のように現れる。それが交互に続いて夢見心地の気分を醸し出す。コントラストを浮き彫りにするために、速い部分ではリズムと響きの輪郭を明確にしたい。遅い部分も緩急をやや付けすぎていた。
第2楽章は音量が大きく、若さを感じる。熱情的であり、中期のソナタを聴くようだ。『第30番』は49歳の作であり、まだ『ミサ・ソレムニス』も『交響曲第9番』も完成していない。晩年らしい達観の雰囲気を出す必要はないのかもしれない。第3楽章では落ち着いた優しい音色になったが、もう少し内省的な味わいがほしかった。
『第31番変イ長調作品110』は第1楽章が柔らかい響きだ。第2楽章は一音ごと愚直な弾き方が枯淡を感じさせる。ブラームスの晩年のピアノ曲を先取りする内向的な渋さだ。第3楽章では悲しみを込めて『嘆きの歌』を紡いだ。『不滅の恋人』との悲恋も回想するようなシーンだ。その悲しみの深さゆえに、続く荘厳なフーガが前向きな盛り上がりを築いた。
『第32番ハ短調作品111』は冷静で入念な弾き方だ。激しい第1楽章は粗暴にならず、厳格な構成美を聴かせた。第2楽章も安定している。唐突に入る32分の12拍子の第3変奏は「ジャズ風」ともいわれるが、当時ジャズはまだ無い。現代の耳でそう思えるだけであり、ここをポップに捉える演奏は嫌いだ。福間はポピュリズムとは無縁で、主題が細分化される変奏の美を伝えていた。
アンコールは最後のピアノ曲集『6つのバガテル作品126』から『第3曲変ホ長調』。ソナタ3曲に通じる安らぎを聴かせつつ、100年後のウェーベルンを予感させる音の小宇宙。現代音楽にまで続くベートーヴェン250年の影響力を小品に象徴させて、記念公演を閉じた。
池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
日本経済新聞社文化部デスク。早稲田大学卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。専門誌での音楽批評、CDライナーノーツの執筆も手掛ける。
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