Web音遊人(みゅーじん)

塩谷哲

内なるポリフォニーが導くジャズピアノの展開力/塩谷哲 PIANO CONCERT 2023

弾いているうちに全く別の音楽が思い浮かんでくるのか。ジョン・コルトレーンの曲がいつの間にかパット・メセニーの曲に変わっている。旋律とハーモニーを重視したホモフォニックな演奏ながら、心の内なるポリフォニー(多声音楽)が意外なメドレーをもたらす。2023年1月14日、ヤマハホールで開かれた「塩谷哲 PIANO CONCERT 2023」は、ピアノの響きの美しさと曲の連携で聴き手を魅了し、ジャズの即興性と展開力の奥深さを示した。

塩谷哲は東京藝術大学作曲科に在学中からサルサ・バンドのオルケスタ・デ・ラ・ルスにピアニストとして加入した。同バンドで10年間活躍し、米グラミー賞にもノミネートされた。その間にソロ活動も始め、2023年はソロデビュー30周年。ピアニスト、作・編曲家、プロデューサーとしてクラシックからジャズ、ラテン、ポップスまで幅広い分野を担ってきた実績を反映し、充実したピアノソロ公演となった。

数滴の単音から始まった。「どう進むか自分でも予想がつかない音」と塩谷は言う。主音がつかめず、調性は分からない。だがそこからやがて心地よいハーモニーが広がっていく。変容を重ねるコード進行の中から、旋律らしきものが立ち現れる。もしかしてあの曲か。コルトレーンの『ジャイアント・ステップス』とはっきり分かった瞬間の感動は大きい。しかしそこで終わらない。ハーモニーはさらに変容し続け、いつしか曲はパット・メセニーの『ベター・デイズ・アヘッド』になって展開していった。変奏を経て別の曲につなぐ変曲である。

創作ノートをめくっていくようなライブ作品と言えよう。ステージ上で作曲や編曲が進む過程を聴いて楽しむ感覚だ。「自由なのにも程がある」と塩谷が笑って言うくらいにジャズの可能性を奔放に試す。後半に弾いた中田喜直作曲『雪の降る街を』も同様。イ短調から明るいイ長調へと変わる「ものすごい転調」への思い入れが強いようで、そこから同じイ短調(Aマイナー)のパット・メセニーの『オールウェイズ・アンド・フォーエヴァー』を導いた。グランドピアノ「CFX」の温かく深みのある音色と相まって、旋律とハーモニーの美しさはこのメドレーで最高潮に達した。

最後の演目、塩谷哲作曲『ヒート・オブ・マインド』はクラーベというサルサ風のリズムパターンを刻む。ふと気づいた。サルサにおいてピアノは、多様な打楽器群とともに重要なリズム楽器の役割を果たすが、音階と和音を弾けてしまうだけに、リズムとハーモニー、それに旋律が一体になっている、と。歌のないサルサ風のこの曲で、塩谷のピアノはリズムと一体で旋律を印象付ける。彼はオルケスタ・デ・ラ・ルス時代、歌の旋律をリズムとハーモニーで引き立てながらも、自らのピアノが紡ぎ出すもう一つの旋律を同時にポリフォニックに聴く環境に親しんできたのではないか。

塩谷哲

ジャズやサルサが他者との対話だとしたら、ピアノソロでも一つの曲を弾いているうちに他者の旋律が同時に思い浮かんでくることは大いにありうる。だが塩谷のピアノは一つの旋律を支えるハーモニーの美しさを大切にしている印象だ。「ハーモニー人間」を自任し、自作の『フォレスト』『ア・ブランニューデイ』はどこまでもホモフォニックに美しい。スティーヴィー・ワンダーの『オーヴァージョイド』では、テレビCMでもおなじみの旋律美を極上のハーモニーで盛り立てた。一方で、同時に心の中で鳴り始めるポリフォニーの旋律が時間差で後続し、展開させていくようなメドレー作品の技巧も秀逸だ。自由すぎる時空間の中で塩谷の創作ノートは喜びにあふれ、ジャズへの愛は止まらない。先の読めないスリリングな道がジャズの未来への夢となって続いている。

