Web音遊人(みゅーじん)

【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase3)マーラーとデヴィッド・シルヴィアン、東洋との出合いと深化 「大地の歌」から「錻力の太鼓」へ、坂本龍一の影響も

【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase3)マーラーとデヴィッド・シルヴィアン、東洋との出合いと深化 「大地の歌」から「錻力の太鼓」へ、坂本龍一の影響も

グスタフ・マーラー(1860~1911年)の音楽を半世紀近く聴き続けているが、今は「大地の歌」が好きだ。李白や王維らの唐詩をドイツ語に翻案した歌詞に基づく、全6楽章の声楽付き交響曲といえる晩年の大作。東洋的厭世観が指摘されるが、むしろ儚い人生への愛着と捉えるべきだ。ロックにも東洋との遭遇で深化した例がある。デヴィッド・シルヴィアン率いるJAPANである。彼らの最後のアルバム「錻力の太鼓(Tin Drum)」は英国ロックの一つの到達点。坂本龍一の影響も表れている。

李白「悲歌行」を翻案、俗世を嘆く地上の歌

マーラーの最高傑作は「交響曲第9番ニ長調」といわれる。「大地の歌」に続く完成作としては最後の交響曲だ。特に第1楽章「アンダンテ・コモド」と第4楽章「アダージョ」は東洋的無常観と相まって安らぎや幸福感も漂う悠久の宇宙を聴かせる。一方、「大地の歌」はテノールとアルトが交互に独唱する6楽章構成で、人間の感情的な歌詞がある分、俗世に根差す地上の音楽となっている。全6楽章の管弦楽法は精緻を極める。「大地の歌」の作曲を経てマーラーの芸術は深化し、「第9番」の高みに至った。


Mahler: Das lied von der erde | Simon Rattle

「大地の歌」の第1楽章イ短調「地上の悲嘆に寄せる酒盛りの歌」は、マーラーの全交響曲の中で最も完成度の高い楽章だろう。約10分と短い中で緻密なホモフォニーを築いている。マーラーらしさも存分に表れている。例えば、弱音器を付けたトランペット。口をふさがれたラッパが終結部で鳴らす虫の音のような咆哮は、李白の「悲歌行」の酒宴にふさわしい。世を嘆きつつも人生を愛してやまないのだ。
ところで第1楽章の歌詞は李白の詩とは異なる。ト短調、変イ短調、イ調と、半音ずつ上に転調して3回も歌われる「生も死も暗い(Dunkel ist das Leben, ist der Tod.)」という歌詞は原詩には無い。近い表現として李白は「死生一度人皆有」と書いただけである。
「大地の歌」の歌詞の成り立ちは複雑だ。まず李白や孟浩然、王維らの唐詩のフランス語訳詩集からハンス・ハイルマンがドイツ語に重訳。さらにハンス・ベートゲが翻案して詩集「中国の笛」を出版し、それを読んだマーラーが一部改変して歌詞に使用しているのだ。

欧州世紀末文化への告別、20世紀音楽の幕開け

マーラーは中国風の民族音楽を作曲したわけではない。当時の欧州で流行した東洋趣味を取り入れ、黄昏の西洋ロマン派音楽史に一石を投じたとみるべきだ。私はマーラーが「大地の歌」と「第9番」を作曲した南チロルのトプラッハ(現イタリア領ドビアッコ)を旅したことがある。同地にそそり立つドロミテアルプスの山塊が中国の山水画を想起させ、ユダヤ人マーラーの東洋志向を呼び覚ましたとの説明を聞いたからだ。ドロミテの山塊を巡ったが、日本人の目からすれば、それらは奇岩の峰々とはいえ、欧州の風景そのものだった。

【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase3)マーラーとデヴィッド・シルヴィアン、東洋との出合いと深化 「大地の歌」から「錻力の太鼓」へ、坂本龍一の影響も

「マーラー・コンプリート・エディション(16CD)生誕150年記念ボックス」(2010年、EMI)

