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さまざまな音楽、溶け合う楽器の音色、それらが届ける平和の祈り:井上鑑「TOKYO INSTALLATION 2022- Birds of Tokyo『願いを乗せて飛び立つうた』」

大瀧詠一、福山雅治、吉田兄弟など数多くのアーティストの作曲・編曲を担当し、自身もアーティストとして活動する井上鑑が、鈴木秀美(チェロ)、マレー飛鳥(バイオリン)、古川展生(チェロ)ら名だたる弦奏者とコラボしたコンサートが、2022年10月18日に銀座・ヤマハホールで開催された。

まずは鈴木が単独でステージに登場し、J.ダッラーバコ作『カプリッチォ』を演奏。鈴木の操るチェロの穏やかな響きは、バロックならではの優雅さに、ほんのりとせつなさもはらんでいて、心の扉が優しく開かれていくような感覚になる。チェロの音域は人間の声に最も近いというが、それを証明しているかのような演奏だ。
続いて井上も加わり奏でたのは、井上のオリジナル曲『Cesky Krumlov After Rain』。タイトルの“Cesky Krumlov(チェスキークルムロフ)”は世界遺産になっているチェコの古都で、そこで観た雨の風景にインスパイアされ、曲を書き上げたという。なるほど、チェロの落ち着いた調べは中世の面影を残す街の風景を思い起こさせるし、キーボードから繰り出されるチェンバロの煌びやかな響きは、街を濡らす雨粒の輝きのようである。

3曲目はチェロが古川に交代し、ウェザー・リポートの『Birdland』を披露。1970~80年代のジャズ界をリードしたジャズロック・バンドの代表曲をどう料理するのか、プログラムに曲名を見つけたときから気になっていたが、チェロのクラシカルな音色とシンセサイザーのデジタルな音色が対極的でありながらしっかり共存していて、実に刺激的だ。

続く4曲目『Sensual Masala』は、古川のユニット“古武道”のために井上が書いた曲。架空の国の民族音楽というイメージで曲を書いたというだけあって、ヨーロッパと中東の旋律が折衷したような調べが印象的だし、それを古川の雄弁なチェロの音で聴くのがなんとも新鮮で、ワクワクした気持ちさせてくれる。まるでウェザー・リポートが世界の音楽を消化し、新たな音楽へと昇華させたことに、井上も倣ったかのようだ──。

実はこのコンサートでは井上が影響を受けた楽曲と、自身のオリジナルで影響がどのように昇華されたか、それを感じてもらうようにプログラムが組まれていたのだ。そして井上のジャンルレスな音楽性は、ここから次々と披露されていく。チェロに代わりマレーのバイオリンとともに奏でられた『Unknown Rhapsody』では、感情が憑依したかのようにエモーショナルに奏でられるマレーのバイオリンに対し、井上もピアノとキーボードのパーカッシブなサウンドで劇的な音世界を作り上げていく。かと思えば『Distant Guns Of August』では、めくるめくピアノの旋律と信念を感じさせる井上のボーカル、そして寄り添うようにしなやかな旋律を奏でるバイオリンが、歌詞にも描かれていた平和への祈りのように響いていた。

1部の最後は古川も加わり、ブラジル音楽へのオマージュを込めた『Spring Wheel 2022』を披露。情熱的に鳴るデジタルビートのうえでチェロとバイオリンがしなやかに踊り、ピアノも軽快に跳ねまわる。無機質と思われがちなデジタルサウンドも、血の通った共演者がそれを楽しみ音を奏でれば、生身と変わらぬグルーヴが生まれることを証明していたのだ。

休憩を挟んでの2部は、再び鈴木が登場し、M.ブロッホ作『コル・ニドライ変奏曲』を演奏。チェロのおだやかな音色と重厚に響くピアノは、喜びと悲しみを行きかうようにドラマチックな旋律を奏でていく。それを包み込むように淡く響くシンセの音が、曲をいっそう叙情的に響かせていた。

マレーと古川を迎えて披露されたキング・クリムゾンの『RED』は、キーボードの攻撃的な音色と弦のおりなす重厚な響きが、オリジナルに負けない“迫りくる”感覚を放つ。対人地雷反対の想いを歌う『X=歩幅』では、複雑な拍子で打ち鳴らされるビートのうえで、ピアノと弦がジャズ的なフレーズをユニゾンで奏でるさまが実にスリリング。まるで地雷で歩きにくくなった大地の上でも負けずに前進するぞと宣言しているかのようだ。鈴木も加わった『Klein Blue』になると一転、それぞれの楽器が美しくドラマチックに響き合い、まるで感動的な映画のワンシーンを観ているような気分になる。

そして最後の『Cellist』では、父親である名チェリスト・井上頼豊やチェロという楽器への想い、父から受け継いだ平和を願う心を、情感豊かな弦の響きとともに歌い上げる。さまざまな音楽が混ざり合い、新たな音楽へと発展する。楽器は個の音を主張しながら、ほかの楽器や歌にも寄り添う。そんな音楽の在り方が、争いの止まぬ今の世界にもあればと思わせてくれたのだ。

飯島健一〔いいじま・けんいち〕
音楽ライター、編集者。1970年埼玉県生まれ。書店勤務、レコード会社のアルバイトを経て、音楽雑誌『音楽と人』の編集に従事。フリーに転向してからは、Jポップを中心にジャズやクラシック、アニメ音楽のアーティストのインタビューやライヴレポートを執筆。映画や舞台、アートなどの分野の記事執筆も手掛けている。

photo/ Takako Miyachi

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