 

池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
日本経済新聞社メディアプロデューサー。早稲田大学卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。専門誌での音楽批評、CDライナーノーツの執筆も手掛ける。
日本経済新聞社記者紹介

photo/ Takako Miyachi

本ウェブサイト上に掲載されている文章・画像等の無断転載・無断使用を固く禁じます。

facebook

twitter

特集

沖仁さん

今月の音遊人

今月の音遊人:沖仁さん「憧れのスターに告白!その姿を少年時代の自分に見せてあげたい」

11726views

ジャズとデュオの新たな関係性を考える

音楽ライターの眼

ジャズとデュオの新たな関係性を考えるvol.2

4461views

ピアニカ

楽器探訪 Anothertake

ピアニカで音楽好きの子どもを育てる

14750views

トロンボーン

楽器のあれこれQ&A

初心者なら知っておきたい、トロンボーンの種類や選び方のポイント

14308views

大人の楽器練習記:クラシック・サクソフォン界の若き偉才、上野耕平がチェロの体験レッスンに挑戦

おとなの楽器練習記

おとなの楽器練習記:クラシック・サクソフォン界の若き偉才、上野耕平がチェロの体験レッスンに挑戦

12219views

小林洋平

オトノ仕事人

感情や事象を音楽で描写し、映画の世界へと観る人を引き込む/フィルムコンポーザーの仕事

3323views

札幌コンサートホールKitara - Web音遊人

ホール自慢を聞きましょう

あたたかみのあるデザインと音響を両立した、北海道を代表する音楽の殿堂/札幌コンサートホールKitara 大ホール

18978views

こどもと楽しむMusicナビ

1DAYフェスであなたもオルガン博士に/サントリーホールでオルガンZANMAI!

3574views

上野学園大学 楽器展示室」- Web音遊人

楽器博物館探訪

伝統を引き継ぐだけでなく、今も進化し続ける古楽器の世界

13663views

われら音遊人:音楽仲間の夫婦2組で結成、深い絆が奏でるハーモニー

われら音遊人

われら音遊人:音楽仲間の夫婦2組で結成、深い絆が奏でるハーモニー

7671views

パイドパイパー・ダイアリー

パイドパイパー・ダイアリー

もしもあのとき、バイオリンを習っていたら

6047views

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅

32304views

おとなの楽器練習記:岩崎洵奈

おとなの楽器練習記

【動画公開中】将来を嘱望される実力派ピアニスト、岩崎洵奈がアルトサクソフォンに初挑戦!

12234views

小泉文夫記念資料室

楽器博物館探訪

民族音楽学者・小泉文夫の息づかいを感じるコレクション

10794views

音楽ライターの眼

名手ぞろいの楽団員が一夜限りの室内楽/ベルリン・フィル スペシャル・アンサンブル Vol.3

6655views

カッティング・エンジニア

オトノ仕事人

レコードの生命線である音溝を刻む専門家/カッティング・エンジニアの仕事

5178views

われら音遊人:「非日常」の充実感が 活動の原動力!

われら音遊人

われら音遊人:「非日常」の充実感が活動の原動力!

8535views

楽器探訪 Anothertake

改めて考える エレクトーンってどんな楽器?

137839views

紀尾井ホール

ホール自慢を聞きましょう

専属の室内オーケストラをもつ日本屈指の音楽ホール/紀尾井ホール

15918views

パイドパイパー・ダイアリー

パイドパイパー・ダイアリー

もしもあのとき、バイオリンを習っていたら

6047views

金管楽器のパーツごとのお手入れ方法 - Web音遊人

楽器のあれこれQ&A

金管楽器のパーツごとのお手入れ方法

16654views

東京文化会館

こどもと楽しむMusicナビ

はじめの一歩。大人気の体験型プログラムで子どもと音楽を楽しもう/東京文化会館『ミュージック・ワークショップ』

8042views

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅

32304views