「大地の歌」の第6楽章「告別」は約30分と長大で、全曲の半分近くを占める。薄幸の自分は世を去るが、大地は永遠に続くという主旨。終結部では「永遠に(ewig)」をアルトが繰り返す中、ハ長調の和音にイ音を添えて消え入るように終わる。コード名ではC6。そこから次作の「第9番」第1楽章が開幕する。ニ長調の属音のイ音をチェロが呟いて始まるのだ。両作品は欧州世紀末文化への告別と20世紀音楽の幕開けを示している。

ロックの「アダージョ」へと至る芸術性

マーラーの「大地の歌」から「第9番」への深化はデヴィッド・シルヴィアンを想起させる。彼が率いたJAPAN(活動期間1974~82年)は元々グラム・ロック風のニューウェイヴバンドだった。3枚目のアルバム「クワイエット・ライフ」でテクノ化し、4枚目「孤独の影」の「メソッズ・オブ・ダンス」で沖縄民謡風の女声を導入。最後のアルバム「錻力の太鼓」では東洋的素材を全面に取り入れた前衛テクノロックに変貌したのである。


Japan — Still Life in Mobile Homes

「錻力の太鼓」は1981年のアルバムとは思えない前衛ぶりを示す。デジタル以前の時代に生身の人間と電子楽器との共創による独特のグルーヴ感を生み出した。例えば、「スティルライフ・イン・モービルホームズ」。スティーヴ・ジャンセンの精密なドラムスとミック・カーンのフレットレス・ベースのリズムが複雑に絡み合い、リチャード・バルビエリのシンセサイザーが東洋風の響きを精細に鳴らし、シルヴィアンの低い歌声が内省的な雰囲気を出す。

【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase3)マーラーとデヴィッド・シルヴィアン、東洋との出合いと深化 「大地の歌」から「錻力の太鼓」へ、坂本龍一の影響も

JAPAN「錻力の太鼓」(ユニバーサル)

シルヴィアンらがロックを芸術音楽の次元に押し上げたきっかけの一つに坂本龍一ら日本のアーティストとの出会いがあった。ちょうど坂本がメンバーのイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)が世界デビューして間もない時期。坂本はJAPANのアルバム「孤独の影」の制作に参加し、「テイキング・アイランズ・イン・アフリカ」という曲を共作。JAPAN最後のライブアルバム「オイル・オン・キャンヴァス」では土屋昌巳がギタリストとして参加した。


Japan – Ghosts (TOTP 1982)

異質な東洋との出合いは英国ロックの既成概念を打破した。「錻力の太鼓」の中の「ゴウスツ」は確かなビート感を持たず、アンビエントなシンセサウンドの中をシルヴィアンの歌声が浮遊する前代未聞の「ロック」だ。こうした前衛作品が全英シングルチャート5位に入った意義は大きい。


Brilliant Trees

シルヴィアンの深化はJAPAN解散後も続く。金字塔は1984年の初のソロアルバム「ブリリアント・トゥリーズ」。坂本やホルガー・シューカイも参加し、洗練された欧州の美を構築した。特に終曲「ブリリアント・トゥリーズ」はバラードの次元を超える。緩やかにざわめく森のような静謐な音楽は、ロックの「アダージョ」と呼ぶべきだ。

【クラシック名曲 ポップにシン・発見】(Phase3)マーラーとデヴィッド・シルヴィアン、東洋との出合いと深化 「大地の歌」から「錻力の太鼓」へ、坂本龍一の影響も

デヴィッド・シルヴィアン「ブリリアント・トゥリーズ」(ユニバーサル)

「ブリリアント・トゥリーズ」は全英アルバムチャート4位を記録し、芸術音楽としてのロックの地位を確実にした。一方、クラシックはマーラー以後、難解な現代音楽へと向かった。ジャンルが意味を失いつつある今、マーラーとシルヴィアン、2人が到達した深淵なアダージョの先を聴き続けよう。

「クラシック名曲 ポップにシン・発見」全編 >

池上輝彦〔いけがみ・てるひこ〕
日本経済新聞社チーフメディアプロデューサー。早稲田大学卒。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。
日本経済新聞社記者紹介

