Web音遊人(みゅーじん)

CFX

ホールそのものがピアノと化し、作品を体感/若林顕「ヤマハNew CFX コンサートツアー2022 銀座公演」

深化し続けるヴィルトゥオーゾ・ピアニストの若林顕が、さらに進化したヤマハコンサートグランドピアノ「CFX」の可能性と魅力を披露する「ヤマハNew CFX コンサートツアー2022」は、2022年8月5日に名古屋(電気文化会館ザ・コンサートホール)からスタート。
「弾くたびにCFXの素晴らしさを感じる」と語る若林だけに、2023年12月21日のヤマハホールでの演奏はさらに磨き上げられているに違いないと、大いなる期待を持って聴かせてもらった。

巨大なCFXの中に入り込んだ感覚

ヤマハ銀座店7階にあるヤマハホールは、どの楽器とも相性が良い。CFXとのマッチングの良さもすでに知られるところだが、案の定、新しいCFXとも抜群だった。それはオープニングのラフマニノフ『コレルリの主題による変奏曲』の、最初のシンプルなテーマが演奏された瞬間から感じられた。ピアノの音が、会場全体を包み込むように広がっていくのだ。
続く20の変奏とコーダは、それぞれを細かく色づけするのではなく、有機的に響き合わせることで、シンフォニーのように大きな構築物となっていた。くすんだ色調から透明感の高い音色まで、無段階のグラデーション。すべての響きが整理されているので、フォルティシモでも決して濁らない。CFXの能力を引き出した結果でもあるだろう。これは最後まで一貫していた。

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ラフマニノフ『前奏曲 第5番』は、前曲とはまったく異なるピアノかと思うほど、甘い音色。シーズンに合わせて選曲したであろうレビコフ『クリスマス・ツリー』は、さらにメランコリックな表情を乗せ、優しいワルツに仕上がっていた。
そんな甘美な世界は、リストがシューマンの歌曲をピアニスティックに編曲した『献呈』で極まった。若林自身が、豊かな情感を冷静に演奏していることをわかっていながらも、聴き手は華麗な世界に引きずり込まれてしまうのだ。
しかし、次のショパン『ポロネーズ 第7番』(幻想ポロネーズ)で、それはがらりと変えられた。出だしの重心の乗ったフォルテシモが鳴った瞬間から、一気にショパンの世界へ。それも一般的に思われている繊細で弱々しい姿ではなく、マスキュリンなショパン像だ。ショパンは身体的には脆弱で繊細な心を持っていたが、芯はとても強い人だったと言われることを踏まえているかのようだった。ピアノが十全に鳴らされると、作品を「体感」する感覚が生まれることも新鮮だった。
この感覚をどう表現しようかと考えていると、ピアノ教師らしい臨席の方が友人と「ホール全体がピアノになったみたい」と話していたことで納得。そう、私たちは若林が弾く巨大なCFXの中に入り込んでしまったがゆえに、音楽を「体感」することになったのだ。

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明快な解釈と柔軟なアプローチ

後半の開始を待つ間に、明解な解釈がベースにあるので、どの楽曲も構成がしっかりと聴き取れることにも気づいた。しかし、それだけではドビュッシー『夢』と『レントより遅く』は弾きこなせない。
その『夢』ではまず、CFXの持ち味のひとつであるピアニシモの美しさに、耳が吸い寄せられた。印象派の絵画のように色が滲んでいく表現ではなく、明快な音色によって夢見るような響きが生み出されていく。「ドビュッシーは印象派ではなく、その後に起こった象徴派の作曲家だ」という最新研究もあるのだが、図らずも若林の演奏はそれを思わせた。『レントより遅く』はパリの洗練されたサロンに雰囲気をまといつつ、それだけではない深い味わいがあった。

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プログラムの最後はラフマニノフ『ピアノ・ソナタ第2番』。冗長だという批判を受けた、1913年の原典版だ。若林の演奏は、最後まで聴き手を引きつけて離さなかった。そもそもの出だしの下降系のフレーズがラフマニノフの音楽世界そのもの。主題がどう展開していくのかもよくわかるので、長いとはまったく感じなかった。
プログラム全体を通しても同様だが、特にこのピアノ・ソナタは、若林のヴィルトゥオーゾ・ピアニストとしての真骨頂が、存分に披露された演奏だった。ロシア的な抒情性を表現するために、若林は敢えて固めの音色を選択。それがラフマニノフの「甘さ」を絶妙に制御して、ロシア・ピアニズムの醍醐味をも味わえた。

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なんていいピアノなんだ

若林は、曲が終わって袖へ下がるごとに「なんていいピアノなんだ」といった表情で、ピアノに触れていたのも印象的だった。彼の思う通り、あるいはそれ以上にピアノが応えてくれたのだろう。また、演奏が盛り上がると大汗をかいていたのだが、アンコールは4曲もサービスしてくれた。ラフマニノフの激しいロマンティシズムを鎮めるかのようなチャイコフスキー『ノクターン』、優しい空気で包んでくれたラヴェル『ソナチネ 第2楽章』、一転してがっつりとピアノを鳴らしたショパン『エチュード 革命』、そして締めくくりにぴったりの、落ち着きを持ったシロティ編曲によるバッハ『プレリュード ロ短調』。アンコールにいたるまで計算された選曲だ。
「ピアノを聴かせるのではなく、ピアノをとおして作品そのものを伝えたい」と語っていたが、それは十分に果たされた。その上で、多様なピアノの音色と表現を聴く喜びをも、たっぷりと味わったコンサートだった。

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堀江昭朗[ほりえ・あきお]
音楽ジャーナリスト・ライター。東京生まれ。横浜国立大学卒業後、(株)音楽之友社に入社。その後、(株)東京音楽社で「ショパン」や「アンカリヨン」の編集を担当。現在はフリーランスとしてクラシック音楽雑誌を中心に活動。

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