特集

今月の音遊人

今月の音遊人:谷村新司さん「音がない世界から新たな作品が生まれる」

7510views

作曲家の意図に寄り添い、その真意に近づき、ひたすら作品の偉大さを表現する演奏――リチャード・グード

音楽ライターの眼

作曲家の意図に寄り添い、その真意に近づき、ひたすら作品の偉大さを表現する演奏――リチャード・グード

6002views

練習用のバイオリンとして進化する機能と、守り続けるデザイン

楽器探訪 Anothertake

進化する機能と、守り続けるデザイン

5108views

これからアコースティックギターを始める際のギターの選び方や準備について

楽器のあれこれQ&A

これからアコースティックギターを始める際のギターの選び方や準備について

17095views

大人の楽器練習機

おとなの楽器練習記

おとなの楽器練習記:世界的ピアニスト上原彩子がチェロ1日体験レッスン

17160views

一瀬忍

オトノ仕事人

ピアノとピアニストの絆を築く、アーティストリレーションの仕事

3519views

武満徹の思い「未来への窓」をコンセプトに個性的な公演を/東京オペラシティ コンサートホール:タケミツメモリアル

ホール自慢を聞きましょう

武満徹の思い「未来への窓」をコンセプトに個性的な公演を/東京オペラシティ コンサートホール:タケミツ メモリアル

14060views

こどもと楽しむMusicナビ

サービス精神いっぱいの手作りフェスティバル/日本フィル 春休みオーケストラ探検「みる・きく・さわる オーケストラ!」

9215views

小泉文夫記念資料室

楽器博物館探訪

世界の民族楽器を触って鳴らせる「小泉文夫記念資料室」

22369views

われら音遊人:ずっと続けられることがいちばん!“アツく、楽しい”吹奏楽団

われら音遊人

われら音遊人:ずっと続けられることがいちばん!“アツく、楽しい”吹奏楽団

10603views

パイドパイパー・ダイアリー

パイドパイパー・ダイアリー

贅沢な、サクソフォン初期設定講習会

5424views

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする Web音遊人

音楽めぐり紀行

太平洋に浮かぶ楽園で、小笠原古謡に恋をする

9944views

ホルンの精鋭、福川伸陽が アコースティックギターの 体験レッスンに挑戦! Web音遊人

おとなの楽器練習記

【動画公開中】ホルンの精鋭、福川伸陽がアコースティックギターの体験レッスンに挑戦!

10811views

浜松市楽器博物館

楽器博物館探訪

見るだけでなく、楽器の音を聴くこともできる!

13822views

ジャズとデュオの新たな関係性を考えるvol.4

音楽ライターの眼

ジャズとデュオの新たな関係性を考えるvol.5

3882views

仁宮裕さん

オトノ仕事人

アーティストの音楽観を映像で表現するミュージックビデオを作る/映像作家の仕事

13892views

AOSABA

われら音遊人

われら音遊人:大所帯で人も音も自由、そこが面白い!

11516views

ギター文化館

楽器探訪 Anothertake

歴史的ギターの音を生で聴けるコンサートも開催!

7165views

武満徹の思い「未来への窓」をコンセプトに個性的な公演を/東京オペラシティ コンサートホール:タケミツメモリアル

ホール自慢を聞きましょう

武満徹の思い「未来への窓」をコンセプトに個性的な公演を/東京オペラシティ コンサートホール:タケミツ メモリアル

14060views

パイドパイパー・ダイアリー

パイドパイパー・ダイアリー

泣いているのはどっちだ!?サクソフォン、それとも自分?

5884views

楽器のあれこれQ&A

いつも清潔にしておきたい!ピアニカのお手入れ、お掃除方法

289492views

こどもと楽しむMusicナビ

クラシックコンサートにバレエ、人形劇、演劇……好きな演目で劇場デビューする夏休み!/『日生劇場ファミリーフェスティヴァル』

6693views

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅 - Web音遊人

音楽めぐり紀行

ポロネーズに始まりマズルカに終わる、ショパンの誇り高き精神をめぐるポーランドの旅

29858views